16回【さっぽろ下田塾】平成15418

 

今流行っているSARSについて考えると、やはり西洋医学と東洋医学のスタンスの差という のが良く解ります。治療法がないと言われていますが、一部の情報ではちゃんと現地では漢方で治療しているということを伝えています。

大体、今は死亡率が5%ぐらいになっています。3,000人 発症すると150人ぐらい亡くなっています。5%も死んでいるといいますが、逆に治療法が無いはずなのに95%は助かっています。民間べ一スの情報ではちゃんと漢方で治療している のが分っています。確かにインフルエンザの時も同じなのです。前にインフルエンザの話は何度かしましたが、特に今回のSARSのことで良く解ったのは、漢方をずっと飲んでいる人はインフルエン ザに罹りにくく、実際にインフルエンザが発症したときも、漢方で治療するとタミフルなんか要らないということが何故認められないかということです。報道を みていてそう思いました。

前にも言った様に、おそ らく将来タミフルの効かないインフルエンザの変異型が出て来たら、今回と同じ騒ぎになるだろうと思います。僕は東洋医学を差別していて、意図的に政治的レ ベルで漢方が効くという報道をしないのかなと思っていましたが、今回のことでよくよく考えてみたら、そうではないかもしれないと思いました。言っている意 味が解りますか?

西洋医学的スタンスだっ たら、この病気ならこの薬が効くという考え方が成り立たないと、報告できないのです。言い換えると、確かにこれはインフルエンザだと検査で診断がついて、 しかも誰が使ってもその薬が効くというのでないと、効くという報告が出来ないのです。インフルエンザの時も、「漢方」が効くとはいえるけれども、そういう のを西洋医学的考え方では「効く」とはいえないでしょう。例えば葛根湯が効きますとか麻黄湯が効きますとかは言えないのです。更にもう少し説明すれぱ、麻 黄が効きますとか葛根が効きますなんて全然言えない訳です。だから漢方薬が効くという言い方をするならば、東洋医学的な診断をする能力の差が問題になりま す。要するに診断をして薬を選ぶ能力、東洋医学的な総合的な能カが問われるのです。何人か医師がいても、この薬を出せば必ず効きますということにはならな いのです。確かに検証しにくいのです。だから漢方が効くと言いにくいのかもしれません。でも、おそらくこの病気はやがて日本に入ってくるでしょう。現在で もウイルス性疾患のかなりの部分は、治療できるようになったものが逆に少ないのです。

インフルエンザさえ、も う既に耐性株が出始めていると言われていますが、一応今の所はタミフルが効いています。あるいはウイルス性疾患の帯状疱疹にも効いていますけれど、この診 断がついたらこの薬という西洋医学的なやり方が成立するものは、本当にわずかな例です。ウイルス性疾患というのは無数にあるし、ウイルスというのはDNAそのもので、変異していくのが当たり前ですから、これからもどんどん 新しいタイプが出て来るものと思います。そうすると、有効な治療薬が無い状態で、こういうものがどんどん広がっていったときに漢方薬が使われるべきなので すが、やはり問われるのは東洋医学的診断能力です。

東洋医学を標榜していて も能カがなかったら診断出来ないし、薬を使うことも出来ないのです。

SARSに関しては、印象として 使えそうなのは大青竜湯などが一番考えられますが、診てみないとわかりません。無下に東洋医学を否定しているわけではなくて、確かに診断、治療する人の能 力まで加味しないと言えない治療というのは標準化出来ないし、標準化出来ない治療法は、なかなか示しにくいという面があるのかなという気がします。

