17回【さっぽろ下田塾】平 成15620

 

実はこれは私がいつも持 ち歩くものです。飛行機などに乗っている時、急病人が出て診察することがあるのです。大中小の円皮鍼、シール、 皮内鍼、耳の鍼、酒精綿、それと漢方薬は葛根湯、桂麻各半湯、葛根湯加川芎辛夷、それから芍薬甘草湯、大黄甘草湯、五苓散、これぐらいを持ち歩きます。
これを持って行けば大抵のことはできます。西洋医学しかやっていない医者は、聴診器1つ持って歩いたって何もできないのですね。飛行機の中であろうがどこであ ろうが、大抵の応急手当はできます。診断もできるし治療もできます。

実は、私のいる山の中の 町ですが、インフルエンザ流行のときにもその患者が、全然出なくなったという話をしましたよね。それから医療費がだいたい国保ベースで年間9000万 円ぐらい下がったという話をしましたね。この間、もうひとつ、地域の保健婦さんが話をしてくれたので、少しびっくりしたことがあります。65歳以上から74歳 までは前期高齢者と言い、75歳以上を後期高齢者と言いま す。私の町のだいたいの人口は、私が行ったころは3,300人 で、この8年間で3,100人になりましたが、あまり全体の数は違っていないのです。それ以 前の数年間もそんなに変わっていなかったのですが、75歳 以上の後期高齢者の人口が、僕が行くまではだいたい330人 ぐらいで、その前の10年、10年、10年 とずっと統計を取っていっても変わっていなかったのです。もっと人口が多かった時もずっと変わっていなかったのです。

ところが、私が行ってか らちょうど8年たつのですが、突然、後期高齢者の数が増え て、現在では460人ぐらいになっているのです。要するに それまでずっと人数が変わらなかったいうのはどういうことかというと、年を取ったらどんどん死んでいたということなのですね。僕が来てから75歳以上の人が、よそからあの山の中にどんどん移り住んできたわけじやな いのです。死ななくなって増えたのです。
実は、途中で気づいて、地域医療研究会というところの集まりで私が、「いやあ、最近うちの町では年寄りが死ななくなったんだよ ね」と言ったら、「そんなばかな、それじゃ年寄りばかりになるじやないかJと 言われて、そうかな、私の思い過ごしかなと思っていたのですがやっぱり死ななくなったのです。死ななくなっただけじゃなくて入院しなくなったのです。だか ら医療費が下がったのです。町の医療費というのは、別にうちだけの問題じやなくて、どこに入院しようが全部医療費として表れるのですね。要するにお年寄り が入院しなくて、非常に元気で、しかも実際に私が行った頃、90歳 を超す人というのは本当に数えるほどしかいなかったのですが、今はもう100歳 を筆頭に90歳を超しても、おうちで畑を耕しながら元気で 暮らしている人がいっぱいいるのです。なぜでしょうか。

やはり一番大きいのは、 この鍼と漢方を完全に一致させながらやる診断と治療なのです。1つ はもちろん漢方を服んでいると非常に元気でいられます。でも、普通に田舎で診療をやろうとしたら、設備が何もないので診断もできないし治療もできないの で、どうしても何かちょっと変な状態があると、大病院に送って、診断してもらって治療してもらおうとするのですが、送ると入院させられます。そうすると確 実に弱っていきます。だいたい大病院に入院すると、年寄りというのは間違いなく寿命が縮みます。

初めて私が行った時、そ れまで全然医療を受けていなかった人が多かったので、最初の1年 ぐらいは毎日のように紹介状を書いたり、どうしようもない例もあったのですが、1年 たったらほとんど紹介する人もいなくなって、大抵、在宅あるいは通院で診ていくようになり、入院する人がどんどん減ってきました。

だから次の年ぐらいには 医療費がそれだけ変わってきたのです。

数字で示せるだけのこん な医療ができるのです。保健婦が言っていましたけれど、全道的に際立っていると言うのです。言われて、ああ、やっぱりそうだったんだとわかりました。全道 の他の同じ規模の町村で、この10年ぐらいの間に突然、後 期高齢者がこんなに増えているところは無いのです。札幌で120人 増えたのだったら大したことはないのです。それまで何十年も後期高齢者が330人 ぐらいしかいなかったところが突然450人に一気に増えた のです。人口が8,000人いたころでも330人ぐらいしかいなかったのです。それまではどんどん年を取るにつれて 亡くなっていたのです。鍼と漢方を完全に一致させながらやっていくというのは、それだけの診断と治療ができます。それだけの診断、治療をしてもなおかつ大 病院まで送らないといけない疾患となったら本当に数少なくなってきます。やっぱり最後は癌ですね。でも癌の場合だって、例えば90歳を過ぎて大往生しようとしている人は、別に癌が見つかっても、「い や、もうこのままでいいです」と言って病院には行かないのです。

癌が増えてきているとい うけれど、ほかの生活習慣病全部を何とかクリアしてしまったら、死ねる病気は癌しかないですものね。だから仕方なしに癌は増えているみたいな形になってい ます。それだって満足して大往生すればそれでいいのでしょう。

私が行ったころは月に1例や2例 ぐらい心筋梗塞が出ていたのですが、今、心筋梗塞の患者は、例えばこの1年 間では1人ぐらいです。要するに日常的に管理してしまう と、そういう病気は出なくなってしまいます。だから今の地域医療とか、プライマリーケアというと、何かすぐ救急医療とかが表に出ますが、「救急を出さない 医療」の方が本当は絶対大切ですよね。活き活きと生きていけるということ、そういうことが間違いなくできます。必ずできるようになりますので、皆さん頑 張ってください。だからいつもこれだけ持ち歩いていれば何とかなります。現実にやっぱり列車の中とか飛行機の中などで、何度かはこういうのを使ってお世話 させてもらったことがあります。

一臓診断の話をずっとし ていますが、一臓診断していますか? とにかく一臓診断からしてください。それが一番簡単です。それも耳診での一臓診断というのが一番簡単です。この探触 子は旭川から来ている先生が探し出してきてくれたのです。このマークは僕が付けました。耳のつぼを探るバネ式になっています。セイリンかどこかで、通信販 売しているので手に入ります。かなり確率がいいのです。これを山下先生が持ってきてくれてから、僕のところに勉強に来る先生方に使ってもらっています。先 に予診を取ってもらうのですが、その診断法というのは、いつも言っているように望聞問切です。望診ができるようになったら勉強に来る必要がないわけで、僕 だって外れるときもありますから、望診は最後の目標であって、そんなに簡単にできっこないのです。聞診も経験の積み重ねがないと、匂いや声、せき、そうい うのを聞いただけで診断するのは、かなり熟練しないくちゃできません。問診もやっぱり結構大変ですよね。西洋医学だってそうですね。適切な問診ができるた めには、その専門分野の疾患に習熟していないとできないですね。だからやっぱり最初は切診なのです。

本来、脈診も舌診も腹診 も、これはもう全部切診なのだと前に言いましたね。舌診を望診と書いてある本がほとんどなのですが、これは違います。全体を丸ごとつかむのが望診であっ て、細かく見るのは切診なのです。

私のところで先生方に やってもらっているのは主に脈診と腹診ともう一つ脈診に近いものとして、原穴というのを探ってもらっています。それと、これ(耳の穴を探る器具)が手に 入ってから耳穴の診断をやってもらっています。切診の中で一番難しいのはもちろん脈診ですね。でも脈診がきちんと取れればやっぱりそれが一番なのですが、 なかなか難しいのです。そして原穴は意外とはずれることがあるのですね。原穴診断は、いわゆる三陰を太陰か厥陰か少陰かを診断するのに、足の原穴3か所を探るのですが、原穴は結構難しいですね(太陰の原穴は太白、厥陰は 太衝、、少陰は太谿)。原穴診断と耳穴診断のどちらが結果として合っているかというと、だいたい耳穴の方が脈診の方に合っていることが多いのです。しかも 耳穴の場合は太陰か少陰か厥陰かだけじやなくて、太陰の肺なのか、脾なのか、少陰の心なのか、腎なのかまで、要するに五臓の診断までができます。かなり有 効です。

