18回「さっぽろ下田塾」平成15718

 

この間から勉強にみえて いる一林先生から質問されたので、改めて六経弁証と臓腑弁証について説明します。

ほとんどの教科書で内因 病と外因病がごっちゃになっているので、話がおかしくなっています。いっも言うように、六経弁証は基本的には外因病の弁証です。だから急性疾患とか傷寒は 六経弁証でやるべきですし、内因病、慢性疾患や、いわゆる雑病は臓腑弁証でやるのです。

ところが、六経弁証とい うのは本来六経の陰陽で、十二経絡と結び付いていて、十二経路は当然、五臓六腑と絡んでくるものですから、ここで非常に混乱して、内因病を太陽病だと言っ たり、そういうふうに書いている本が出てきますし、逆に外因病を肝がやられているだとか、臓腑で言ってしまう人が出てくるので、非常に難しくなってきま す。

基本を考えると、三陰三 陽を整理してあるのが資料の三重円の図です。結局、陰陽五行と六経弁証を1つ に組み合わせているのがこれです。外から入ってくる病気は、どこまでもずっとその順番で本来は回っていきます。だから六経弁証なのです。

この順番で回っていっ て、陰に潜るときも必ずこの順番で潜っていきます。外因病の基本はこうなのです、これは古典にちゃんと書いてあるのですよね。要するに、その経絡からずっ と入っていって、最後は臓まで入っていくことがあるのですが、その入り方というのはこの巡りで入っていくのです。だから外から入ってくるものは、皮膚から 経絡に入ってくるので六経なのです。分かりますね。外から入るものは、入り方がいきなり臓に入ったりしないのです。

ごくまれに直中の太陰と か直中の少陰とかいいますが、まずめったにないですね。直中の太陰とか直中の少陰などといっているのは、たぶん初診のときに、もう入っているというだけの ことで、それまでの治療が悪かったのであって、ごく初期に見たらちゃんと陽から入ってきているはずなのです。外因病は必ず表面から入って、いきなり臓には 入らないのです。

内因病は必ず最初は臓か ら出発します。臓から出発するけれど、臓の症状を軽い段階では表に出さないで、臓からこの陰陽五行で巡って、各腑に受け止めさせて症状が出ます。だから発 症している場所は似ているのです。それで先程言ったような混乱が出てくるのですね。

外因病も腑の症状を一番 よく出します。内因病も症状を出すときは腑の症状として出してくるので、ここが似ており、外因病を臓腑弁証したり、内因病を六経弁証で説明したりするよう な混乱が出てくるのです。そして不内外因やリウマチやウイルス性肝炎みたいに、ちょうどこの中間から出発する病気もあるのでちょっと複雑なのですが、とに かくその特殊ないくつかの病気を除けば、外因病は六経弁証、内因病は臓腑弁証で話を進めていく方が非常に解りやすいのです。

だから各処方も考えてい くときは、外因病として使うときには六経弁証のどういう時期に使うお薬であるか、内因病に使うときは、一番いいのはいつも言うように一臓診断ですが、一臓 診断で、どの臓に使う薬なのかというのを整理していくと良いのです。

私のところにおいでに なってみればわかるように、いろいろなお薬を合方したり生薬を加えたりします。でもそれは、でたらめに加えているのではありません。でたらめに加えていい のだったら何でもかんでも寄せ集めて百味丸を作ればいいわけです。そうではなくて、やはりその骨格となる処方があり、いくつ生薬を加えていっても、これは 本質的には桂枝茯苓丸なのだとか、これは本質的には温清飲なのだとか、そういう確固たる中心処方を頭に置いています。そうでなく下手に加減方をすると訳が 分からなくなってくるのです。

その中心処方をすえるた めにも、外因病だったらこれは太陽病なのだ、あるいは陽明病なのだ、太陽と陽明の合病なのだとか、あるいは外因病だけど少し深く入って太陰に入ってしまっ たのだとか、そういう確固たる考えを持っていないといけないし、内因病であるならば、本来これは肝の病証が腎に流れているから、例えば加味逍遙散なのだと か、そういうきちんとした考え方を持って加減方をやっていかないと訳が分からなくなってしまいますね。

それからもう1つ、一番初めにこれも言ったと思うのですが、老子の道徳経にある、道(タ オ)は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生じる、これが出発であり本質なのだということです。
 では、診断と治療は何をやっているかといったら、この逆をやっているのです。この世界の最初の道というのは根源なるもので、 何もない状態です。何もない状態だけど、何もないというのは空白であるのかというとそうではないです。ポテンシャルを持っている無なのです。ポテンシャル を持っている無から有が生じる。有から陰陽が生じる。陰陽から何か、「?!」が生じる。それが万物を生じるということが書いてあるのです。

病気も同じなのですよ。 例えば外因病の場合、健康な人間は、健康なときは何もないのが当たり前ですね。何の症状もない。ここに何かが入ってくる。入ってくるまでは外因病の場合い ろいろありますが、始めからちょっとした性質を持っている邪もあるけれど、実際は入ってくるまで邪は性質を発揮しません。

それが内部に入ってきた とき、例えば寒邪に変わるわけです。そうしたら寒部に対抗するために体の中が熱を持ち、いろいろな症状がこの後出てきます。そして入ってきているのが要す るに寒邪であり、そのために体が熱を出しているのだというのを理解して、寒と熱を中和してしまって、元の状態に戻していったら何もない状態に戻りますね。 外因病の場合、「道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生じる」ということはそういうことなのですね。

内因病もそうです。何も ないときは何も症状がなかった。どれか一臓が、肝なら肝がおかしくなっている。そうすると肝に絡んで何らかの陰陽が出てくる。それによって、いろいろな争 いが起こって、さまざまなことが出てくる。そのさまざまなことが出てきたその万物を、証としてとらえていって、何が起こっているかを判断していくのです。 私の外来ではいつもずっと来診している人が、診察室に入ってくると何と言うのかというと、「お元気ですか」と聞くのですね(笑)。

ずっと通ってくる方は、 お元気なのです。なかなかここまでにはならないのですが、うまくいってしまうと、どこも何ともなくなります。これが理想なのですよね。どこも何ともなく なってしまうと、ああ、もう良くなったと思って、薬をやめる人が出てくるので、ちょっと困る場合もあるのですがね。今日も何年ぶりとか何カ月ぶりという人 が、また具合が悪くなったと言って来ましたけれど本質的には元の何にもなかった状態に戻るというのが一番いいのです。

それともう1つ大切なことは、特殊な場合を除いて、東洋医学は一つの病気が全身に症状 を現していると考えます。

例えば1つの内因病がある人に外因病が加わってくれば、これは2つの状態になりますね。これはやっぱり一種の特殊な状態です。それから1つの内因病がある人に不内外因が加われば、これも特殊な状態にはなりま す。

でもこれはその都度考え ないといけないのですが、そうでない限り、例えば内因病だけの人を診ていて、明らかな不内外因も加わっていない、傷寒も加わっていない状態であるならば、 その人に何か今までなかった、はてなという症状が加わったときは、何にでも耳を傾けないといけないのです。

西洋医学で言えば、例え ば肝臓の専門のところに行って、実は肩も痛いなどと言ったら、それは整形に行きなさいとなってしまいますね。肝臓と肩とは全然関係ないと判断します。

でも東洋医学の世界で は、基本的に内因病は、ほかの先程言ったようなものが加わらない限り、1つ の病気が全身に症状を現していると考えます。だからこちらも弁解の余地がないわけです。例えば肝臓が悪いと言っている人が、膝が痛くなったと言ってきて同 時に、いや実は目も変なのだと、口の中も苦いのだと、ここに皮膚病が出てきたと言ったらそれを全部1つ の病気として受け止めて考えます。