もうひとつ最近感じたの は佐藤先生がみえているときに、非定型抗酸菌症の方が来診された時のことです。要するに肺に影があって、明らかに空洞性の変化があって、何年も抗結核剤が 使われていても良くならないで、もう本人はノイローゼになっていました。カナマイシンまで使われて難聴にまでなっていました。でも良く話を聞くと、何の為 に薬を使っているのか全然ちゃんと説明されていないのです。とにかく非定型抗酸菌症だから治療し続けなけれぱいけないとしか言われていないのです。でも抗 結核剤もあまり効かないし、放っておいてもどんどん他人に感染するとか、本人の命にかかわるといった病気ではないのです。本人の体力をあげて、病気と平和 共存して生きていけばいいはずなのに、西洋医学的スタンスだったら、感染症というものは絶対なくならなければいけないのです。だから何が何でも、とにかく 副作用が出ようが何であろうが抑えようとしますが、非定型抗酸菌症は延々とやってもうまくいかないことが多いのです。でも、うまく体力を上げて肺の働きを 高めてあげると、それはそれとしてあっても、大したことにはならないで暮らしていけるのです。一病息災といいますが、ひとつの病気があるために元気でいら れるのです。

東洋医学的というのは、 なにがなんでも病を無くさないといけないとは考えていないのです。病があっても気分に入らなけれぱ良いと考えます。最終的に、病が気分に入ると人間の生命 力というものを落していく訳ですから、病はあっても病気でない状態で過させれば良いのです。だから「非定型抗酸菌症があっても、人にうつらないし、あなた も元気で、年をとるまで生きられれば良いでしょう。」と言ったら、すごくニコニコして表情が明るくなりました。前医は全然説明していなかったのです。その 病気がどうであるかではなく、とにかく病気がある、要するにここにこういうものがあるから、それを無くさなければならないの一点張りだったそうで、彼は78年 間治療を続けたのだとか言っていました。要するにリファンピシンなんかまで全部使い果たして、どうしても効かなくて、カナマイシンまで打たれて、難聴にま でなって、とうとうノイローゼ状態になってしまったのです。でも、兎に角何かあれば、先ほどのSARSの 問題でも同じで、標準化して、やはりコンピューター的に「0」 か「1」かでとにかく「0」になってしまわないと「イエス」とはしないという、そういうスタンスと いうのはどうかなと思います。

実は東洋医学を標榜して いる人でも、結構そういうやり方をしている人がいます。一応、来月参加してきますけれども、今の東洋医学会の発表というのは、ほとんどそういう発表です。 西洋医学的にとにかく標準化して、誰がやってもこうすれば効くという発表なのです。僕は最初からそういう言い方をしていません。やり方を一生懸命学んでい けばそうではなくなります。今でも、皆さんの所には皆さんの能力に応じて、ちょっと難しい人とやさしい人とズレが出てきているはずです。今皆さんの診てい る患者さんの95%はなんとかなるような、その能力を作っ ていこうということをずっとお話ししています。その95%が うまくできるようになれば、あと残りの5%に挑戦すればい いわけです。でもそれをやっていくとだんだん今度は難しい患者さんが又集まって来るようになりますので、どこまで行ってもキリが無いのです。

前回話したばかりですけ れど、僕のところに居るもう1人の先生ですが、まだ漢方を 学び始めて10ヵ月くらいしか経っていないのですが、その 先生の診断が僕より正しかったということがありました。その先生は確かに「肝」と診断したのですが、僕は「腎」と診断しました。そして「腎」と思って鍼を しましたがまったく効かないのです。それは何故そうなったのかよくわからないのですが、予診をとっていてその中で「肝」と診断した後、患者さんが僕のとこ ろに来た時パッと脈をとったら「腎」なのです。それで「腎」と思って鐵をしたのですが、全く効かないのです。もう1回脈をとり直したら「肝」に戻っていました。なぜ、最初来られたときに脈 が違ったのか、未だによく解らないのです。これはその先生の言う通り「肝」か思って、体鍼を「肝」にとりましたら、きれいに症状が取れたのです。臓腑診断 というものは何度もいうように、間違うと師であっても弟子に負けることがあるのです。それでも、ぜひ臓腑診断能カを高めて行ってください。

今日は小青竜湯からで す。この処方はよく使っていますか?。どういう様な病気に 使っていますか?