そこで一臓診断をしてす ぐ耳鍼を置いてもいいのですが、順番としては最初に問診をし、脈診をし、原穴反応を診て脈診をし、舌に証があれば舌診をし、次に原穴反応を診て、そして腹 診は、例えば胸脇苦満があるかとか、おなかのどこに冷えがあるかとか、それから瘀血があるかとか、そういうのをとらえて、ほとんどそれだけの診断で、実際 には鍼をその場でし、(要するに診断が間違っていたら鍼は効かない)、診断が確定すればそれに従って処方をします。その繰り返しだけなのです。非常にシン プルなのですが、シンプルなだけに非常に難しいのは難しいのです。

でもこれ(探触子)は通 信販売で売っているということですから、手に入れてみると箸の先でやるよりもいいかもしれません。もちろんこれも外れるときもあります。でも、これを使い 始めてからは脈診とずれるのが10分の1ぐらいです。というより、10人 に1人ぐらい全然耳穴が反応しない人がいるのです。どこを 触っても痛くないとか、無理やり触ればそこが痛いかなというような人が10人 に1人ぐらいいます。だから原穴で診るよりももっと確率が いいのです。ぜひ手に入れてやってみてください。

この間は柴胡桂枝湯まで 話をしました。柴胡桂枝湯の腹証ですが中中の圧痛が非常に特徴的な のだという話をしましたね。この圧痛の事はなぜか分からないのですが、誰の本にも書いていないのです。

そして胸脇苦満があり、 腹直筋の攣急があります。なぜ中の圧痛が書かれていない のか不思議でしようがないのですが、柴胡桂枝湯の人には必ずこれがあります。四物湯の腹証(鼠径部の圧痛)が、小川先生の本に書かれる以外、他の本に書か れていない理由は、多分昔はそんなところを触らなかったからだろうということですね。糸脈という言葉があるぐらいですから。糸脈は知っていますね。これに なると判じ物なのです。昔ほ高貴な人の体に触ることもできなかったので手に糸を巻いて、その糸の端を医者が持って、糸で脈を取ったというのですが、それを 糸脈というのです。そんなものでいくら何でも診断はつかないと思います。結局、脈を取るふりをして、かなり経験のある人だったら、望聞問だけでも診断がつ いて、体には触らないで脈を取ったふりをしてやっていたのではないかなと思います。

誰だったかな、昔、すご い脈診の名手というのがいて、皇帝がそれを試してやろうとして、カーテンの陰から右の手と左の手が似た様な二本の手、しかも一方は男性でもう一方は女性の 手を出させて一人の人間みたいにして脈をとらせたという話があるのです。昔の貴族だから男性も女性も手はきれいだったのですね。そうしたら、それをきちん と見抜いたという伝説があって、1人の人になぜか別々の人 間の脈が出ていると、これはどういうわけか私には分かりませんけれども、なんて答えたという人の話があるのです。

私はそこまでまだいって いないので、多分何て変な脈なのだろうと戸惑うだけだと思います。脈診も名人になるとそういうふうになるのだと書かれていますが、でもそういう名人でも糸 脈はうそだと思います。だって3カ所の脈を1本の糸で取れるわけはないですね。そして脈の深さも全部取れるわけがない ので、たぶん望聞問でやったのを、脈を診たふりをしたのだろうと思います。

次が当帰四逆加呉茱萸生 姜湯です。これは四逆散じやなく四逆湯の流れですね。ただ四逆散と四逆湯はこの付近になると、見た目は非常に近くはなってきます。基本では四逆散と四逆湯 の大きな違いは前にも言いましたが、四逆散は体の芯は熱く、四肢は冷えており、四逆湯は体の芯も冷えていて、四肢も冷えているということです。四逆散の場 合、交感神経緊張による血行障害ですから、何となくどす黒い感じか循環障害という感じで、不足という感じではないのです。 四逆散の状態のときというのは、緊張が取れているときは結構普通に血が巡っています。だから一時的な不足を生んでいるのです。

ところが、四逆湯の状態 というのは、本来反応性のものではなくて体質的なものですから、体質的に血行不足があるので、いつも皮膚が淡いピンクで、常日頃血流がないなというような 感じになります。

抑肝散加陳皮半夏とこの 当帰四逆加呉茱萸生姜湯の大きな違いというのは、どちらかといったら、抑肝散加陳皮半夏が霜焼け的な感じであり、当帰四逆加呉茱萸生姜湯は何かあかぎれ的 な感じで色があまり良くないのです。冬場の霜焼けみたいな感じになっているのが抑肝散加陳皮半夏です。ピンクっぽくてかさかさになっていて、血が十分通わ なかったために冬にあかぎれになるのが当帰四逆加呉茱萸生姜湯です。手足が冷たい患者さんを問診する時は霜焼けになりますか?、あかぎれになりますか?と 私は聞いているような気がしますね。あかぎれに冬中なる人は、基本的に当帰四逆加呉茱萸生姜湯と思って診ています。

だから、この当帰四逆加 呉茱萸生姜湯の人も寒冷で悪化します。この適用の方の病状というのは、寒冷、寒さにあうと増強するのですが、この場合の寒さというのは冬の寒さです。冬は 普通の人は逆に寒さにやられないのです。冬は体の表面を閉じていますから。人間というのは冬の方が寒さに強いのですよ。冬の期間で誰もが寒いとき、体の表 面を閉じても寒さにやられるという人がこの当帰四逆加呉茱萸生姜湯なのです。

普通の人が1年中で一番寒さにやられるのはいつかといったら、それは前も言ったと思い ますが、ついこの間までの5月の初めから6月の初め頃までです。変な風邪をひいたり、非常にあちらこちら痛がってい る人が結構皆さんのところに来たかもしれません。5月の初 め、二十四節気の暦を出してみると分かりますが、立夏のときに衛気は夏の支配になり、心の支配に入りますね。(添付図)人間の体の表面が心の支配に入りま すと、精いっぱい動き回るためにすべてを開きます。

このときに外気温も上 がってくれれば万々歳で、何の問題もなく動けるのです。内地では結構この時期にはもう温度が上がるので、あまりこういう病気というのは出てこないのです が、北海道はこの頃、結構リラ冷えにぶつかるのです。そうすると衛がこの時期で心の支配になって全部開いていて、営、即ち体の内部はまだこの後1カ月の間太陰経を回っているので内部の火がまだ燃えないのです。分かりま すね。そしてちょうどこの後の芒種のときから営血も少陰経を回りだすので、ここから内部の心の火が燃えてくるのです。だから、5月の初めから6月 の初めの時期は、体の表面は開いているのに内部の火が十分燃えないので、外気が寒いと一番弱いのです。

この時期に寒さにやられ るのは当帰四逆加呉茱萸生姜湯の人じゃないのです。どういう人かというと、意外に太陰経の人です。太陰経の人というのは、やっぱり肺や脾の働きが本質的に は弱いわけです。そして、体の表面の防衛力が弱いから、外からの邪が入ってきやすいのです。なおかつその前に、これも表を見れば分かるように営血は立春か らずっと太陰なのです。太陰経が営血を一生懸命働かせているのです。しかも立夏の前の十何日間、いわゆる春の土用に脾は更に精いっぱい働いているのです。 要するに、太陰が手いっぱい働いて、いっぱいいっぱいになってきているところに、外が寒くなると、外部が侵入してきてやられてしまうのです。このときに、 脾が非常に損なわれると、脾の大絡というところに発症します。これは去年もお話したと思うのですが、外部が大包というところに入って、本当に全身、すべて の関節が緩んだようになってしまって、力が抜けてしまって節々全部が痛くなります。これは「太素」にしか書いていないのですが、大包というのはそういう時 に一番やられやすいのです。こういう人に使う薬は当帰四逆加呉茱萸生姜湯じゃないのです。何ですか? まだ話していない。

本来寒がりの人が寒い時 期に、普通の人だったらガードできるのにできないで、自然にやられたら、この当帰四逆加呉茱萸生姜湯ですね。ところが、緩んでしまった初夏の時期に(特に 太陰経の人に多いのですが)、「夏になったし、少し薄着でいるか」と思って、思いがけない寒さの中でじっと我慢して半日いたりして、その後具合が悪くなる という人もよくいますよね。このときに一番効く薬は何なのかというと、これは五積散なのです。