でも本当はそういうこと が加われば加わるほど、こちら(図 矢印部分)に似てくるのです。解りますね。

何度も言っているよう に、西洋医学に限らず東洋医学でも一部の人は同じことをやっているのです。デカルト的な分析論になると、いくつも病状があると、いくつもの病気が分かれて しまうのです。東洋医学的な考え方だったら、内因病であるという前提であるならば、実はいくつも病状があればそれだけの病状を一緒に生むものは何だろうと 考えていけるのです。これを結んでいるのが臓腑であり、経絡であり、奇脈なのです。あるいはそこが難しければ、これだけの病気を1つで解決できる処方がないだろうかと考えていくこともできるのです。

だからこれも何度も言っ てきたように、この間本間先生が、地方会のときに話をされていたのと、結局は同じことなのですよね。いろいろやっていたら、ほかのところまで全部治ってし まう。実は水虫も治ってしまったとか言っていなかったけれど、ここもちょいと悪かったのだけど良くなりましたというのはすごくあります。逆に何となく膝の 治療をしていたのだけど、膝の治療がまだいまいちだなという状態の人が、ある時、実は目が、なんて言われた途端に、ああ自分が間違っていたなと、インプッ トしていないものがあったなということに気が付いて処方を変更したり、鍼の位置を変更したら良くなったとかということがあります。要するに新たな症状を患 者さんが訴えてくれたおかげで、それまで難しかった治療が、あっという間にうまくいくということはよくあるのです。

だからどんな訴えでも聞 かなければなりません。これはしんどいですよね。原因そのものが見られないから、何とかかんとか考えてみないといけないし、時間もかかります。でもとにか く患者さんの訴えには、それらも貴重な情報だと思って、できるだけ耳を傾けます。

不内外因は実際難しく、 内因病に外因病や不内外因が加わると更に1つの病気じやな くなるのですが、この時貴重な情報が得られる場合もあります。

内因病というのは別の言 葉で言えば体質的なもので、その人の固有の体質が、非常に密接に関係しています。ところが外因病や不内外因が入ってくるとき、しばしばその人の本来の内因 的な体質を揺さぶります。全く別の要素が加わるのですが、揺さぶられるものですから、こういうものが入ってきたときに、その人の本質的な体質が推測できて くる場合もあります。一応、こういうときは2つの病気を考 えないといけないのですが、それでもやはり参考にはなります。

だから患者さんに起こる あらゆることに、一応耳を傾ける。そういうくせを付けていってください。こちらがそういう態度でいると、患者さんというのは実にいろいろな訴えをしてくれ ます。この先生はこれだけが専門だけど、ほかのことは分からないのだと思ったら患者さんは言いません。そうすると、診断できる範囲を逆に狭めていきます。 そうではなくて、うんと広げて耳を傾けて、その場で解決できなくても、今度までに考えておくからねと言ってください。どうしても解らなかったら私に電話で 相談でもしてください。可能な限りお答えします。

今日は辛夷清肺湯からで すね。これも傷寒金匱の薬ではないのですが、なかなかいい薬なのですよね。石膏が入っていて ちょっと遷延した炎症に効きます。

麦門冬はかなり痰を切っ てくれるし辛夷は排膿を促しますそれから、黄芩、山梔子みたいな、少し免疫系、網内系に影響を与える薬です。それから石膏、知母、百合というのは非特異的 な消炎剤ですね。
 前にもこの話をしたと思いますが、非特異的な消炎剤というのは、なぜかほとんど太陰の薬です。非常にこじれた変なものに使う 薬じやなくて、ごく普通の炎症にも使える薬です。

注意すべきなのは、辛夷 清肺湯は山梔子が入っているぞという、それだけを覚えておけば、後はあまり気にしないで使えます。山梔子が入っているから、いつも言うように、急迫症状を 起こす場合があります。

辛夷清肺湯で肺線維症を 起こしたという話はないから、やはり黄芩ではないと思いますね。いつも言うように、柴胡剤や瀉心湯で肺線維症などを起こすのは、黄芩ではなくて黄芩で運ば れる柴胡や黄連の作用だと私は思います。

辛夷清肺湯は山梔子の急 迫症状は起こしますが、黄芩は問質性肺炎とかそういうのは一切起こしませんし、逆に問質性肺炎の患者に使ってもこれは非常によく効く薬です。現実にかなり 使っています。清肺湯も使いますし、この辛夷清肺湯も使います。清肺湯は老人の麦門冬湯として使います。

辛夷清肺湯はやはり一番 分かりやすいのは、このテキストにも書いていると思いますが、鼻汁などが下がったり、飲み込みが悪くていわゆる慢性の沈下性肺炎を起こすような、そういう 体質の方に出すということです。非常に痰の切れが良くなって、進行を抑えることができるのです。結構、葛根湯加川芎辛夷とか、ああいうものと併用します ね。辛夷を増量してあげる方が排膿、去痰作用が強くなるので、エキス剤ではよく葛根湯加川芎辛夷とこの辛夷清肺湯を合わせます。

子供にはあまり使わない です。当然こういう遷延した、どちらかと言えばちょっと汚れてしまった肺に使う薬ですから、子供の場合はほとんど麦門冬湯とかで効きますので使いません が、だいたい中年以降の方に使います。都会では増えてきているのではないでしょうか。都会から来る慢性の呼吸器疾患でこれの適用の人が結構多いのですね。

やはり辛夷清肺湯などの 適用のレベルになると、こういう概念があまりないので西洋医学では呼吸器の医者でもかなり上手な人でないと治療できないのです。こういう状態で、大人のそ ういう間質性肺炎とか肺線維症などを治療しようとしたら、ステロイドを使うかどうかの問題になりますね。でもそのレベルになると、もう一種の賭けになって しまいますから、なかなか治せる医者がいないのです。

だから結構、都会から来 る慢性の肺疾患の方にはこのレベルの人が多いのです。辛夷清肺湯とか清肺湯とか、滋陰至宝湯とか滋陰降火湯とか、こういう薬味の多い処方の適応で、ちょっ とこじれた汚い肺のものというのが多いのです。辛夷清肺湯は非常にいい薬です。何度も言うように、山梔子が入っているちょっと特異的な消炎作用、免疫系も 少し揺さぶるような作用を持った処方ですが、これも基本的には麦門冬湯です。よろしいですね。

次は、小柴胡湯加桔梗石 膏です。これは本来、急性疾患で使うように本には書いてあるかと思うのですが、急性疾患でこの状態にしてしまったら、これは治療の敗北なのですね。初期治 療がうまくいかなくてこじらせたということです。

急性疾患で喉にくるもの で、一番多いのは桔梗湯です。あるいは喉にくる前に非常に強い上気道の炎症を起こしたら大青竜湯です。大青竜湯はどちらかと言ったら太陽病から流れていま す。太陽と陽明の合病から流れてくると、葛根湯加桔梗石膏なのです。これはエキス剤ではないのですが、普通の葛根湯に小太郎さんの桔梗石膏エキスを合わせ れば良いです。

大青竜湯の主成分は麻 黄、杏仁、それにやはり石膏なども入ってきます。大青竜湯は麻黄湯と麻杏甘石湯の合方、あるいは麻黄湯と越脾加朮湯の合方でできます。葛根湯加桔梗石膏も 葛根湯の中に麻黄が入っており、それに石膏が入ってきますから、症状の強さという限りでは大青竜湯の状態の方が強いのですが、上気道がカラカラになって非 常に強い炎症を起こした状態だというのは大青竜湯と共通しています。

普通は麻黄湯、桂枝湯、 葛根湯、桂麻各半湯に桔梗湯を足したり、葛根湯加桔梗石膏にしたり、大青竜湯を使ったりして、本来はその病期、病位で治らないといけないのです。何日で治 るということではないのです。ぴったり合いさえすれば良いのです。これは前にも言いましたね。1日 で治るからうまくいったということじやないのです。3日で も4日でも、太陽病であるならば同じ薬で良いわけです。う まくいけばたいていは治ります。大青竜湯を5日も6日も飲むことはやはりないです。でも合いさえすればだいたい、どんなに長 くても34日 で治まってしまうものなのです。