(ある小児科の先生)子供のアレノレギー性鼻炎に多く使います。

小児科ではそれで良いか もしれません。要するに、この小青竜湯というのは本来は水の薬です。風邪薬と考えるのではないのです。本質的には温めて水を動かすという薬です。冷やしな がら水を動かすのは五苓散です。解りやすくいえばそれだけなのです。大部分の本ではアレルギー性鼻炎となると、最初にこの小青竜湯が書いてあるのです。実 は子供の喘息や鼻炎には結構効きます。その理由は解りますよね。小さい子ほど水が多いですね。冷えのある場合はちょっと難しいと思いますが、冷えがあまり 強くないときは麻杏甘石湯等と併用するので良い訳です。

ところが、大人の鼻炎に は意外に効かないのです。これは誤解があるからです。スタスタ落ちる様な鼻水、これは水毒であると書いてある本が非常に多いのです。あれは違います。鼻炎 があればほとんどの状態で、鼻水は水性に決まっています。水性の鼻水が出るからと言っても必ずしも水毒ではありません。水毒というのは鼻水の性質から言う のではなくて、体の性質から言うのです。それはいつも言うように水毒を見るのに一番メジャーなところは舌です。舌に水があって、冷えがあって、そして鼻炎 や喘息に伴って水性の痰を吐くというのが小青竜湯の状態です。これはうまく合えば非常に劇的に効きます。多分小児科には結構いると思います。大人には意外 にいません。最近やはり食生活が良くなってきたからでしょうね。大人ではやたらと水性を帯びて体が冷えているという人はいないのですね。要するに熱証で水 毒を伴っている人(五苓散証)はいても、寒証で水毒を伴っているという人は意外に多くはないのです。防 已黄耆湯などもすごく少なくなって来ています。やはり生活レベルが上がってきたのが原因としてあるのでしょうね。頭の中を整理すると、意外に多くはないの ですが、とにかく水毒があって、なおかつ明らかな冷えがあるというのが、一番小青竜湯を使う指針です。あとはいつも言うように咳があるときは麻杏甘石湯と 小青竜湯を合半します。あるいは案分するのです。要するに、熱性で乾性に近づけば麻杏甘石湯が多目になりますし、寒性で水性に近づけば小青竜湯が多くなり ます。

割合を見ながら風邪にも 結構使いますね。傷寒の場合は麻杏甘石湯や小青竜湯をいきなり使うことはあまりありません。傷寒の場合はやはり葛根湯、麻黄湯、桂麻各半湯等という傷寒論 に出ている使い方をする場合が多いですね。麻杏甘石湯合小青竜湯は傷寒というよりも、むしろ中医学で言う温病系統等の時に使うことがあります。温病とまで はいかなくとも、体の熱感はなくても熱症状があって咳をしている場合に使うことがあります。熱症状があっても熱い場合と寒い場合がありますから、これは又 混乱しないようにしてください。麻杏甘石湯合小青竜湯は、熱症状あるいは何らかの炎症症状があって咳をしている状態には、喘息の時も使いますが風邪の時も 使います。それから熱があって乾燥体質という鼻炎には葛根湯加川芎辛夷を使います。これは大人の場合はこの処方と小青竜湯の中間になるということは、実は ほとんどありません。どちらかになります。圧倒的に葛根湯加川芎辛夷の方が多いのです。今の大人で小青竜湯の正証の鼻炎というのはなかなかいないと思いま す。