一応、この当帰四逆加呉 茱萸生姜湯はそういうことです。ちょっと脱線しましたけど、冬の本来寒い時期に、普通の周りのほかの人は、「今日はしばれたね」と言いながら平気でいるの に、どんどんあかぎれが出来てきて、血行不良になってきて、いろいろ体の不調を起こすというのがこの当帰四逆加呉茱萸生姜湯の人です。ただし最初に言った ように、これくらいのレベルになると、抑肝散加陳皮半夏と、当帰四逆加呉茱萸生姜湯の証というのはかなり入り交じっています。

厳密に区別しようとすれ ば、肝が主だったら 抑肝散加陳皮半夏です。当帰四逆加呉茱萸生姜湯は、一臓診断では心か腎で少陰ですね。ただ冬場というのは非常に、心や腎の診断という のは難しくなるのです。だからどうしても一臓診断が難しくなると、思い切って黙って目をつぶって二方を混ぜてしまいます。そうするとだいたい何とかなりま す。要するに暑いか寒いかよく分からないけど手足が冷えて痛がっている、そういう状態のときに混ぜます。

レイノー病というか 白 ろう病の人によく混ぜて使いますね。そうすると、結構症状は良くなるのです。前に言ったかと思うのですが、白ろう病の人は良くなると来なくなるのですね。 労災病院に戻っていってしまう。これは声を大にして言ったら怒られたのであまり公には言えないのです。営林署関係の集まりのときにそれを言ったのですが、 すごく反論されました。良くなると来なくなると言いましたら、気色ばんで反論されました。やっぱり禁句みたいになっています。チェーンソーを使わなくなっ てしまっていますから、新規の発生がいないのです。だから今までになってしまった人は最後まで一生労災補償をしながら、そっとクリアするのを待とうとして いるみたいで、もうどういう治療をするとか、そういうことは触れられたくないみたいです。一応、営林署の産業医をしているのですが、それ以来一切、白ろう 病については発言しないことにしています。

でも現実には飲ませると 明らかに良くなります。室内で見ているから良いとか、医者の目の前で見れば良くなった例はいくらでもあるのだとか言います。でも、今まで同じ環境で何度見 ても良くなかったのに、投薬したら明らかに来るたびに良いわけでして、同じ条件で見ていて明らかに違うのです。これはそういうことで、そんなにたくさん使 うお薬ではないけど、決して悪い薬ではないのです。

次は柴陥湯です。この付 近の薬は、使う例はだんだん多くはなくなっています。小柴胡湯と小陥胸湯というものの合方なのです。形としては柴胡瀉心湯ということで、消炎作用としては かなり強いものです。だから逆に使いにくい面もあります。柴胡、黄連、黄芩という格好で使うと、やっぱり人参や大棗、生姜等を入れて緩和していても、かな りこたえるのです。一応昔はこれを滲出性の胸膜炎等に使っていたというのですが、実際にどれぐらい使えたのでしょうか。エキス剤でさえも現実に使うと、か なりいい場合もあるのですが、大抵はやはり効き過ぎで、それほど使えないのです。今日たまたま1人 使ったのですが、その方も3分の2量ぐらいで、さらに人参や黄耆を加えて出しました。

要するに、小柴胡湯は本 来どちらかといったら横隔膜下の病気が多いのです。横隔膜上でも多少のものだったら小柴胡湯だけで治療することもあります。

柴陥湯はかなり強い炎症 があってかなり体力がある人で、しかも明らかな胸部症状だけではなく、痰を伴うものに使います。うまく合えば切れ味はいいのですが、現実に今この状態にな る疾患があるかといったら、そんなにないのです。結核が野放しになって滲出性の胸膜炎の状態で我々が初診することはないのです。

その状態だったらまず結 核を疑って、抗結核薬の治療を優先しますし、そういう疾患を除いてしまうと、慢性の疾患で、この付近(横隔膜上)に炎症があって、痰を伴って、胸痛を伴っ て、しかもなおかつ体力を頑強に保っているというのは、ちょっと現実には理論的にバラドックスみたいなもので滅多にないですね。年を取って慢性化したもの だったらそんなに体力がないですね。だから、なかなか使いにくいかもしれません。それでもやっぱりどちらかといったら体を守るよりも炎症を叩きたいなとい う人に、僕の場合は用心しながら紅参や黄耆を加えて処方します。3分 の2ぐらいの量ですね。そういう使い方をすればいいかなと 思います。

ほとんど慢性気管支炎、 胸膜炎、慢性間質性肺炎等に使うのですが、今言ったようなことで、瀉心湯の形をとっているのですが、やっぱり主はむしろ太陰の肺に病巣があるか、厥陰の肝 にあるか、どちらかだと思います。今日の人は肝の方が主だったと思いますね。肺の方に熱を持っているか、肝の方に熱を持っているか、どちらかだと思いま す。

でも、私のところで柴陥 湯という処方をしたのは3年ぶりぐらいです。それくらい少 ないのです。

間質性肺炎とかは後で出 てくるのですが、辛夷清肺湯とか、清肺湯とか、滋陰至宝湯とか、本当にそういう補う薬に、どちらかといったら西洋薬のミノマイシンとかエリスロマイシン等 を併用して治療している例の方が多いのです。抗生物質はうまく使えば必ずしも悪いとは私は思っていません。

次は炙甘草湯です。これ は結構有名な薬ですね。実は木防已湯に非常に似ているのです。でも大きな違いがあるのは、木防已湯は水があふれて、炙甘草湯はどちらかといったら水が不足 していることが多いのです。しかし、炙甘草湯は全身はもしかしたら水が多いこともあるかもしれません。少なくとも循環系に関して言えば、炙甘草湯の方は水 が十分巡っていないのです。木防已湯はあふれています。どちらも水に関しては結果としては整えようとするのです。要するに、循環系内の水を正常化するので す。木防已湯の場合は全身も水があふれていることが多いのですが、炙甘草湯の場合には、むくんでいる状態にも使うこともありますし、明らかに脱水状態のと きに使うこともあります。ちょっと微妙ですがただ循環系は不足しているのです。

炙甘草湯が非常に有名に なったのは、福岡の山本先生という日本で一番初めに循環器専門医として漢方を採り入れた医師が、24時 間心電図が日本に入ってきてまだ間もない頃、この処方について発表したからです。ペースメーカーでも何でもどんどんやる先生が、それも24時間心電図ですごく沢山の数を、炙甘草湯とその当時のアミサリンでどち らがより不整脈を取り除くか比較しているのです。そうしたら別に炙甘草湯の方が良かったわけではないのですが、アミサリンとの間に優位差はなかったという 報告を出したのです。

でもその後もその先生 は、不整脈に対する漢方の効果について発表していたのですが、そのうち、木防已湯でも、人参湯でもいいよという事をだんだん発表し始めたのです。

私は友達ですから「先 生、結局効いているのは人参じやないの」と言ったら、「いや、そうかもしれない」と言っていました。

前にもお話しましたが、 ほとんどの本が西洋医学でいう心を東洋医学でも心に含めて書いていますけれど、どうも違うのです。西洋医学でいう心肺総合機能は肺なのです。それを支える 脾と、肺の共同作業が西洋医学でいう心肺なのです。だから人参が効くのだということになります。場合によっては黄耆を含めて、参耆剤が効くのだというのが 解ってきました。東洋医学でいう心は、冠状動脈と脳血管と脳の働きそのものだというようなのが解ってきたのは炙甘草湯のおかげなのです。

炙甘草湯というのはテキ ストを見れば分かるように、実はほとんど少陰経に効く薬は入っていないのです。強いて言えば生地黄でしょうか。でも重要なのはやっぱり人参とか、肺や脾に 働く薬が中心なのです。にもかかわらず不整脈を良くするのです。木防已湯、人参湯と共通しているのが全部人参なのです。