でも処方を変えていかな ければならなくなるというのは、初期治療がうまくいっていないということです。基本的には最初にばっとやった処方で治りきらせます。これは今まで言わな かったけれど、次の経に移っていくことを伝経と言うのですが、伝経させないで治さないといけないのです。たとえ1週間かかろうと伝経させないで治さないといけないのです。始めから合病と いうものもありますが、とにかく最初の状態から、次の経に移っていくというのは、治療がうまくいかなかったということなのですね。

実は私も本当に20年ぐらい前まではよくそれをやっていました。自分自身が風邪をひいたと きに、最後に柴胡桂枝乾姜湯までいってしまったことがありましたね。本当にあれはすごかったですね。足は冷え、上半身は汗ばんで、本当に口の中が苦くなっ て、何だろうと思って、「ああ、柴胡桂枝乾姜湯なのだ」と思いました。とうとう太陽と陽明の合病からそこまでいってしまったことがありましたね。患者さん も時々そういう状態にしていましたけれど、やはり初期の処方がぴたっと合えば、そこで伝経させないで良くなるものです。

だから治療していって小 柴胡湯加桔梗石膏の状態にしてしまったら失敗だと思ってください。でも、最初から診た状態が小柴胡湯加桔梗石膏ということは当然出てきます。よそで治療さ れてこじれてきて、のどは痛い、口の中は苦い、舌苔は出ている、胸脇苦満も出ている、そういう状態で初診することはあるかもしれません。

この場合は完全に小柴胡 湯の特徴と桔梗石膏の上部の熱と燥が認められます。現実には湿性になっているのは見たことがないですね。小柴胡湯加桔梗石膏の状態で、外因病で来たときは ほとんど乾性です。唇もカラカラ、のどもカラカラです。ところが、これがまだ湿のような状態のときは桔梗湯なのですね。桔梗湯でお湯に溶いて、ゆっくり飲 ませてあげる方がいいことが多いです。桔梗石膏は現実に熱があろうとなかろうと、口の中がべたついて舌圧子がペタッとくっついて離れないぐらい口がカラカ ラになっているとか、そういう状態のことが多いです。これは急性疾患のときです。

内因病の場合で小柴胡湯 加桔梗石膏の状態になることは当然あります。本来、その小柴胡湯の適用状態の熱症がずっと続いているときに起きます。小柴胡湯の状態は、本来は横隔膜面の 炎症といつも言っています。一般的に横隔膜下の方が多いのですが、慢性の気管支とかそういうので横隔膜上の炎症もあります。

胸膜炎など昔、横隔膜上 の方に炎症がきたときに、熱が伝わってきて気道に上がってくることがあります。

この場合にずっと慢性炎 症が続いていると、実際の熱があろうとなかろうと、CRPが 陽性でなくても、だいたい血沈が亢進していますね。だから何らかのそういう炎症を受ける動きはあるのですが、そういうものでのどがカラカラになって、ずっ と慢性ののどの痛みがあることがあります。診ると何か訳が分からないけれど、のどがいつも赤くて、乾燥していて、口の中は苦く、やはり胸脇苦満があったり します。その状態で、そんなに多くはないのですが、小柴胡湯加桔梗石膏が合う人はすごく喜んでずっと服んでいます。

あまり難しいことはない のですね。テキストに書いてあるような疾患のことが多いのです。急性炎症遷延例と書いてありますが、ここは非常に微妙なところなのです。急性炎症遷延例と いうのがさっきの内因、外因、不内外因と考えるとどういうことなのかというと、本当は難しいのですよ。急性炎症がずっとこじれてそこにとどまったというよ り、やはり本来内因的に、この付近に弱い部分があって、急性炎症をクリアできなくて、そこの本来弱い内因部分に熱を持ってしまったと考える方が妥当なのか もしれません。

そういう場合に、小柴胡 湯加桔梗石膏の状態になるような気がします。現実には小柴胡湯という処方よりも、私のところでは葛根湯加桔梗石膏の方が処方数は多いと思います。前にも 言ったように小柴胡湯の状態で小柴胡湯という名前の処方をすることはあまりないです。今、小柴胡湯系統のお薬というのはいろいろ使っていますけれど、小柴 胡湯という名前で処方しているのは、2人ぐらいしかいない ですね。そういうことで小柴胡湯加桔梗石膏は慢性のそういうものに、結構使っています。

次が清暑益気湯ですね。 これは、今年は非常に涼しいのであまり出ないのですが、それでも私のところで1人 だけ、ちょっと暑くなった頃にもらいに来て、もう1カ月前 から服み始めています。「この薬を飲みだしてから大丈夫だわ」と、言って、今日再診に来ていました。

これは補中益気湯から導 かれた薬です。物の本によっては補中益気湯の方を、清暑益気湯に何かを足したというような書き方をしていますけれども、本来は補中益気湯の方が先です。清 暑益気湯は補中益気湯から非常に病状を限定しやすい柴胡とか升麻を除いて、万人向けにして滋養強壮成分を加えたというお薬です。

まだ話してはいませんけ れど、この清暑益気湯というのは五積散と逆の処方になります。五積散の話も今まで何度か出ましたけれど、五積散は別に冬に使う薬じやないのです。それは言 いましたね。普通の人だったらやられないような時期に寒さでやられてしまう人が、五積散なのです。体の表面が開いていて、外邪に侵入されやすい人です。五 積散を一番使うのは、前にも話したように5月の未頃です ね。このような人は体の表面が完全に開きっぱなしになって、内部の心の火がまだ燃えない小満の時期が一番弱いのです。その前はやはり春先です。体の表面が 春になって、まだ春の気が十分巡らない時期もやはり寒さに弱いのです。真冬には意外と五積散は使わないのです。

清暑益気湯は、どちらか と言うと夏に使うのですが、誰だってそんな暑さの中だったらやられるよな、というようなときにやられる人は清暑益気湯じやないのです。あんな暑い環境、あ るいはこんな暑い日が続いたらみんな参るよな、というようなときは、どちらかと言ったら別の薬になります。胃苓湯とか五苓散系統になってきます。

清暑益気湯はちょっと暑 くなっただけで、普通の人は大丈夫なのに、真っ先に倒れるような人に使います。でも、前もこの話をしたと思うのですが北海道には多いです。北海道の人は非 常に暑さに弱いです。九州にいたときは清暑益気湯はほとんど使っていないのです。今と変わらないほど患者さんの数は診ておりまして、今ほど難病の人ばかり 診ていたわけではないのです。逆に地域医療としては、その地元の人みんなを診ていたような状態でした。そういう状態でも清暑益気湯は、一夏に23人 ぐらいしか処方しなかったですね。著さで簡単に倒れていたら、九州では生きていけないですからね。だいたい夏場は30度を超すのが当たり前ですし、ちょっと外を歩くともう3536度、 アスファルトの照り返しの上などを測ると、40度を超すよ うな、そういう状態でしたね。

あるいは何十日も、昼も 夜も25度以下に下がらないとか。2週間ぐらいは30度 以下に下がらないとか、そういう状態ですから、逆に暑さに強いのですね。その代わり九州の人は寒さに非常に弱かったです。これも前に言ったかもしれませ ん。

九州にいるときに1人当たりに使う附子の量は倍でした。加工附子ですけれど10グラムまで使った人がいますね。北海道だったら加工附子で、一番多い人 で4グラムぐらいです。北海道の人は寒さに強いのです。や はり人間の体というのは順応するのです。その代わり北海道の人は25度 を超す日が数日続くと、夏バテの人が何人も出てきます。すべての人じやないのですがね。でもやはり1つ の地域にいるとどんどん出てきますね。

だから北海道の先生は頭 で考えていたのでしょうか、清暑益気湯は暑いときに使う薬で、九州やそういうところで使う薬だと思っているのですね。私が来るまでは、ほとんど北海道で清 暑益気湯は使われていなかったのです。でも私が北海道に戻ってきた最初の夏に32度 ぐらいになって、私のいるところは33度までなったので す。

その年、冬がマイナス32度、夏がプラス33度 になってびっくりしました。記録的な猛暑ではあったのですが、本当に清暑益気湯は北海道に全然、在庫がなかったのです。北海道中からツムラさんがかき集め ても間に合わず、「本社に増産をかけているから」とか言ったりしました。それぐらいなかったのです。 でも、その次の年からは安定供給されるようになりました。こういうときに非常にいい薬です。