アレルギー性鼻炎に小青 竜湯を使ってピタッと合うという人はそんなにいないと思います。そして大人の場合は小青竜湯と葛根湯加川芎辛夷とのどちらかに分かれます。大人の場合は、 鼻炎は鼻炎で風邪とははっきり分かれますが、子供の場合はそうはならないのです。子供の場合は鼻炎を起こすと風邪の症状になってしまいますね。そのせいで しょうか、鼻炎を起こして、その中間みたいな状態になる子供がいます。もちろん子供の場合にも小青竜湯と葛根湯加川芎辛夷にきれいに分かれる場合もありま すが、子供に限っては小青竜湯と葛根湯加川芎辛夷を合半する場合が多いのです。私の経験では中間でピッタリ治ってくる場合が多いです。そういう意味ではな かなか使い出のある薬です。小青竜湯という名前は、前に言いましたように、青竜湯の中のちょっとマイルドな青竜湯という意味です。大青竜湯はメジャーな青 竜湯です。これも話したと思いますが青竜という意味は、青春、若い、朝方等を指すのです。典型的なのは若年層が春先の朝方に喘々いうような発作を起こす時 に使うのが青竜湯です。その中でうんと強いのが大青竜湯ですが大青竜湯はほとんど傷寒にしか使いません。小青竜湯はマイルドなのでよく内因病にも使われま す。

次が六君子湯です。六君 子湯はテキストにも書いてありますが、四君子湯と同じで大棗、生姜が加えてありますから、考える時は姜棗組を除いて考えれぱ良いということです。しかも、 甘草は全体を調整している薬ですから、朮と人参と茯苓が四君子湯の骨格で、それに陳皮と半夏が加わったのが六君子湯です。六君子湯の名前がついている薬は いくつかあります。中医学と日本漢方で、同じ名前で中身が違ったりするので混乱しますが、本当の意味での六君子湯は、四君子湯に何か二味が加わったもので す。でもその中でも陳皮、半夏という二陳組が加わっているのが、この六君子湯です。他に柴芍六君子湯と香砂六君子湯というのがあります。どれだったかは、 はっきりしませんが多分、柴芍六君子湯か何かが、日本か中国かどちらか忘れましたが、更にこれに香砂組が加わっているというような、何か変な作りになって いたりして、ちょっと混乱します。

大まかに言えば、四君子 湯の人は、前に話したように、四君子湯の状態で医療機関に来る人はあまりいないのです。家でじっとしていて、たまに医療機関を受診して四君子湯を良い薬と 思って飲んでも、ちょっと調子が良くなるともう来なくなります。あるいは場合によっては医者にかかるのも何だからと言って、OTCで四君子湯を買って飲んでいるかもしれない、そういう人です。でも、 四君子湯の人でも、例えば全くの自営業で他人と全然関係なしに生活していられる、あるいは親の土地財産で遊んで食べていられる人だったらそれで良いのかも しれませんが、多くの場合やはり仕事をせざるを得ないのです。四君子湯の人というのは三陰では太陰に属しますが、太陰の人の特徴というのは対人関係が苦手 なのです。対人関係が一番得意で華やかなのは厥陰の人ですね。「肝」の人です。それからキビキビとして、全然周りと関係なく我が道を行くのは少陰の人で す。太陰の人は周りにすごく気を使うのですが、対人関係は得意ではないのです。人と接するのは嫌なのです。本当はマイペースでいたい人なのです。

四君子湯の人というの は、太陰でこういう人です。ところが杜会生活をするといろいろ周りに気を使わざるを得ないので、気を使った結果、気持ちが減入ってきて鬱的になって来ま す。そうすると陳皮と半夏の二陳組の適応症になります。緊張の結果、うつ的になるのです。もともと太陰の人というのはうつ的なのですが、それが更に強く なって来たのが六君子湯です。だから六君子湯の状態になると、やはり医療機関においでになります。対人関係に負けて胃も痛い、食欲も無い、肩もこって夜も 寝られない等という症状が出て来ると六君子湯の状態になっているのです。それでも更に強い人はもう少し頑張ってそれなりに闘います。闘うというのは一所懸 命「肝」を働かせて頑張ることです。それで、空元気を出して行って、体調を崩して来ると柴芍六君子湯の状態になります。これは四君子湯の状態で、更に非常 に緊張感が強くなっています。