しかも、山本先生の話を 聞いていると、どういう不整脈に効くかというと、補充収縮です。補充収縮というのは、解るように、潜在的に心不全があって、普通に打っているのでは足りな いから補充収縮するのです。例えば本当の調律障害、例えば心房細動とかそういうものには効きません。あるいはAVブ ロックだとか、ああいうものによる不整脈にはあまり効きません。全然ではないですよ。AVブ ロック等にも潜在的な心不全を伴うようなものはありますから。そういうものには効くみたいです。

要するに、潜在的に心不 全があって、脈管内に水があふれていて、ちょっとオーバーフローになっていると木防已湯になります。逆に不足して循環不足に陥っているときは炙甘草湯にな ります。どちらのケースかを見極めるというのは、これは東洋医学でもかなり難しい面はあります。だから木防已湯と炙甘草湯はこの三重円の分類でもほとんど 隣り合わせにあります。しかも補瀉もほとんど同じです。これは同じ位置に書いていてもいいぐらい似通っています。同じ位置に同時に書くことができないから たまたま並べて書いているだけで、ほとんど同じです。

違いはじゃあどこで見る かというと、これは何度も言っていますが、違いは水ですよね。これが一番分かりやすい。さらに強いて言うと、木防已湯というのも熱がある場合があるのです が、たいていは冷えています。でもたまに熱があることがあるので油断できないのですが、一般的に木防已湯は水があふれていて、冷たい舌をしていることが多 いのです。炙甘草湯はちょっと水が不足していて赤っぽい舌をしていることが多いです。どちらにしても明らかな心不全を感じ、やっぱり太陰経の全体的な衰え というのを感じるとか、それがしかも循環系の症状、動悸だとか息切れだとかそういうものを出していたらこの二方のどちらかです。ちなみに木防已湯は前に 言ったようにエキス剤ではあまり効きません。木防已湯の場合エキス剤で効かせようとしたら大変です。人参なんか加えてもなかなかあまり効きません。やっぱ り水があふれている状態というのは、より重篤なのですかね。だからこの系統で効かせようとするならば、どうしても煎じ薬になってしまいます。煎じ薬にする ときは、かなりよく効かせるために蘇子を加えて増損木防已湯にすることが多いのですね。そのぐらいしないと効きません。人参も大抵私の場合は、6グラムくらいを使います。

ところが炙甘草湯の場合 は意外とエキス剤できちんと効くのです。しかもエキス剤で十分でなければ参耆組の、紅参と黄耆ぐらいを加えてあげると非常によく効きます。だから炙甘草湯 はエキス剤として使いやすいのです。うまくいけば明らかに循環状態が良くなってきますし、脈だけで分かります。いわゆる西洋医学的な脈診で、明らかに期外 収縮が減るのが分かります。ホルターをやれればもっといいのですが、ホルターでなくても1回 の心電図でも期外収縮が頻発している人が、2週間飲ませた 後の状況で10分の1ぐらいに減っているというのはざらです。それくらい非常に切れ味がいいの です。こちらの方は易しいのでしょうね。木防已湯の状態の方がやっぱり重症で難しいです。

木防已湯の状態は、西洋 医学的には胸部写真が一番はっきり出ます。木防已湯の方は、1Xpを お見せしたいぐらいの人がいるのです。心胸比が7080%あったのが5060%にすっと縮んだりする例はいくらでもあります。木防已湯は、うまくい けばこれくらい患者さんが良くなります。

炙甘草湯はなかなかいい 薬です。動悸とか心下痞とかテキストに書いてありますけれど、これは要するに心不全に伴う症状であって、別に炙甘草湯の証とも言えないのです。心不全の患 者さんを見れば、こういう状態というのは全部あると思います。循環不足系の心不全の患者さんというのはみんなそういう症状がありますよね。手足がほてった りとか、心悸亢進とか不安とかは、炙甘草湯の証というより、西洋医学的にも心不全の状態だと思います。追加のところに書いているのはそういうことです。

次が抑肝散加陳皮半夏で すね。これも何度も今までお話しましたけれど抑肝散は四逆散の変方ですね。四逆散は要するに肝経の緊張です。四逆散で太陰の人というのはほとんどないよう な気がします。だいたい9割から95分 までは肝経ですね。でも中には太陰の人もいますから、人間に起こる現象で、何事も絶対はないのですね。それでもほとんどは肝経です。肝経の人というのは一 所懸命センサーを働かせて、周りに気を配って生きている人です。周りに気を配って疲れるけれど、周りに気を配らないと生きてもいけない人です。これもいつ も言っているように、ストレスを受けながら生きているけれど、ストレスがなくなったら生きていられない人です。同じようでも太陰の人は、ストレスを受けな がら生きているのが嫌で、ストレスから解放されると本当に楽になるのです。

その差があります。大体 肝経の人では、ストレスを受けながら、「いやあ、大変だ、大変だ」と言いながら結構喜んでやっているのじやないかと、好きでやっているのじやないかと思え る人がいますね。あれが肝経の人です。

それで、ただ緊張感だけ あって動いているときは四逆散ですね。もうちょっと肝がへたってくると抑肝散になってきます。肝がへたっても、まだそれなりにバランスが取れていて、たい てい身体症状だけを出して神経があまり弱っていない段階が抑肝散です。でもこの状態でずっと頑張り続けると、神経までまいってきて鬱的になってきます。こ れが抑肝散加陳皮半夏です。最近はこれを軽症うつというのですね。私は昔からそれは抑うつと言っています。太陰のうつを、いわゆる大うつにまでなりうる病 をうつと表現して、厥陰のうつを抑うつと私は表現しているのです。それから太陰のうつのうんと軽い気の流れだけが少し阻害された状態を気うつといいます が、微妙な違いです。なぜこういう言い方をするかというと、うつは本来のうつですが、抑うつというのは抑えられてうつ状態になっていて、うつのように見え るのです。抑肝散の抑もその為につけられたのかもしれませんね。

前も言ったように大きな 違いは、本物の太陰のうつというのは何も考えられない、心の中をのぞいても全然心が動いていない、とにかく心理テストをしても何も反応が出てこないうつな のです。

ところがこの抑肝散加陳 皮半夏のうつ状態というのは、心の中は四逆散の状態のまま激しく揺れ動いているけれど外に対しては動けないのです。そして明らかな精神症状があります。抑 肝散までは身体症状が主です。四逆散もほとんど身体症状しか言わないことが多いのです。聞けばちゃんと精神症状はあるのですが、主訴として四逆散等はただ おなかが痛いとか言って騒ぐだけですね。

何となく胃の調子が悪い とか、何となくけだるいとか、やっぱり抑肝散のレベルまでは身体症状を言います。抑肝散加陳皮半夏になると明らかに精神症状を本人も意識しています。四逆 散の人だったら「心と体がアンバランスなのだけど」と言っても、なかなか心の部分は納得してくれないのです。絶対自分は体の病気だと信じていることが多い のです。抑肝散ぐらいになると「そうかな、どうかな」と思っています。抑肝散加陳皮半夏の人は「心と体がだいぶまいっているね」と言ったらすぐ納得しま す。自分でずっとそう思っています。その他の症状は同じですね。四逆散状態で緊張のために手足が冷たいとか、腹直筋も張っているとか、胸脇苦満もあること が現実には多いのです。本にはあまり書いていないのですがね。柴組ではないので書いてい ないのですが、やっぱりこれは肝気の巡りが悪い状態が当分続いていますので、胸脇苦満がどうしても出てきます。ないこともあるのですが、あることが多いの です。
 それと、抑肝散のときに言いましたように、手足が冷たいけどおなかは手を置いただけで温かいのが解ります。やっぱり軽度の四 逆散という状態です。これは現実にはうちの診療所で使っている1番 目か2番目に多い処方です。それはやはり、今はストレス社 会だからですね。難病もストレス絡みで発症するケースが多いのです。もちろんその人の一番弱いところで発症するのですが、引き金となるものは何かという と、やっぱり現代社会はストレスです。特に、バブル崩壊後は仕事上のストレスというのがすごく多いと思います。バブル前はストレスといったら家族関係とか 恋愛問題とか夫婦関係とか、そちらの方が多かったのですが。バブル後はやっぱり仕事上のストレスです。我慢しながら「首になったら次の働き口がないかもし れない」と思いながら働いているのですね。