今話したことはすべて、 普通の人ではなくて、どちらかと言うと太陰経が弱い人です。でもこういう言い方をすると間違えやすいです。

内因病の時、私は太陰経 が悪いという言い方をします。太陰病とは言わないのです。

太陰経が悪いと言ってい る意味は、肺や脾が悪いという意味なのです。外因病を言うときは、太陰病だとか厥陰病だとか太陽病、陽明病と病を付けます。そこを混乱しないでください。 太陰経と言っているときは、肺や脾というのが面倒だから太陰経が弱いと言います。同じく肝が弱いとき厥陰経が弱いとか、あるいは腎や心が弱いとき少陰経が 弱いと言ったりします。六経弁証の意じやないのですね。

これも何度か言ったよう に、真夏は本来、心の支配になりますので、衛気も営血も心が上がります。今年みたいに今のところ涼しいと、心火が上がってもこんなもので済むのですが、こ れがさらに暑熱で外からあぶられると、もっともっと心火が勢いよくなります。そうすると心の上にある肺が焼かれます。心の隣にある脾も焼かれます。肺が水 分不足になると腎水も不足していきます。腎水が不足するとますます心火は上がります。腎水が不足すると脾は腎から水をもらえなくなります。

脾は水をもらえない状態 で心火にますます炙られるから、全然ものが食べられなくなり、これが夏バテの状態です。こういうところ(肺と腎、脾と腎、心と腎の関係)は五行ですが、こ れ(心と肺、心と脾の関係)は五行じやないのです。解剖学的な関係ですね。心火が上がり、熱を持ったら上にある肺が直接炙られてしまいます。そばにある脾 も熱を伝えられて参ってしまいます。解剖学的な関係でやられてしまうのです。もちろん、肺や脾が非常に丈夫な人だったら、よほど無茶をしない限りやられな いのですが、もともと肺や脾がちょっと弱い人の場合は焼かれてしまうのです。

清暑益気湯というのは、 そういう薬で、普通の人はまず参らないのですが、肺や脾の弱い人が参ってしまう。そういうときに非常によく効きます。常日頃かかっている人が来ることもあ りますが、夏バテの時期にこれだけで来る人も結構います。普通は外来に来ないで、季節ごとにばっと来る人というのが、何人かいるのです。例えば花粉症の時 期に絶対、葛根湯加川芎辛夷が欲しいといって来る人とか、五積散の時期にあれを欲しいといって来る人がいますね。それから清暑益気湯を、暑くなった途端に もらいに来る人がいます。

それからテキストに書い てあるように、今の時期に流行っているのは夏風邪ではないのです。普通、今の時期はそんなにひどくならないのですが、気温が上がってくれないと、変な時期 に寒邪が入ってくるので風邪をひくのです。これは夏風邪ではありません。

夏風邪は、本当の夏の暑 い時期とか、暑い時期が続いた夏の終わりぐらいに流行り出します。それは暑さでやられたための風部です。これには大人にも子供にもこの清暑益気湯が非常に よく効きます。抗生剤も何もほとんど効きません。多少咳をしていようが、多少熱があろうが、多少脱水状態であろうが清暑益気湯が効きます。うんとひどいせ きとかそういうのならば、ちょっとまた別のことを考えないといけないけれど、そういう意味での夏風邪の特徴というのは、単にこわい、微熱がある、本人は風 邪だと思うと言います。食欲がないとか、もちろん寒けがしたりします。

でも、今言ったような咳 とかそういう症状というのはあまり強くないのが特徴です。でも本人は風邪だと思うのです。現実にそういう患者さんが結構周りにいるから、やはり伝っていく のかなという感じがあります。あれに非常にこの清暑益気湯が効きます。この状態のときには普通の風邪薬はいらないですね。

清暑益気湯だけでやって ほとんど効きます。だから暑い時期あるいは暑い時期の終わりぐらいに流行りだす風邪のときに、非常に重宝して使う薬です。

次が補中益気湯ですね。 これの大事なことは、名前に惑わされない方がいいということです。これも傷寒金匱の名前ではありません。ところが補中益気湯という名前があまりにも立派す ぎて、私は東洋医学界の発表などのたびにクレームをつけているのですが、補剤という名前で、この補中益気湯と十全大補湯を並べて検証してあるのが、しょっ ちゅうあるのです。

十全大補湯は補剤と言っ てもいいかもしれない。ところが補中益気湯はよく見れば、中だけを補すのです。ほかのところを補すとは書いていないのです。十全大補湯はすべてを大きく補 うというものですから、これは、中身から言ったらあまり名前負けしていないですね。だから補中益気湯と十全大補湯を並べるなら、補中益気湯は参耆剤と言い なさいと私は言うのです。参耆剤と言うのだったら解ると言います。

両方とも参耆組を含んで います。参耆組を含む薬というのはまだほかにもたくさんあります。当帰湯だとか、前に話した清心蓮子飲だとかです。それで検証するのなら補中益気湯も十全 大補湯も一応、理論的な検証ができるけど、十全大補湯とこの補中益気湯をいっしょくたにして同等の補剤という言い方は、やはりかなり怪しい言い方なのです ね。

補中益気湯の場合は中身 を見れば分かるように、もちろん参耆組は中を確かに補ってくれますが、柴胡、升麻、陳皮が入っているということは、最低限これに反応できるだけの基礎体力 が必要な構成になっています。テキストには衰えの著明な者や、逆に体力中等度以上の者に投与するとおかしくなると書いてありますが、それはこういうことな のです。

補う作用も強いですし、 柴胡、升麻で持ち上げる作用も非常に強いのです。だからあまり丈夫な人に投与すると、血圧が上がったりのぼせたりします。でも、うんと弱っている人に使っ ても、もう衰えかかって消えかかっている火を一時的に燃え上がらせるようなことになって、かえって先になると生命力を落とすようなことが出てきてしまうの です。だから一応この点を頭に置いておいた方がいいということです。

でも、この補中益気湯と いうのを考えていく上で考慮すべきことは、補中益気湯という名前が立派すぎるということです。この補中益気湯の直前の処方があるのです。非常に似た内容 で、中身がほんのちょっと違うぐらいなのですが、それは非常に解りやすい名前になっています。

補脾胃瀉陰火升陽湯とい う名前です。補中益気湯はこれとほとんど変わらないのです。「脾胃」これは中なのですね。脾胃は大きなものです。でも瀉陰火なのです。要するに五臓のどこ かに上っている火を瀉するのです。ちゃんと瀉という字が入っているのですね。そして落ちているものを持ち上げる。確かこれはちょっとしか薬味が変わってい ないから、このままの名前だったら変な誤解は生まなかったかもしれないですね。今でも補中益気湯の本質はこの名が一番解りやすいです。

補中益気湯の人は入って くると分かります。入ってきた段階で、うなだれています。慢性の呼吸器疾患のときなどは特にそうです。長く息が続かないですね。長いセンテンスをしゃべら れないのです。そしてやはり中気下陥ですね。胃腸の働きが衰えるとこういう感じになります(肩を落とし前かがみになる)。

経験的になぜか小柄な人 はあまりいないです。ひょろっとしたタイプが多いです。成長の最後にわ一つと伸びて、要するに肺気腫状態で大人になってしまって、そして成人の間は何とか なっていたけれど、それが年を取るに連れてだんだん肺気腫が負担になって、そのために一緒になって脾の働きも落ちてきたというような感じの方が多いです ね。

それと後天的な例では、 これは外因病ではありますが結核に使います。結核というのは臓までやられていきます。やはり外から入って最終的に肺を侵してしまいます。そういう状態のと きにこの補中益気湯を使います。

それから先程の夏負けや 夏やせの人に使います。本来は太陰が弱い人で基礎疾患が基本的にない人は清暑益気湯ですが、先程言ったように、肺や脾が弱い人は基礎疾患が常にあることも 多いのです。基礎疾患があって治療している人が夏負けや夏やせ状態、あるいは夏風邪を引いたときは、清暑益気湯よりこの補中益気湯になります。