柴芍六君子湯は簡単に作 ろうと思ったら四君子湯に四逆散を加えれば良いのです。四逆散は柴胡、芍薬、枳実、廿草です。だからほとんど問題なく作れます。柴胡と芍薬の末を加えるの だったらもっと簡単です。柴胡と芍薬を12ぐらいで加えれば良いのです。生薬を加えるのだったらほんのわずかで良い です。四君子湯に柴胡1g芍薬2gぐらいで充分効果が出ます。生薬で柴胡を加えるときは必ず芍薬と一緒に 入れてください。芍薬がないと柴胡の毒性が表に出て薬性が充分発揮されないのです。柴胡が入っているほとんどの処方に芍薬が入っているのはその為です。柴 芍六君子湯より、もうちょっと軽くて、四君子湯の状態だけれどもう少し余裕のある人で、ストレスをどこかで楽しみながら、でもちょっと疲れるかなというく らいになれぱ香砂六君子湯になります。これも香附子と縮砂の組合せと木香と何かの組み合わせとがあり、中医学と日本漢方と違うのですが、でも薬味が意味す るところはあまり変わらないのです。香砂六君子湯の作用の仕方ですが、香砂はあまり強く気に働く薬ではなく、軽く気を廻らせてあげるぐらいです。だから四 君子湯の人が杜会生活をして行く上で、結構この三通りの対応の仕方をその人によってするということです。ストレスに負けてしまう、頑張り過ぎる、ちょっと 余裕を持って楽しむというように症状が違いますが、面白いもので、いずれも六君子湯という名前が付きます。でも、何も付けないで六君子湯と言えば陳皮、半 夏の二陳組が入っている六君子湯です。

これは結構良く使います ね。テキストに胃炎うんぬんと適応症が書いてありますが、これは全部結果論です。この病気があって、この状態になるのではないのです。胃腸の働きは太陰の 人だから弱いのにストレスに抗して何かをやっているのだから胃炎を起こして来るのは当たり前で、胃炎というのは病名じゃなくて症状です。

ざっと話しましたが、実 際にはこの六君子湯というのは非常に使い手がある薬で、結構使っていると思いますね。この中の朮については、エキス剤では蒼朮も白朮も同じです。末として どうしても生薬で使いたいときには、これは微妙なところですが、胃腸の症状がより強くある人はやはり蒼朮を使った方が良いし、何となく滅入る感じでうつ症 状が強い人の場合は白朮を使った方が良いようです。そういうふうにして生薬で使う時はやはり蒼朮と白朮を結構使い分けています。エキス剤では両者の問では 全然変わりはありません。白朮を使っているメーカ一は一所懸命それを宣伝に来るのですが、一回使い分けてみたことがありますが、全然効果が変わらないので す。白芍と赤芍もエキス剤では、ほとんど効果は変わりありませんでした。

次が温清飲です。これは 今まで出てきた黄連解毒湯と四物湯との合方です。普通は合方だったら合わせた処方のそれぞれの特徴があるのですが、この温清飲というのはかなり違う薬に なってしまっています。二方合せて血熱と言いますか、他の消炎剤と違う特徴というのがあります。

外から入った病気がすご く長引いて行く場合に、一つは黄連解毒湯だけ使っていると損なわれるので四物湯で補うという手もあるのですが、現実にはあまり有りません。例えば外から 入って来たもので慢性化したものというのは、種類はそんなに多くないのです。外から入ったものが温清飲の状態までになるというのは慢性の皮膚炎ぐらいで す。これは患者さんのお話を聞いただけで解ります。最初何かにかぶれて真っ赤になって皮膚科でステロイドを延々と使わたけれども、だんだん皮膚が真っ黒に なってしまって全然良くならない。もう何年もこの薬を使っているけれどもダメだという様な場合です。外から入って来るものに温清飲を使うのはそれぐらいで すね。