バブルのころみたいに 「嫌だ、それだったら辞めてやる」なんて言えないでしょう。休みもおいそれとは取れないのです。そういう絡みなのでしょうね。仕事絡みのストレスがすごい のです。

こんな場合、太陰の人 だったらもう仕方ないなと言ってじっと潜っちやうと思いますね。少陰の人は我関せずで、周りから何と言われようとこつこつとやっています。厥陰の肝の人 は、バブル崩壊しようが何であろうが一所懸命頑張らないと生きていけない人だから、今は一番悲惨かもしれません。だから40代、50代 で受診される人は、やはり一番肝が多いですね。3分の2ぐらい肝のような気がしますね。抑肝散は似ているけど、抑肝散のレベルで 来る人は少ないわけで、そのくらいでとどまっている人は、わざわざあんな山の中まで来ないのです。だから抑肝散加陳皮半夏ぐらいになって、心も体もぐちや ぐちやになってからおいでになる方が非常に多いのです。それから痛みを訴えてくる人が多いので、この抑肝散加陳皮半夏、葛根加朮附湯、苡仁湯と附子、紅参あた りがうちの一番多く使っているベスト5です。ものすごい量 を使っています。

門前の薬局では、附子だ けで月に10キロぐらい出るといっていましたから、大体想 像がつくと思います。でも附子は安いです。紅参が一番高くつきます。

次は竜胆瀉肝湯ですね。 これも多くは使わないけれど、非常に使いでのある薬です。ただし、日本でエキス化されている竜胆瀉肝湯は、どれも柴胡が入っていません。柴胡なしの竜胆瀉 肝湯だと覚えていてください。中医学の本をご覧になったとき、中医学でいう竜胆瀉肝湯は柴胡が入っています。だから、かなり違う薬だというのをひとつ覚え ておいてください。

まず日本の竜胆瀉肝湯の 考え方は、柴胡が入っていても入っていなくても目的とする部分はかなり似てはくるのです。

ところでリンドウです が、なぜあれは竜胆というのか、話したことはなかったですか。これはやっぱり伝説があり、熊胆(ユウタン)、これは何なのかといったら、いわゆる腹痛の薬 です。非常にいい薬です。実際のところ、動物生薬というのは持続性がないのですが即効性があります。私は子供のときこれを飲まされたことがあります。学校 に行く途中でとにかくおなかが痛くて動けなくなった時、道端の女の人がこれを飲んでいけと言って飲ませてくれました。この熊胆というのは本当に苦いので す。でも飲み干しておなかに入った途端に痛みがすうっととれました。それで学校に行けました。すごかったですね。
 それで唐土のこういうような話があるめです。要するに偉い孝行息子の話です。いつもおっかさんがおなかを痛がります。貧乏な おうちだったのだけれど、高いお金を出して熊の胆(クマノイ)を買い求めて、おっかさんに飲ませていました。だけどある冬に熊の胆もなくなってしまって、 お金もないし、おっかさんに「とにかく何とかしてくれ、手に入れてくれ」と言われたので冬の山に行って、何とか熊を捕ろうと山に入って行った。けれど当然 捕れない。それでもう行き倒れになって、いよいよ凍死しそうになったときに、神様が現れて雪を溶かしてくれたと。そして「お前の孝行に免じて、熊の胆の代 わりに、いつでも採れるもっといい竜の胆をあげるぞ」と言った時、そこに花が咲いてきた。それがリンドウだったというのです。

これはあくまでもお話で すが、竜胆という名前もこの熊胆に負けないというくらい痛みを抑えるという意味です。要するに、肝胆経に急拍痘状を出すような病気を去る、熊胆に負けない 薬というのです。熊より竜の方が偉いわけじゃないですか。そういうわけなのだろうということで、リンドウが竜胆という名前になったのです。すごいでしょ う。何でもそういう話があるのですよね。

孟宗竹もそうでしょう。 これもやっぱりおっかさんがらみなのです。孟宗のおっかさんも無理ばかり言うのですね。要するに冬に竹の子が食べたいとおっかさんに言われ山へ分け入った けれど、やっぱり遭難しそうになった時、神様が現れて、生やしてくれた竹が孟宗竹なのです。それを採っていっておっかさんに食べさせたという話です。孟宗 竹のおっかさんは食い意地が張っていますね。

いずれにせよ、竜胆を中 心として肝胆経の熱症状を瀉す薬が竜胆瀉肝湯です。

肝胆経に熱を持つと、肝 火上炎というか、肝陽上亢というか、肝気が上に上がってのぼせ感が出ます。心火が上がるのとはまたちょっと違うのです。心火が上がるときは、たいてい腎の 不足があって、心火が上がることが多いので、そのときはおでこまで赤くなります。肝火が上がるときは全体的にぼうっと上気するので、気の上衝とも違うので すね。肝陽上亢というのは、緊張感のあるような、肩凝りなんかを伴って、ぐっと肩に力が入ったような感じで上がります。それと同時になぜか、これは湿熱下 注というのですが、下半身に何か嫌な感じの炎症があるのです。いろいろなパターンがあります。この竜胆瀉肝湯というのは、大抵両方の特徴を持っています。 だからこれを使って両方に効いちやうのですよね。のぼせや上半身の熱症状は、例えば柴胡桂枝乾姜湯みたいに上半身なんかに汗をかくわけじやないのですね。 熱がこもるようなものでも気の上昇でもないですね。桂皮なんかで発散できるような感じでもないのです。黄連とか黄芩等で冷まさなければならないような本当 に厄介な熱です。

一方で下半身の熱症状と いうのは、いろいろさまざまです。過去に経験したのは、難治性の潰瘍を足につくっていたとか。足先の糖尿病性のものみたいなのとは違って、下半身に訳の分 からない慢性の化膿性の疾患をずっと延々と作っていたとかです。それと人間の場合は、やはり本来は四足動物ですから、上半身と下半身は図の様になっていま す。

上半身で一番高いところ は指先と顔です。頭はもうちょっと高いかな。アトピー性皮膚炎等の人は、最後はお顔に一番集まりやすいのはそのためです。アトピー性皮膚炎の人も20人に1人 ぐらい下半身の一番下でお尻に集まるのがやっぱり一番多いですが、一番下の足の指に集まることもあります。竜胆瀉肝湯はだいたいこの一帯にそういう炎症を つくることが多いですね。経絡の流れから行くと、足の先が一番下なのです。でも一応お尻から下半身です。だから、繰り返す膀胱炎や尿路の疾患も起きます。

それと、ベーチェットで 一番初めに書かれた薬は温清飲だと前に言いましたが、私は温清飲よりもむしろ竜胆瀉肝湯を使っている例が多いのです。温清飲はどちらかといったら、アフタ 等にはよく効くのですが、陰部の潰瘍にはあまり効かないのです。もちろん温清飲と併用するときもありますが。でも竜胆瀉肝湯を現実に使うときは、上半身は のぼせて肩が凝って、非常に緊張感があって、それにいつも潰瘍があり、それとやっぱり慢性の膀胱炎を繰り返す方ですね。慢性の膀胱炎を繰り返すだけだった ら日本の竜胆瀉肝湯で十分なのです。柴胡は要らないですね。むしろ柴胡がない方がかえっていいかもしれません。柴胡があると上の方に効く部分が多くなり過 ぎます。膀胱炎の症状に対して、なぜか解らないけれど、竜胆瀉肝湯が使われているうちに尿路疾患にしか使われなくなったのではないかと思います。それで柴 胡がいつの間にか入らなくなったみたいです。慢性の尿路疾患のときはやはり柴胡が入っていない方がかえって切れ味がいいかもしれません。

ところがそういう、ベー チェット等を始めとして、いわゆる肝火上炎と湿熱下注の両方が非常に強く出ているような状態のときは、何らかの柴胡剤と合わせた方がいいのです。よく四逆 散等と合わせることもありますし、抑肝散と合わせることもあります。加味帰脾湯や加味逍遙散と合わせることもあります。