普通の人はあまり夏負け しませんが、夏負けをするのはほとんど太陰の人です。私のところでたいていの場合は、いつも見ていない人が夏負けして来たら清暑益気湯になりますし、いつ もかかっている人が夏負けして来たらほとんど補中益気湯になるというパターンが多いですね。それ以外にテキストに書いているいろいろな病気は、みんな同じ ことが形を変えて表に出ているということですね。自汗や盗汗、たいていの場合盗汗はありますね。寝汗をかきますかというとたいていあります。そのくらいで す。
そして状態によっては、参耆組や白朮をちょっと加えてあげると、もうちょっと効き目がいいし、さらに冷えなんかの症状も加わっ ているときは、附子を加えるともっと元気がつく場合もあります。あるいは呼吸器症状が強いとき、麻黄附子細辛湯等も併用することもあります。

次が柴胡加竜骨牡蛎湯で す。これは、使われている薬味で私はちょっと分からない面がいくつかあるのです。小柴胡湯から基本的には甘草が除いてあります。でもどうも経験的に思う と、甘草が抜いてある必然性はないのです。甘草が入っていないことで、かえって効きが悪いような、薬性がばらばらになっている感じがすることが多くて、し ばしば甘草の入っている他のエキス剤と混合して使うことがあります。

傷寒論を見ていてもその 必然性がないのですね。だからたぶん、ずっと伝えられているうちに傷寒論から甘草の記載が落ちてしまったのではないかなという気がするのです。本来は甘草 を含む小柴胡湯に、ほかの薬味が加わっていったのではないかなという気がします。だから甘草が入っていないことはあまり気にしないで、甘草が入っていると 考えていった方がいいようです。

それから大黄が加わって いるのと加わっていないのがあります。国内の製品では、オースギの製品だけが大黄が加わっています。ただし面白いことに、例えばツムラさんの柴胡加竜骨牡 蛎湯に大黄未を加えたら、かなり通じを良くしてしまうのですが、製品として大黄が入っていても、ほとんど下剤としての作用は出しません。どちらかと言った ら鎮静作用みたいな作用になります。それから大黄が少量なので、胃腸を補うような作用が逆に出る感じがします。だから大黄が入っていても、入っていなくて も、あまり通じには関係しないのです。大黄が入っている方がちょっと強い柴胡剤、ちょっと大柴胡湯竜骨牡蛎湯っぽい感じになってくるというぐらいですね。

それからパターンとして 見れば、甘草が入っているとみなすと、この薬というのは小柴胡湯に竜骨牡蛎と桂枝茯苓の組み合わせが入っているということになります。竜骨牡蛎はどちらか と言ったら神経の過敏症じゃないのです。本来は神経の未熟さ、あるいは衰えがあって、その裏返しでちょっと神経過敏になるといいますか、衰えているのを一 生懸命頑張ろうとして神経が過敏になる状態というのが竜骨牡蛎の状態です。桂枝茯苓はいつも何度も言うように、桂枝茯苓丸や苓桂朮甘湯で分かるように、気 と水が一緒に上がってくる状態です。

でも現実に、本を読むと 柴胡加竜骨牡蛎湯は水も動かすのだよと言っているけれど、柴胡加竜骨牡蛎湯の適用の人で、水があふれている人というのはあまり出てきたことはないのです。 茯苓が入っている意味は水を動かそうというのではなくて、桂枝と一緒になって気の上昇というか、それを何とかしましょうということなのです。基本はやはり 肝の状態で生きてきた人が、年を取って少し腎の働きも落ちてきて、それを一所懸命頑張ろうとして神経が興奮してくるのが柴胡加竜骨牡蛎湯です。

これも非常に独特の状態 です。小柴胡湯の状態というのは、本来口の中が苦いとか舌苔があるとか、あるいは胸脇苦満があります。柴胡加竜骨牡蛎湯はこの状態にやはり臍傍の悸がある のです。この臍傍の悸があるというだけで、衰えを伴う気のいら立ちといいますか、それを感じさせるのです。これはもう覚えるしかないのです。柴胡加竜骨牡 蛎湯の人は何度か診れば分かるというような状態です。
 自分で見ているときは一応おなかを触って、臍傍の悸があって、本当は体力が衰えているのに、おなかは結構強い感じがして腹直 筋が張っていたりします。

基本が小柴胡湯と大柴胡 湯の中間ぐらいになってきますので、そんなに体力が衰えているわけではないのてすが、年齢的な衰えはあるわけです。そして大抵はやせています。色も浅黒い 感じです。長い年月、肉体労働をしてきたがっちりとした人が多いですね。

そして、この柴胡加竜骨 牡蛎湯の特徴は、訴えはほとんど身体症状より精神症状なのです。眠れないとか、いらいらするだとか、あるいは実際インポテンツを訴える人もいます。高血圧 とかそういうのも心身症としての高血圧ですね。そういう感じで、あまり身体症状を主として訴えてはきません。だから何となく分かるのですね。

最初12例 遭遇すると、後はもうパターン認識で、何となく解ります。主訴だけナースにでも取ってもらえば、それをちょっと見ていて、入ってきたとたんに解るようにな ります。柴胡加竜骨牡蛎湯が入ってきたなというような感じで解るようになります。

テキストに一応の目標と 書いているものは、もう最後に話したパターンでとらえれば当然そろってきます。結構これも使いではある薬で、かなりの数を使っています。

次が十味敗毒湯です。一 応これは柴胡が入っている薬です。皮膚科に用いる薬で柴胡が入っている薬は結構あるのです。有名なものでは柴胡清肝湯、荊芥連翹湯です。柴胡はそういうの にも入っていますけれども、これらはもろもろの薬味の中のごく一部として入っています。十味敗毒湯はそんなにたくさんない薬味の中の一部として柴胡が入っ ているのです。柴胡清肝湯や荊芥連翹湯の場合は柴胡が入っていても、どちらかと言ったら主役ではないわけです。一応、柴胡清肝湯などと書いてはありますけ れども、それは名前を付けた人の付け過ぎで、そんなに柴胡が主役を成しているわけではないのです。

この十味敗毒湯は柴胡と 書いていないけれど、やはり柴胡の入っている薬だということですね。だから何らかの意味で肝が絡む皮膚疾患なのです。肝が絡むという言い方をするというこ とは、外因病ではないということなのです。外因病の皮膚疾患はそんなにないのです。外から入ってくるもので皮膚病に変わっていくのは、ほとんど温清飲系統 のことが多いのです。他に黄耆等を主とした例えば桂枝加黄耆湯だとか、黄耆建中湯だとか、そういうのを使う場合はあります。あるいは苡仁等を含んだ製剤を使 うことはあるのですが、十味敗毒湯はまず外因病には使いません。

ただ外因病の皮膚疾患に 関して言えば、黄連解毒湯や温清飲が合う例を除けば、はっきり言って西洋医学の皮膚科の方が上手です。外因病であれば、短期間に上手にステロイドを使った 方が早くよく治ります。外からのものですからね。短期間だったらステロイドの副作用もほとんど受けることはありません。必ずしも、だらだら時間をかけて漢 方治療するのがいいとは私は思いません。

でも皮膚疾患に関して言 えば、患者さん自身が外因病か内因病か分からないで来る方の方が多いのです。というより始めからそういう概念がなくて、とにかく皮膚に何かできていると 言って来ます。それこそ接触性皮膚炎とかそういうのを除けば、自然に出てきた皮膚疾患は全部内因病です。当たり前のことです。

これは先ほど内因病の話 をしたように、例えば膝関節症、あるいは五十肩というのは整形の病気だなんて大部分の人が思っているけれど、これは立派な内科の病気ですね。整形は外科で しょう。外傷で肩を骨折したとか膝を稔挫したというのだったら、これは整形の病気です。何もしないのに自然に出てくる膝関節症や五十肩というのは立派に内 科でしょう。中から出てくる内因病なのです。