大部分は内因病で、どち らかと言うと四物湯の状態がずっと続いているうちに温清飲の状態になってしまう場合です。内因病の場合、普通は陰が虚して六味丸とか七物降下湯等になる場 合が多いのですが、その場合は全体に上気したり、顔が赤いぐらいになります。ところが温清飲の状態になると、さらにそれがもうちょっと激しくなって、皮膚 の熱感とか赤ら顔なんかではなく、明らかに色素沈着を伴う赤褐色の皮膚の状態になります。血分に入るというのはそういうことなのです。上気するとか赤ら顔 というレベルとは違います。上気するとか赤ら顔というのは極端なことを言えぱ、その人が死んでしまったら消えてしまいますね。多分、温清飲の赤味というの は死んでも残ると思います。それはやはり赤面という状態になると思いますね。その状態になるというのは多分何か炎症があるのでしょうが、炎症があるのとは 別に、血の流れが順調であるならぱ、局所に滞ることがないのですが、血の流れも良くない為に、そこにとどまって色素沈着を起こしてしまうような皮膚の状態 になるということです。

柴胡剤適応の炎症とは又 ちょっと違う炎症になります。柴胡剤は当然、柴組ですからこれは「肝」 の病証で、場合によっては肝実脾虚肺虚まで行くこともあります。でも温清飲というのは黄連解毒湯と四物湯ですから、一臓腑診断をすればほとんど間違いなく 少陰で、少陰の中でもほとんどの場合「腎」ですが、時に「心」になります。どちらが原因でもこの状態になります。「腎」が落ちていたら心火が上ります。心 火が勝手に上って行っても心火が「腎」を焼いている状態になります。

だから温清飲を使う目標 というのは、疾患を考えるよりやはり診断が第一です。来られる方の病気が少陰であるかどうかが大切です。これは診断がつくと薬がピッタリ合います。

温清飲というのはテキス トにも書いてあると思うのですが、西洋医学の疾患の中で漢方薬が認知された一番最初の薬なのです。小柴胡湯なんか問題じゃないのです。それこそ僕が医者に なった頃に、もう既にちゃんと医学書に温清飲はべ一チェット病に効くと載っていました。但しべ一チェット病全てに効くかというとそうではないのです。結 局、その頃からちゃんと載っている割りには、今現在、ベーチェット病によく使われているかというと、なかなかそれ以上には広がらないのです。その理由は、 最初に言ったように、ベーチェット病だったら、誰が出しても温清飲が全部に効くかと言ったら、そんな事はないからです。ベーチェット病の中の少陰の人に温 清飲がたまたま効いたというだけのことなのです。私はべ一チット病の患者さんも結構診ているのですが、3分 の1ぐらいが少陰で、3分の2は 「肝」で厥陰なのです。厥陰の人には何を使うかというと竜胆瀉肝湯ですね。だからこれも標準化出来ないのです。でも何となくべ一チェット病の患者さんの中 には、赤黒い顔をしている温清飲の特徴をもっている人がかなりいる感じです。

温清飲の特徴は、要する に「腎」の水と「心」の火との関係です。心火が上り過ぎて相対的に腎水が不足するか、腎水が不足して心火が相対的に上るかのどちらかです。どちらかといっ たら、簡単になりやすいのは腎水の不足です。但し、腎水のゆっくりとした不足というか、それぐらいだったら、先程言ったように六味丸とか七物降下湯の状態 になって行くことが多いのですが、やはり、もともと血の流れが悪いといいますか、そういうものがあるときに、何か温清飲の状態が起こるような気がします。 ここのところは僕もまだ完全には言い切れないところもあるのですが、いずれにしても温清飲の患者さんというのは外来で入って来た瞬間にほとんど解るので す。何度も言うように単なる赤ら顔じゃなくて、死んだ後もその人の顔は赤()いままだと、そういう感触があって、明らかな熱性症状と慢性炎症の訴えを します。テキストにはいろいろ書いてあります。出血性疾患とか脳卒中の後遺症等が書いてありますが、温清飲という名の処方は必ずしもしないで、温清飲に似 た処方をすることがあります。