ほかのエキス剤と合わせ られないなと、完全に中医の竜胆瀉肝湯だなと思うときは、私は始めから柴胡と芍薬を末で加えます。末で加えるときはほんの少量でいいのです。場合によって は柴胡を05グ ラム、芍薬を1グラムぐらいの末でも十分効果があります。 要するに中医の竜胆瀉肝湯と同じにするために末で加えると切れ味が良くなります。

テキストにメニエールや 中耳炎、結膜炎等にもと書いてありますが、メニエール以降はほかの人の経験で、私はあまり使ったことがないのです。べーチェットぐらいまではよく使いま す。ということで竜胆瀉肝湯は、非常に使いでがある薬ではあります。

それから磁石、五味子を 加えて耳鳴り、難聴に使います。一時的にかなり使ったのですが、ただ五味子というのは末のままではちょっと吸収しにくいので、五味子が入っているほかの製 剤の小青龍湯等とちょっと混ぜたり、あるいは五味子と甘草ぐらいで煎じるようにして加えたりしていました。

それと磁石は、これも書 いてはいますが、実はどれくらい吸収されるか分からないのですね。磁石の粉をそのまま飲むのです。実は磁石はある時まで完全なパウダーで規格化されていま したが、突然、魂でしか使えなくなりました。安い薬で、2週 間分で2000円ぐらいにしかならないのですが、薬局の人 が腱鞘炎になるぐらい、とんかちで砕かなければならなくなったので、使用を減らしています。

でも、この竜胆瀉肝湯と 磁石、五味子でやると、やはり、かなり治るのが早いような気がします。突発性難聴や耳鳴りの人というのは、大体10人中9人 までは肝です。肝の人は治ります。だいたい年間十数人来るのですが、10人 のうち9人までは治るか軽減します。2週間以内に来て、鍼をしたらその場で耳鳴りが消えますし、突発性難聴とい われた人もその場で聴力が戻ってきます。その場合は肝の人です。腎の人はだめです。その場で診断が出てしまうので、肝の人には「あなたは何とか治るよ」と 言いますが、腎の人には「難しいかもしれないけど一応やってみますか」と言ってやってみます。最初から「だめだよ」と言ったらやはりあまりにもかわいそう なので、一応努力してみます。でも難しいかもしれないけど、と言って、何回か来て、本人に納得してもらってあきらめてもらいます。肝の人で2週間以上たった人はその場では変化しないけれど、だいたい1か月以内に変化があります。耳鳴りの音が変わったり、突発性難聴の人は、 何か今まで聞こえなかった音が聞こえたりして、大体数か月でかなり回復します。

耳鳴りや突発性難聴とい うのは 肝から腎に対する病証なのです。最終的に耳というのは腎の支配です。でも腎の支配なのですが 耳の回りを一番巡っているのは少陽胆経で、肝絡みの 経絡です。だから肝と腎の支配を非常に受けるのですが、肝が主で腎に影響を受けて耳鳴りや難聴が来ているときは治ります。もちろん、肝も同時にやられてい るのですが、腎が主でやられているときは、老化現象そのものですから治り難いのです。残念ながら、老化現象に伴う耳鳴りや難聴は治らないのです。要するに 老化現象を耳が代わりに受けてくれているようなものだから、「耳の遠い人は長生きするというでしょう」と言ってあきらめてもらいます。「あなたの耳が、代 わりにほかのところの老化現象を受けてくれているのだから」というふうに言います。

結局、竜胆瀉肝湯に使わ れている薬は、竜胆という肝胆の非常に強い薬と少陰経の薬です。耳鳴り、難聴には、これは経絡うんぬんというよりも、磁石と五味子を合わせると、どうも本 当に聴神経そのものに作用するという感じで、それを多く使っていたときにはもうちょっと早く治りました。でも最近は、磁石や五味子を用いず、どういうふう にしているかというと、竜胆瀉肝湯だけではあまりうまくいかないので、肝と腎を調節する形でやっています。要するに肝から出発するというのはストレス絡み のことが多いので、抑肝散と六味丸みたいなものを組み合わせてやったり、あるいは抑肝散と竜胆瀉肝湯を組み合わせたり、そして後は鍼をやりながら治療して いきます。そうすると、変化が来るのはやっぱり1か月ぐら いのところです。前は半年もすればどんどん良くなっていましたが、今は1年 ぐらいかかっているかなという感じがします。でも長い目で見ると、耳鳴りや難聴の人もどんどんクリアして行っているので、まあまあこれぐらいでいいです ね。

メニエールで耳鳴りや難 聴を伴う場合もあるのですが、なぜかそのときはこの竜胆瀉肝湯の適用になりません。なぜかは私もそこのところはよく分からないのです。メニエールの人は やっぱりどちらかというと水の病証が強いものですから、五苓散系統の方が主になってしまいます。メニエールを主訴として来る人の場合は(これはもう非常に 激しいメニエールの人も年に何人かは来るのですが)、受診後は1回 ぐらいしか発作を起こしませんね。鍼も1回ぐらいで要らな くなってしまいますし、あとは本人がこわがって何年間か薬を飲み続けるだけで、実際には数カ月で治っているのではないかと思っています。
次が清心蓮子飲ですね。日本でつけられた名前ですので、清心蓮子飲についてはいろいろな本に書いてあります。実際には一番中心 にあるのは参耆剤なのです。いろいろ説があって、私は一応、心脾両虚が腎の仮性実証を生じた状態が尿路症状を出すのかなというように言ってはいるのです。 一番基本は、やっぱり参耆剤が使われているように、本来は肺や脾の虚があるのです。そういう人の場合に、どう捉えるか本当にこれは難しいのですね。

肺と腎が両方虚となり、 そのために尿路症状が出やすくなる。要するに腎が虚しているから心火が上がり、心の症状が出てくるのだというように書いてある本もあるのです。

でも現実に清心蓮子飲を 使う人の場合、腎が虚して心火が上がったら、やっぱりどちらかといったら脱水状態というのをどこかで感じさせるのですが、清心蓮子飲を使う人の場合はそん な感じがしないのですね。むしろ心と脾が衰えたために、腎水が少しあふれているような印象を受けます。要するに胃腸の弱いお年寄りが何となく精神の不安定 状態を来たして、はっきりした感染もないのに尿が近いとか、そしてやはり尿量が少し多いという症状を出すことが多いのです。

だから心脾両虚・腎仮性 実証で良いのじやないかなと思いますね。これもそんなに多く使うものではないのですが、参耆剤を使うような衰えがある人に、はっきりとした感染もないのに 頻尿、多尿等が多発するという状態です。多くはないけれど、年に1人 か2人か、これもたまに使います。

なぜあまり印象がないか というと、これで抑えられる人というのは、しばらく服んでいるとまた元気になってしまって来なくなってしまうのです。ずっとこれを服んでいるといいからく れと言って来る人はいないですね。何回か来ていると、ああ、もうだいぶ良くなってきました、ありがとうございましたと言う場合もあるし、言わない場合もあ りますけれど、だんだん聞いているとあまり訴えがなくなって、そのうち来なくなってしまって、あまり印象に残らないのです。

似たような薬が続きます けれど、その次は猪苓湯合四物湯。これもまったく同じことで、猪苓湯の状態の方が慢性化した場合 あるいは逆に、四物湯の状態の人が膀胱炎になりやすい、 あるいは慢性の膀胱炎になった場合に使われます。ただこれもあまり印象にどうしても残らないのは、慢性の膀胱炎というのでこの薬を延々と服み続ける人があ まりいないのです。今はもう急性症状が出たときにばっと抗生剤で抑えてしまって、症状がないときは服まない、再び症状が出たら服むという人の方が多いのだ と思います。神経因性膀胱等ではないのです。やっぱり、どちらかといったらこれは本当の膀胱炎なのです。ご婦人でこれを服んでいると膀胱炎があまり出ない のだという人がたまにはいます。現代人ではもう本当にごくわずかですね。抗生剤がなかった時代はこれを重宝していたのかもしれません。これを服んでいる限 り膀胱炎があまり出ないから服み続けますという人は、うちでは全体で3人 ぐらいです。そこに共通しているのは、膀胱炎が慢性化したというよりも、本来四物湯証なのです。膀胱炎がなかったとしても、その人に何かを出すとしたら四 物湯であろうという状態です。小川先生の書いているように皮膚がちょっと、年齢のわりに乾燥しているというタイプの人で、本当に膀胱炎を繰り返す人に出し ているといいみたいです。