皮膚疾患もそうでしょ う。明らかにこれを食べると自分は蕁麻疹が出るのだというなら、これは外因病なのです。有害物質など、そういうものを食べたら誰だってやられるでしょうと いう物を食べてやられるのも、これも外因病です。でもごく普通にやっていて、たとえ食べ物でやられるのだとしても、ほかの人は大丈夫なのに自分にはおかし くなるのだとなると、これはやはり内因病に近くなるのです。そして食べ物にも何も関係なしに、何か分からないけどとにかく出てくるといったら、これはもう 完全な内因病です。その中で、肝と肺が争っている状態のときに十味敗毒湯になるのですが、実際はこれをとらえるのは難しいのです。脈なんかでとらえる方法 もあるのですが、実はまだ私も、皮膚疾患に関しては完全につかみ切れない面があるのです。脈診、舌診とかいろいろ言いますが、なぜか皮膚疾患に関しては皮 膚の視診が大切です。皮膚の視診というのは望診ではなく皮膚の切診ですね。じっと見るというのは切診なのです。皮膚を視診することの方が大切です。皮膚に 何かが出ていて、例えば十味敗毒湯の人だったら必ず肝の脈証が出ているかというと、意外と出ないときの方が多いのですね。皮膚疾患はなぜかそうなのです。 一番体の表面で反応して、処理してしまうので、脈に影響を与えにくいのかもしれません。皮膚疾患に関してだけは脈診をあまりやることがないですね。皮膚の 見た目でほとんど診断します。

ただ柴胡が入っている意 味というのは、本質的には内因病であるぞということです。そして多分、この付近(肝ー肺)が問題になっているのだというのを意識すればいいというだけで、 柴胡が入っているからにはまず外因病には使わない薬だなと思っていればいいのですね。

十味敗毒湯の湿疹の特徴 というのは、慢性の湿疹でありながら、拡大するとこういう感じでアイランド状を呈します。アイランド状をしている発疹の間に完全に健常部分があるのです ね。これが十味敗毒湯の特徴なのです。これはあまり書いてある本が無いのですが、誰かの本に同じ事がかいてありましたね。やはり見る人は見るのだなと思い ました。

ただしこれは、尋常性乾 癬のようなものではないのです。あくまで湿疹的な出方です。尋常性乾癬になるとまたちょっと違う処方になってきます。あれはかなり遺伝要素があります。十 味敗毒湯は、やはり普通の慢性の湿疹みたいな状態や、あるいはアトビー等でも必ず健常部分があるものに使います。こういうように見えても、発疹の間の部分 が健常ではないなと思われるときは十味敗毒湯ではないのです。面状になっているときは先程言った、柴胡清肝湯や荊芥連翹湯が基本になることが多いですね。
 この十味敗毒湯単独で良くなる場合もありますが、あとはいろいろな皮膚病薬をどう加えていくかという問題になってきますね。 例えば11つ の発疹が非常にじゅくじゅくしているときは消風散を加える場合があります。
の働きが悪いなと思うと きは黄耆を加えて、外からの何か入ってくるものでやられているなというときは苡仁を加えます。

苡仁は、最近はもうほと んどエキスでは使わないですね。苡仁エキスは、生の苡仁はどうしても服めな いとか、苡仁を炊いている時間が ないという人に仕方なしに出すぐらいです。ほとんどの場合、生薬で出して煮てもらいます。そして例えば発散させたいときには蘇葉とか、薄荷を加えていくと いいわけです。

十味敗毒湯は、上記のよ うにアイランド状を呈しその間に健常部分を残すのが特徴です。当然腹力は中位であろうと思われますが、腹診もほとんど関係ないのです。東洋医学の世界で は、皮膚科だけは独自に皮膚東洋医学会という別のグループを作ってやっています。日本東洋医学会とは別の学会でやっているのは、皮膚科は本来、全部皮膚表 面を見るので診断してしまうからです。意外とツムラさんのエキス剤の漢方を多く使っていると思いますね。

例えば普通に言うような 舌診だとか脈診だとか、余計な事をいろいろする必要がないですし、発疹だけを診て何を使うかというのが決まりますから、使いやすいのです。皮膚科の毎日の 診療で、アンダームを使うとか、何か消炎剤を使うのと全く同じレベルでできるわけです。抗ヒスタミン剤を使うか、ステロイドを使うかというレベルで、漢方 薬でも何を使うかを決められるのです。

何か全く別世界で一所懸 命やっているみたいです。皮膚疾患は皮膚を見ながら覚えていくしかないのです。十味敗毒湯はこういう薬ですね。腹力は中位なんて書いていますけど、これは 腹診をやっているという意味ではないのです。腹力は中位というのは体力も中等度で、柴胡が入っている薬だからあまり弱っている人には使えないという意味で す。でもどうでしょうか、皮膚科は意外とすまして使っているかもしれないですね。

次が加味逍遙散です。こ れは丹梔逍遙散(たんし逍遙散)です。他のものが加わっているものも逍遙散にはあるものですから、これは牡丹皮と山梔子が加わった逍遙散ですよという意味 で丹梔逍遙散とも言われます。

加味と付いているのは加 味逍遙散と加味帰脾湯とがあるのですが、何度かこの話はしました。加味帰脾湯の元の処方は帰脾湯ですね。

その帰脾湯は何かといっ たら、文字通り脾を補う薬です。それは四君子湯等と同じで、六君子湯のときもこの話をしました。要するに胃腸の弱い人が社会生活をする中で、緊張してくる と柴胡が必要になってきます。それで柴胡が加わったのが加味帰脾湯であると言いました。例えば六君子湯のとき、柴芍六君子湯と加味帰脾湯は非常に近い処方 なのだという話をしました。

加味逍遙散の元の処方は 逍遙散です 逍遙散は逆にもともと柴胡が入っています。加味帰脾湯は、基本は太陰の人の薬ですね。逍遙散は、基本は本来、厥陰の人の薬です。それに、牡丹 皮と山梔子が入っています。山梔子が加わっているのは、これも先程言ったように要注意ではあるのです。こういう人もちょっと神経過敏になっていて、この山 梔子というのは脳に働くと言いましたが、それが必要になるのです。

逍遙散は神経過敏なので す。加味逍遙散は、さらにちょっとヒステリックになって、脳の症状まで出てきます。脳の症状が出てくるというのはどういうことかと言うと、周りの人などが ちょっと理解できないような、どこからそういう発想が出てくるのだろうというような状態が出てきます。脳から出発しますから、辻褄が合わないのですね。肝 から出発するものはセンサーですから、よく聞けば分かるのです。ところが、脳からいきなり出発してくるものというのは、理解できないことが場合によっては あります。

加味逍遙散の人というの は、肝だけじやなくて腎、心、要するに少陰の症状が加わってきて、それとちょっと血の道の異常も加わって症状が悪化するので、山梔子と牡丹皮を加えてやる のです。つまり逍遙という意味は、逍遙の歌でいうそぞろ歩きの意味なのです。

加味帰脾湯も加味逍遙散 も並んで、加味と2つだけ付いているのですが 面白いこと に帯帽感があるというのは この2つの処方の特徴なので す。柴胡桂枝乾姜湯は帯帽感ではないのです。この付近(側頸部の頭の付け根)が重いとか訴えます。苓桂朮甘湯は頭全体がぼうっとするとか、桂枝茯苓丸でも 頭全体がのぼせると訴えます。

帯帽感というのは、本当 に後ろから帽子をかぶせられているような感じです。これを訴えるのはこの加味帰脾湯と加味逍遙散だけなのです。加味逍遙散や加味帰脾湯の人に、必ずあると いうわけではないですよ。でもそれがある人はたいていこのどちらかなのです。そして非常に分かりやすいのは、一服飲んで2030分 もしないうちに、長年かぶっていた帽子を脱いだようだと言うぐらい劇的に改善されます。

でもこの二方は、見た目 はその帯帽感以外はだいぶ違います。加味帰脾湯の人は、基本がうつです。太陰の人ですからうつで静かな人です。それが一所懸命頑張って、ストレスから具合 が悪くなりますから、なかなか訴えはあまりしません。ずっと聞いているとだんだん沈んだことを言ってきて、ああ、疲れているのだ、ああ、大変なのだという ような感じなのです。