例えぱ皮膚の病気で、熱 症状が明らかで皮膚が赤くなっていることが有ります。明らかに皮膚疾患が出発で、次第に慢'性 化していくときならば、温清飲にちょっと皮膚病薬を加えた方が良い訳です。その場合どういう処方をするかというと当帰飲子と黄連解毒湯を合方したりしま す。要するに四物湯を含む処方に黄連解毒湯を含む処方を合方するのです。このように温清飲そのものではなくて、温清飲を含む処方というのはしょっちゅうし ています。四物湯を含む処方に黄連解毒湯を含む処方をかぶせて行くのは、結局、温清飲を意識しているのです。今言ったように、四物湯にちょっと駆瘀血薬や 皮膚病薬とかが入っている当帰飲子に、黄連解毒湯を加えたりします。当帰飲子の、体液がちょっと枯渇して皮膚がカサカサになって治りにくく慢性化している 状態で、前腕の背側等そこだけが赤くなっているときに黄連解毒湯を加えます。あるいは七物降下湯に黄連解毒湯を加えることもあります。七物降下湯の本来の 状態というのは、四物湯の状態で腎水が不足して、ただ心火が相対的に上った赤ら顔だけなのですが、これがうんと慢性的に長く続くと、本当に色素沈着状態に なって、かなり熱症状が強くなっていたりしますが、この場合は七物降下湯だけでは弱くて、黄連解毒湯を加えたりします。要するに先程の図式では四物湯が腎 水を一応増やして黄連解毒湯が心火を冷ますのですね。心火が上り過ぎているなと思えば黄連解毒湯を増やし、もうちょっと腎水を増やしてあげようと思えぱ、 四物湯の方を増やして行けば良いのです。だからそういう意味では温清飲という処方をすることは少なくても、現実に四物湯と黄連解毒湯のコネクションという のはかなり、いろいろな場面に出てきます。その都度それを意識すれば良いと思います。ただ大事なのは、あくまでもこれは少陰の人の場合です。

同じ状態で主体が炎症で も、厥陰の人であるならば柴胡剤を使います。太陰の場合はそんなに変な炎症というのはあまりないのです。太陰というのは、体の中に入る手前で防御してしま うから多分アレルギーなのですね。アレルギー性鼻炎というのは一番治すが難しいのです。喘息とかアトピーは治すのは案外難しくはないのです。特に子供の喘 息とかアトピーはほとんど2年で治ってしまいます。でもア レルギー性鼻炎というのは一番完治しにくいと言うか、お薬を飲んでさえいればいいという状態にしかなかなかならないのです。要するに外から入って来るもの に対して一番手前でガードしている状態なのです。防衛反応だから治らないのです。防衛反応は人間の大切な能力ですから抑えてしまえないのです。漢方の特異 的な消炎剤は柴組か連組で、これに勝るもの はないのです。柴苓組は厥陰ですし、連組は少陰なのです。よ く考えたら太陰のそういう薬はないのです。太陰にも作用している薬というのは、どちらかと言えば非特異的な消炎剤ですね。白虎湯等に入っている知母とか石 膏とかです。そういうのは別に太陰でなくても使えるのです。特殊な消炎剤ではなく一般的な消炎剤なのです。太陰の人というのはアレルギーを起こすけれども アレルギーを起こすことで体内の深いところに変な炎症を起こすのをガ一ドしているのかもしれません。今話していて思ったのですけれど、太陰の薬で特異的な 消炎剤はないようです。