二重丸でそこに書いてい るのは後で読んでおいてください。そんなに難しいことではないです。

一般論として合方を考え る場合、適応範囲は両者の条件を共に満たす範囲にせばめられ、効能はその範囲では強くなると考えてよいようである。図で示すと下のようで、ABの範囲での適応は少なく、弱まりCの範囲への適応性高く強力、副作用に関してはABC仝範囲にわたる。

次は茯苓飲合半夏厚朴湯 です。これは使いでのある薬なのでよく覚えてください。茯苓飲も今まで話をしました。半夏厚朴湯も今まで話をしました。どちらもいい薬なのですが、茯苓飲 だけの人だったら四君子湯等と同じで、ほとんど軽い胃腸の虚弱ということだけなので、今だったらあれやこれやと考えながら、家でせっせとサプリメントを摂 取しているでしょうね。半夏厚朴湯だけの人なら、ときどきヒステリー発作を起こすだけです。そういうときに行きつけの心療内科や精神科でちょっと抗不安薬 等をもらって、頓服的に飲んでいる例が多いと思います。ところがこの両方が合併すると、結構心と体のバランスを取れない日常的な症状を出してしまうので す。

面白いことにこれは血が 絡まないのですね。茯苓飲合半夏厚朴湯は気と水だけが阻害されます。だから、水も巡りが悪くなると体が重く、おなかが重く、気が滞るとやっぱりつらいわけ で、しばしばいわゆる不安神経症みたいな症状を引き起こします。過呼吸とか、おなかが変に痛みだすとかします。でも血が絡まないのです。血が絡まないとい うことは意外と、変な言い方だけれど要するに発作性の症状がしょっちゅう起きます。血が絡んでいたらずっと、常にどこかで変な症状があるのですが、気と水 だけのときだったら普段は本人は忘れていて、意識しないでいるときもあるのです。そして半夏厚朴湯だけだったら、本当に思い出したときに突然です。でも茯 苓飲合半夏厚朴湯はちょこちょこ起こしますが、でもずっと持続ではないという変な症状になっていますね。それぞれ茯苓飲や半夏厚朴湯における、そういうお なかの症状や精神症状というのを来します。だから結構、本人にとっては悩ましいのです。

茯苓飲合半夏厚朴湯の人 は、だいたい本人が「自分は自律神経で」と言ってきます。意外と抑肝散の人は「自律神経で」と言わないのですね。ストレスですかと言ったら納得するので す。

この茯苓飲合半夏厚朴湯 の人は何となく自分はどこが悪いわけじやないけど、1人で 神経がおかしくなって病気になるのだなと、本人が思うみたいです。結構、自律神経でと言ってくる人は多いですね。「自律神経と言われました」というのは、 これは医原病の事が多くて違うのです。暗示にかかっているのです。

本人が自律神経だと言っ てくるときは、一所懸命物の本を見て、これは自律神経の症状だなと思うので、本人が何とかして欲しいと言ってくることが多いのです。

これはもちろん太陰の方 ですね。太陰の肺の場合もありますし、太陰の脾の場合もあります。耳穴では区別をすることができます。脈診でももちろん区別できます。でもだいたい大まか に見て太陰か厥陰か少陰かを診断します。そして太陰の人で、滅入ってくると本当にうつ的になっていくのだろうなと思う方です。

切診では一番簡単なのは 腹診で、おなかに手を置いた途端に解ります。ただし、最初のうちは一所懸命やらないと解りません。術者の気の力がないと解りません。茯苓飲のときは手を置 くと水が動きます。術者の気の力がないときは、案じているとそのうち水が動くのが解ります。茯苓飲合半夏厚朴湯はもっとドラマチックですね 気と水が一緒 に動きますから、私などは手を青いた途端にぐるぐるとおなかが動き、その瞬間に診断がついてしまうのです。

当然、茯苓飲ぐらいの人 だとおなかの力がありません。これがうんと冷えていて、何も動かないで綿みたいに柔らかかったら真武湯なのです。腹力が逆にばんとあれば防已黄耆湯なので す。防已黄耆湯と真武湯の中間ぐらいの腹力で、人参湯だったら逆にたいていはおなかがやせてぺったんこですが、茯苓飲合半夏厚朴湯は、おなかは結構防已黄 耆湯ほどでないけれどぽってりとしています。そして力がないのです。芍薬甘草湯なんかと違って腹直筋は張っていません。芍薬甘草湯を含む処方は、柴胡桂枝 湯にせよ、桂枝加芍薬湯にせよ必ず腹直筋が張っているのですね。そしてお腹が柔らかくて、でも真武湯みたいにぐちゃぐちゃでもない。そんなに変な所見がな いのに手を置いた途端にぐるぐると水と気が動くのです。

だからこの茯苓飲合半夏 厚朴湯というのは手を置いた瞬間に診断がついてしまいます。そして、この処方の診断をしたときに、私はいつも逆に聞いているのです。こうして手を置いた後 に、胸の付近につかえがありませんかと聞くのです。そうしたら必ずあると言います。本人は聞かれるまで言わないのですが、ちゃんと半夏厚朴湯の証があるの です。先に聞かなくても手を置いた腹証で判ります。逆に言えば茯苓飲だけの状態ではめったに来ないわけですから、この状態だったらほとんど茯苓飲合半夏厚 朴湯だなということで、一発診断です。

こういうのも繰り返しお なかを触るのです。触ることで術者の気は亢まります。一臓診断も繰り返しやるのです。脈診もとにかくやってください。望聞問切の中の切診はとにかく繰り返 してやるのです。頭で覚えようとしても絶対できません。もう繰り返し、繰り返し脈を取り、おなかを触り、皮膚も気になるなら触り、舌診も本当に相手のつば が飛んでくるぐらいに近づいてでも−SARSがはやりだし たらちょっと怖いですが、ぜひそうでない限り一所懸命近づいて見てください。それぐらいやり続けることで診断能力というのは上がってきます。

だいたい区切りのいいと ころで時間が近づいてきました。今日はこれくらいで終わりたいと思います。

この間ちょっと質問の あった葛根湯の話ですが、当然葛根湯というのは陽明ですから、潜在的に胃の虚があるのです。外邪が陽明経に入って、次に太陽経に移るのですが,その時もま だ陽明経に残り、太陽と陽明の合病で発症する人というのは、当然ベースに脾の虚があるのですね。だから葛根湯証として発症する前に、風邪の潜伏期のときに 何となく食欲がないなという、そういうのが先行していることが多いのです。でも外来に来たときにいきなりその症状については、大抵は言いません。だから普 通はあくまで潜在的な問題で、聞き出せばあるかなという程度です。どなたのご質問だったか忘れましたが、ほかに今日何かご質問があればどうぞ。

 

Q

抑肝散加陳皮半夏のとこ ろで、一臓で診る場合肝と脾が不和になっているような状態だと思いますけど、肝から来ているのか、脾がもともとベースなのかというのは。

(下 田)

まず肝ですね。脾が主 だったらやっぱり抑肝散加陳皮半夏にならないで、加味帰脾湯になります。本来は脾が主の人は、最初は帰脾湯の状態なのですね それで緊張が加わってくる と、肝が緊張してくるので加味帰脾湯になります。たまに逆のこともあるのですが、でも非常に少ないので抑肝散の場合は100%と言わなかったのはそれで、9割以上はまず肝が主だということです。

 

Q

肝と脾と両方が不和に なった状態だと、耳針の圧痛というのは、やっぱり抑肝散加陳皮半夏の人であれば肝でしょうか。

(下 田) 

やっぱり肝に来るみたい ですね。僕よりほかの先生が今、一所懸命やっているのですが、どうだったと聞くと、やっぱりちやんと抑肝散になる人はやっぱり肝でしたと言います。

 