加味逍遙散の人は、ある 意味、外来で診るのは大変な人なのです。しゃべらせておけば、30分 でもとりとめなくしゃべっています。

もう1つ特徴的なのは、加味逍遙散の人は初診のとき、たいていたくさんメモをし てきています。初診だけではなく2度目、3度目と来るときもたくさん書いてきます。それで、どうですかなんて言った らもう延々と話し始めます。まとまっていれば良いのですがそうではないのです。逍遙ですからとりとめがなく、あっちへ飛びこっちへ飛び、もう全然まとまり がないのです。どこから来るのだろうと思ったら、やはり脳から勝手に出てくるというような、簡単には理解できないようなことを言います。じっと聞いていた ら、ああ、この人は加味逍遙散だと分かりますね。

加味逍遙散は、他に非常 に分かりやすいのは舌です。舌を見ると、非常にきれいなピンクの舌質に、薄い緑あるいは黄色の苔があることが多いです。きれいな舌に苔が乗っているという 感じです。でも少陰がかっているので、よく見るとちょっと黒ずんでいることもあります。

これがまったく色が薄く て、もっと鮮やかになると香蘇散の舌になりますね。そしてさらにそれから苔がなくなってくると、葛根加朮附湯等の舌になって来ます。パターン認識で、とり とめのないことをいっぱい言う人で、こういう舌を見たら、もうそれだけでこの人は加味逍遙散だと分かってしまいます。結果としてそれで脈を取ると、だいた い加味逍遙散の人の78割は肝ですね。でも、23割は腎が主の人がいます。

だから加味帰脾湯と加味 逍遙散は似ているようで出発が逆です。加味逍遙散は四物湯や桂枝茯苓丸等の話をしたときも言いましたように、三大婦人薬の1つですね。四物湯や当帰芍薬散が血虚の、桂枝茯苓丸や桃核承気湯、大黄牡 丹皮湯、通導散等が血瘀の薬ですね。そのどちらでもない薬の代表が加味逍遙散です。

前にも言ったように、血 虚の方は最近少なくなってきたのですね。血瘀があって結構元気でさわやかに生きている人が多くなってきました。でも加味逍遙散タイプは今でもいますね。も ちろん男性ではほとんどいません。何か別の処方を作ろうと思って、混ぜた結果として加味逍遙散ということになって、柴胡を含む製剤としてちょっと使ったこ とがあるかもしれません。まずめったにないですね。

普通は加味逍遙散のタイ プというのは 先程言ったとりとめのないことを言うのもそうですが、見た感じが本当に夢二の絵の少女のような、それこそ5060に なっても夢見る乙女チックな、そういう印象があるので。しゃべることも年齢より常に幼いのです。醜いことはあまり言わないのです。本当に物のとらえ方もす ごくひたむきで、一所懸命話します。本人は必死なのです。医療の側としては大変な患者なのですが、別の意味ですごくかわいい患者さんでもあるのですね。も う一所懸命で、時間がこちらに無限にあれば、いくらでもお相手してあげても嫌でないのですが、やはり診療の時間に制限があるので、何とかどこで話を切ろう かと、いつも苦労する患者さんです。非常に特徴的です。

このタイプで、もう1つあるのは女神散です。加味逍遙散は中間証くらいですね。より実証で症状 が強いのが女神散の状態です。でも女神散の人はかなり少ないです。女神散になるともうちょっと頑固になってきます。加味逍遙散はかわいいけど、女神散はあ まりかわいくないですね。ちょっと頑固なオバタリアンという雰囲気になってきます。そして非常に訴えが多いです。本当に不定愁訴ばかりを言う女性というの はこれ(加味逍遙散)が非常に多いです。これに関してはそのくらいですね。

次は十全大補湯です。こ れは補中益気湯と違って、あまり名前負けしないのです。でも十全大補とまで言うと少し威張り過ぎではあるのですが、でも非常にいい薬です。これは中身を見 れば分かるように、確かに薬味から言ったらまず四物湯があるよということで血虚に用います。それから四君子湯があるよということで脾虚に用います。

ところで、このように血 虚、脾虚と弁証を交ぜるから混乱するのですね。本当は、四物湯は肝腎の虚と言わなければいけないのですね。

以前、六経弁証と五行弁 証について話しましたが、気血水を弁証と言っては本当はいけないのですね。というか、同等に置いてはいけないのです。六経弁証や五行弁証は、今その人に 入っている病気の本質に迫るものなのです。気血水は、その結果その人の状態がどうなっているかだけの問題を表現します。気がどうなっているのだろう、血は どうなっているのだろう、その結果として水はどういうふうに動いているのだろうというふうにです。

本質的には気血水を先に 弁証すべきものではないのです。一応、言いますけれど、本質は外因病だったら六経弁証ではどうなのか、内因病だったら五行弁証ではどうなっているのだろう か、なのです。不内外因などでも、その付近、どちら側にどう流れているのだというのを診て、その結果この人の、例えば肝気はどうなっているのかとか、心血 はどうなっているのだとか、あるいは水が不足しているのか、停滞しているのか、あふれているのかとか、そういうふうに診るのです。

だから本当は血虚と言っ てはいけないのですね。肝や腎などの異常のために肝陰や腎陰が不足していって、結果として血の流れが末梢で不足している、それが四物湯の状態です。

だから本当はこういうふ うに言わないといけないのだけれど、話すときすぐ、便利なものだからそう言ってしまうのです。四君子湯は気虚ですね。それに桂枝と黄耆が入っているのです と言ったりします。何となくそれでももちろん分かるのですが、むしろ、もっと分かりやすく別の分け方をすると、参耆組があり、苓桂組があり、それに四物湯 があるということです。これが非常に分かりやすいですね。参耆組がまさに肺や脾、太陰を補う薬の一番基本です。苓桂組は太陰から少陰にかけての不安定状態 があって、気の上衝や心身の不安定状態をきたすのを正常化します。

四物湯は今言ったように 肝や腎に働き、血の不足を補います。だから一応すべての虚を補う薬ではあるのですが、中心はやはり少陰なのです。本来、四物湯も腎は直接補えないのだけれ ど、肝を何とか補うことで腎を助けようとする薬だというのは前にも言いましたよね。苓桂組も本来は心と腎の関係がうまくいくように配置されています。

十全大補湯というのは資 料の薬の分布図で見れば分かるように、少陰に分類しているでしょう。これだけの薬味が入っていて少陰にしっかりと分類しているのは、苓桂組や四物湯の働き からも言えますが、実際に使うと間違いなく少陰です。人参養栄湯もそうです。脈やおなか等の状態もほかに迷わないですね。

最初のこの四物湯、四君 子湯、桂枝、黄耆という説明になると、これは太陰の薬かなとも見られるのですが、四物湯、参耆組、苓桂組と分けてみると中心が少陰の薬だというのがよく解 るのです。脈診を取ってもそうですし、まあお腹は力がないだけで特に所見がなく、でも他は四物湯の皮膚の乾燥とかそういうのがあるのですが、とにかく現実 に患者さんを診る限りでは、間違いなく少陰の人です。

十全大補湯は少陰の人な のですが、この状態になるのはどういう時かというと、実際に一番多いのは消化器系の手術をした後ですね。胃がんの手術だとか大腸がんの手術ですが、そうだ とすると何か太陰の人じやないかなと思ってしまいます。確かに出発はそうなのですが、いろいろ体質が、ずっと診ていたら少陰に変わっているのです。例えば 心臓の手術をした人も十全大補湯になります。肺は太陰ですが、肺の手術をした人も十全大補湯になります。

ものすごい大きな交通事 故等に遭ったような人もこれになります。分かりますか。要するにそれまでの状態が太陰であろうが厥陰であろうが もちろん少陰の人であろうが、生命をまさ に脅かされるような大きな不内外因が加わったときには、少陰が損なわれるのです。盲腸の手術ぐらいでは十全大補湯の状態にはなりません。胆石でもまずほと んど変わりません。でも例えば穿孔して炎症が遷延したのを手術したら、どうでしょうね。