Q

柴芍六君子湯は。

(下 田)

柴芍六君子湯はやっぱり 脾です。これも脾で、柴芍六君子湯と加味帰脾湯は、薬味の配合をみるとそんなに変わらないです。もうほとんど移行できるようなものですね。要するに加味帰 脾湯と柴芍六君子湯の違いというのは、消化器症状を主にして緊張が生んできたら柴芍六君子湯です。精神症状、要するにうつ症状の方が先行して緊張が加わっ てくれば加味帰脾湯というだけです。結果として加味帰脾湯の場合も胃腸症状を伴いますし、柴芍六君子湯の場合もうつ症状を伴いますから似ているのですね。 どちらが主かだけの違いです。

今話している内容分かり ますね。

今まで何度も話してきて います柴芍六君子湯というのは一番基礎が四君子湯ですね。四君子湯の人が緊張してくると六君子湯になります。さらに六君子湯の人がもうちょっと抑うつ的に なってくると柴胡が必要になってきますので、要するに柴胡を加えるときは必ず芍薬を一緒に加えないといけないので、結果としては柴芍六君子湯になります。 柴芍六君子湯は出発が四君子湯だから、緊張があってうつ的であって胃腸症状があるのです。帰脾湯の人も脾の虚はあるのですが、脾の虚が主というより最初か らうつ症状があるのです。うつ症状がある人が社会生活をする上では、社会に対応して一所懸命頑張らざるを得ないのです。

頑張るために肝を働かせ るから、柴胡が反応してしまうのです。ところが帰脾湯も本来はどちらかといったら四君子湯等の流れですので胃腸症状はありますが、胃腸症状より精神症状を 主にしているのです。それに柴胡が加わるから、出来上がった処方を見ると、加味帰脾湯も柴芍六君子もどちらも精神症状があって胃腸症状があってうつ症状が あります。出発の症状がどちらが強かったかだけの違いです。要するに同じうつの状態で、身体症状を主として出すと柴芍六君子湯になるし、精神症状の方を主 と出すと加味帰脾湯になるという、それだけの違いです。帰って薬味をもう1回 調べ直せばよく分かります。

慣れるとこういうのが ばっと頭の中で、味を組み替えてシミュレーションできるようになってきます。そうすると、外来でもぱっとお薬を組み合わせて作ることができるのです。この 場合は、ぱっぱっとこれとこれを組み合わせる、あるいはここにこういうのを加えるとこういう処方になるというのが、瞬時に解るようになります。そうすると 五感を使った診断、それと今は一臓診断しか勧めていませんけれど、鍼の診断等と一致させて、どんどん処方ができてくるようになります。

 

Q

子供の鍼は使いづらそう なのですけれど、そうでもないですか?
(下 田)

今日は持ってこなかった かな。子供の鍼は実は、1つは小児針というのがあります。 刺さないやつで、プラスチックでできた小児鍼というのがあります。梅花鍼というのですが、梅の花みたいな、下から見ると円形でこういうふうな梅の花みたい になっています。それからここはへらみたいになっています。こちらはギザギザになっており、ここはとがっている。こういう格好をしたこんな小さいのが、原 価180円 ぐらいで手に入ります。実は小児には、少なくとも学童期以下の子供には本物の鍼はほとんどしないで大丈夫です。ほとんど小児鍼でやります。

例えば1点を圧するのだったらこれが一番強い。ただ、雀啄法でざっとやるにはここ が一番いいです。ただ軽く皮膚を刺激するには一番ここ(へら様部)で刺激するといいし、これ(ギザギザ)だと強過ぎるのであまり使わないですね。

そういうものを使ってつ ぼを刺激する場合と、もう1つは子供の場合は耳鍼が非常に よく効きますので耳鍼をします。これはなかなか1臓だけで はうまくいかないときもあるのですが、例えば小児のぜんそく発作を起こしてきているのを、耳鍼をすると発作はその場で治まります。小児のぜんそくは最初1回、2回、 耳鍼を留置してあげます。子供の場合、王不留行はもまなくても付けているだけで効くのです。なぜかというと、子供の皮膚というのはすごく敏感です。北京 ダックを食べたことはありますか。子豚の丸焼きは食べたことはありますか。子豚の丸焼きと北京ダックは食べ方が同じなのです。どこを食べるかといったら皮 膚を食べるのです。親豚の皮はランドセルにしかならないのです。それだけ子供の皮膚というのは柔らかいということです。だから子供の皮膚は本当に刺さなく ても効くのです。それでこういうもので刺激し、後はもちろん耳鍼をします。大人の場合はもんで痛みの刺激を与えないと効かないですが、子供はただ耳の鍼を 付けるだけで効きます。

それから驚くべきこと に、6歳以下までの子供は、体の皮内鍼をするときは刺さな いでいいのです。テープに鍼を張って、そのまま皮膚に張ります。円皮鍼だったら縦だから刺さりますから、子供は嫌がりますけど、皮内針だったらテープでこ うやってぺったんと張り付けて、そのまま張ってあげるだけで効くのです。

鍼というのは危険信号だ という話をしましたよね。危険信号を与えることで気の流れを調節します。大人の場合は刺さないとやっぱり効いてくれないのですが、子供の皮膚というのは皮 膚表面に張られただけで反応するのです。だから6歳までの 子は問題ありません。

問題は学童期。ちょうど 小学生ぐらいの子は、残念ながら小児鍼もあまり効かない。耳鍼は一応効きますけれども、耳鍼をやらせてくれると一番いいのですが、耳鍼も多少痛みを与えな いと効きません。活発に動き、取れやすいのでこれは効きません。中学校ぐらいになると我慢してくれるのです。鍼をすると痛いけど良くなるというのが解りま す。だから小学生が一番難しい。

 

Q

電子鍼は。
(下 田)

電子鍼は、はっきり言っ て私は効かないと思います。電子鍼は局所療法でしかないのです。電子鍼とか、灸頭鍼とかいろいろ言われていますが、あれは経絡治療にはあまり役に立たない のです。

要するに、鍼は今言った ように本来危険信号ですね。だから経絡治療をすればいいところを、局所治療、例えばこの位置が痛いとしたら、ここに鍼をするようなやり方を電子鍼などはし ます。あれは何をやっているかといったら、例えばこの位置に何か障害があったとき、人間の自然治癒カが働いて、この位置に治す信号を本来与えているのに更 に信号を強く加えているのです。

例えば怪我をしたとき、 いつまでもそこが痛いわけではない。傷が治らなくても痛みがある程度和らいでくるのは、そこに治癒機構が働くからです。既にそこに働いていて刺激閾値が加 わっているのに、そこにまた鍼をしても、普通の刺激じや効くわけがないのです。それを強めようとして熱を加えたり、電気を加えたりしていることが多いので す。だからそのときは効いたような気がしても後は効かないのです。

経絡治療というのは何を やっているかというと、この経路上に、あるいはこれと深い関係のある絡穴等を使って、要するにここではもう不足してしまった刺激の分量をほかの新鮮なとこ ろから与えていきます。だから何倍も効くのです。経絡診断と経絡治療がきちんとできたら局所治療はほとんど要らないのです。

ただごくまれに、どうし ても最終的にここが痛いというところが取れない場合もあるのですね。例えば鍼をして歩けるようになったし、腰も楽になったけど、この坐骨神経の1点が良くならないのですよと言う人がいるのです。そういう場合に、最終的 にそこに鍼をする場合はあるのですが、その場合も西洋医学的に見ると、その位置に何か病気があるわけじやないのです。そういう場合どうしても局所の1点だけ症状が取れないところというのほ、診てみるとちゃんとつぼなので す。だから、つぼがやっぱり何らかの反応をして、そこに鍼をくれと言っているだけなのです。そういう場合で局所治療することはあっても、痛がっている限 り、今明らかに西洋医学的にも、ここが悪いというのが分かっているところに僕は鍼をして、そこに余計なことをすることはまずないのです。基本的にほとんど 経絡治療だけでやります。

よろしいですか。そうし たらまた来月まで、ぜひ一臓診断してくださいね。あきらめずに、一所懸命やってください。

 

漢方トップページ