要するに命を脅かされる ぐらいの大きなアクシデントとか事故や手術、そういうものが加わった人は、それまでの状態がどうであっても少陰に変わってくるのです。生命の根源は少陰で すからね。だからやはりその人のイベントがどうであったかというのは非常に大事です。これはもう不内外因で、それ(生命の根元の少陰)が切れてしまうとき に使う代表的な薬なのですね。

だからこれは結構、最近 は外科で解っているところは使います。使うところは、消化器の術後の患者に、一律に十全大補湯を出しているところがあるのです。漢方を嫌うところは全然使 いませんけどね。好みが分かれます。でもそれを使っているところでは、それで術後のリカバリーが全然違うとはっきり報告しています。だから私は、そういう 報告を無視して使わないところの方が、本来は犯罪的ではないかなと思うのです。明らかに術後、自力摂取が早くできてリハビリに入るまでの期間が全然違うと いう事が報告されているのです。それぐらい十全大補湯は、生命の根源を持ち上げていっているのです。そういう意味では十全大補湯の方が、補中益気湯よりは るかに価値あります。

十全大補湯の方は若い人 に使います。よく似ているけれど、人参養栄湯はもう少しお年寄りの方に使います。もともとお年寄りですから、出したからといつて、すごく早く元気になるわ けではないけれど、若い人はこういうイベントに遭ったときには、十全大補湯を出すことで全然その後の社会復帰への度合いが違ってきます。非常に価値がある 薬です。

こういう状態以外ではほ とんど、十全大補湯の状態に遭遇することがありません。強いて言うならば、八味地黄丸とかああいうものが胃に障る人に処方する時、この十全大補湯に附子を 加えると障らない場合があるので、そういう使い方をすることはありますが、それはもうどちらかといったら例外ですね。やはりほとんど、不内外因による生命 力が停滞した状態ということで使います。これは結構たくさんの方に使っています。

それで今日はだいたい時 間が参りましたのでこれで終わらせていただきますが、また何か質問があれば今お受けします。

 

Q

葛根湯とかで、葛根湯の 証がだらだら続くというのは、製剤がそれに十分反応するだけの力がないのか、それとも投与する薬量が少ないからなのか、どう考えれば良いのでしょうか。

AA

たいていは薬量が少ない 場合が多いです。どうしてもエキス剤の常用量では、はっきり言って足りないのですね。急性期ほどたくさんの薬がいりますので、私の場合だいたい葛根湯は、 体重40キロぐらいの人で常用量を使います。60キロ、80キ ロぐらいになる人の場合は1倍半から、場合によっては倍量 ぐらいまで使います。

エキス剤でこれだけ使う と保険で切られそうかなというとき、葛根湯の桂枝とか麻黄は未で加えてもオーケーですので、これをちょっと末で加えてあげると、エキスをあまり増量しなく ても結構効いてきます。それから石膏なども、少量だったら末で加えてもオーケーなのです。桔梗石膏などもエキスで加えるよりもそういうのをちょっと加える と、案外切れ味良く効くことがあります。

残念ながら葛根はそのま ま未で加えても人間には利用できません。

あくまでエキスだけでや るという場合は、急性期には最低1倍半使わないと効かない ですね。これはほとんどの処方がそうです。桂枝湯も麻黄湯もそうですし、大青竜湯なんかを作るときにもそうです。3分の2以 上ずつを合わせますからね。例えばツムラさんのエキスだったら、麻黄湯を5グ ラムに麻杏甘石湯を5グラムぐらい合わせてそれを1日分にします。やはりそれぐらい使わないと効かないですね。

 

Q

先ほど伝経の話があった のですけれども、陰病に陥った後に、陰病から病気が治る場合には陽病に、1回 戻ってから治るのですか、それとも陰からそのままばっと治るのでしょうか。

AA

陰に入ってしまったら陽 に戻ってくることはあまりないのです。やはりそのままじわっと、陽の症状が消えていって陰の症状だけが残って、その後やられた陰がだんだんリカバリーして くるような感じで戻ることが多いです。でも陰まで入ってしまうと非常に長くかかります。本来、外因病は内因病に変わってはいけないのですが、先ほど結核な どの例でも言ったように、ずっと遷延すると外因病が最終的に内因病に変わる場合も当然出てきます。でもそうなった場合はやはり失敗なのです。

 

Q

十味敗毒湯は、アトビー に使うケースが多いですか。
AA

そのケースは、意外と多 くないです。特に子供のアトビーは一番使うのは柴胡清肝湯です。アイランド状になるアトビーは意外に多くないです。たいていは面状になってしまうので、十 味敗毒湯を使うことはあまり多くないです。アトビーは消風散と荊芥連翹湯あるいは柴胡清肝湯にするか、逆に皮膚を破るために越碑加朮湯と荊芥連翹湯あるい は越碑加朮湯と柴胡清肝湯にします。子供の場合は荊芥連翹湯よりまず柴胡清肝湯を主にします。その組み合わせに、先程言ったような苡仁だとか蘇葉だとか黄 耆、薄荷、たまに香附子とかを使う場合があります。あと当然、子供の場合は治頭瘡一方を基本にしてかぶせていく場合もあります。十味敗毒湯が基本となるの はあまり多くないと思います。大人の場合もどちらかと言ったら、十味敗毒湯の適用になる人はアトビー的なものよりも、貨幣状湿疹のタイブの人が多いです ね。

 

Q

十全大補湯ですけれど も、術後とかに飲ませるとき、どの辺で切っていっていいのでしょうか。
AA

本人の自覚でいいです。 これを服むと元気になるから私はずっと飲みますという人が逆に多いです。本人がすごく分かるのです。術後すぐから飲まされている人だと私の所に来ないわけ です。私のところに来て初めて服んで、すごく元気になったというのが分かると思います。慢性疾患の補う薬で、こんなに本人の自覚がはっきり分かる薬はめっ たにないのです。飲んでいる本人は元気になるから服む。例えば、完全に社会復帰して無我夢中でどんどん仕事ができて、疲れないようになったら黙っていても 来なくなります。そうしたらそれでいいのではないかと思います。十全大補湯で、いや、もう十分飲んだからそろそろやめていいでしょうかと聞かれた記憶はな いのです。ああ、もう元気になったなと思ったらそのうち来なくなります。

 

Q

物の本によると、十全大 補湯は和痛というような言葉がありますが。
AA

結果として少陰が侵され ても痛みが来ます。その痛みだったら当然和らげます。特にこの十全大補湯にちょっと附子を加えてやると 少陰経の痛みには常によく効きます。附子を加えな くても、足腰の衰えによる痛み、特に不内外因が加わっているときに、そこを調べても何の異常もないのにそこに痛みがくるということがあるのですが、そうい う場合の痛みに関しては結構効きます。それは最初の訴えではあまりないのですが、十全大補湯を出しているうちに、そう言えばあっちも痛かったのが良くなっ たよとか、そういう話はよくあります。

 

Q

逆にそうすると少陰以外 の原因の痛みには効かないということですか。
AA

そうです。

 

Q

最近髄膜炎があり、エ コーウイルスが出ているのですがどうでしょ
AA

診ていないので解らない です。普通は髄膜炎というのは前言ったように承気湯証のことが多いのです。便秘等して、熱がこもっているような状態たったら、経験的に言えば承気湯を使っ てみるのがいいと思います。調胃承気湯とか、大承気湯でもいいですね。

 

Q

葛根湯とか麻黄湯とかは どうでしょうか。

AA

完全に葛根湯や麻黄湯の 証があれば効くのかもしれませんが、あるいは大青竜湯みたいなものも効くのかもしれませんけど、実際に髄膜炎を診ていないからちょっと解らないですね。

ただ承気湯は、経験的に 逆に明らかな何か精神症状が出ているぐらいの方が、かえって効くのですね。小児科でないものですから私も使っていませんので、何とも言えないのです。

よろしいでしょうか。そ れでは来月はお休みですので、9月にまたお目にかかりま す。

 

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