次は治頭瘡一方です。こ れも非常に面白い薬です。見て解る様に、日本で作られた薬で、あまり高い薬は入っていないというのが特徴です。ほとんど国内で手に入るような生薬で構成さ れています。でもすごく良い処方です。以前に私がお話した全国版の勉強会のとき、治頭瘡一方について大変面白い話がありました。治頭瘡一方を作り出した診 療所というのは江戸時代から今に至るまで連綿と続いているのです。なんという診療所だったか忘れましたが、東海地方にあるのです。全国版の勉強会というの は、出席者はみんな若手というか、跡継ぎみたいなのが皆集まってやっていたのです。そこで、「オイ、そんな秘密までバラシテ良いのか」というようなことが ポロポロ、あちらこちらで出てきて大変面白かったのですね。

この治頭瘡一方というの をどういう年齢で使っていたのかということを、江戸時代の文献で調べて、そこのドクターが発表したのです。そうしたら実に生後1ヶ月から処方され始めて78ヶ月がピークで、12ヶ 月ぐらいまで続くのです。そして1歳から2歳までの間は出ないのです。2歳 からまた結構な数が出て来て、78歳ぐらいのところでもう1回 ピークが来るのです。最初は、これは「不思議だわい」と皆思い、その先生も不思議がっていたのですが、これは何のことは無いのです。何の医学的な秘密もな いのです。この時代は数え年で数えていたから1歳というの は12ヶ月までです。12ヶ月以後は2歳 と数えているのです。だから1歳と2歳の間の切れ目は無かったのです。0歳時のときに1つ のピークがあって、1歳から又わずかに増えて来て、78歳 のときに小さなピークがあった様です。小児科の先生は何と言っているか分かりませんが、78歳時にこれだけアトピー類似疾患の方が戻ってきてもう1回ピークがあったというのです。ただしこの場合、やはり湿疹の正体が、ア トピー等の特徴ではなくて、乳児湿疹に似た形態をしているのです。この二つの病態は東洋医学的にも西洋医学的にも、分ける人はキチンと分けている人も多い のですが、大半はかなり混乱しています。乳児湿疹もひっくるめてアトピーと言ってしまう医師が大変多いのです。東洋医学的に診ると乳児湿疹とアトピーは全 然違います。乳児湿疹は大体、特徴的には生後半月くらいから出てきます。適切な治療をすると1歳 まで完全に治ってしまうのです。下手な治療をしてしまうと、最悪の場合、脳ミソがとぐろを巻いた様な脂漏性湿疹にまでなるのです。僕の所に来る患者さんの 場合は、1歳までの治療が上手くいかなくてそのままひどい 状態になって、ぐちゃぐちゃになってしまって来る人もいるので、乳児湿疹を1歳 過ぎて治療する人も居るのですが、生後半年ぐらいまでに来てくれた子は、例外なく全部1年 間で跡形も無く治るのです。アトピーは良くなったあとも、乾燥肌とかそういうものが残ります。昔、この子はアトピーだったのだという状態が残ります。乳児 湿疹は、治ると完全にきれいな肌で何の変化も残しません。

生まれたての赤ん坊とい うのは接するものが全部新しいものですから、新しいものであれば母乳にだって、場合によってはアレノレギーを示すのです。それを全部乗り切っていって抵抗 をつけてしまったら、もうアレルギーを示す必要がなくなるのです。だから乳児湿疹の場合は、一切混ぜ物はいらないのです。

本当に治頭瘡一方の単独 処方で完全に治るのです。赤ちゃんの湿疹がきたら、まずは95%は 乳児湿疹ですから、目をつぶって治頭瘡一方を出してみても、20人 に19人までは合うはずです。強いて証を言うならぱ、確か めてみると便秘ぎみです。その為、大黄等が入れてあります。紅花なんかが入っているのもそうです。服用させるとお通じもよくなります。

入ってくる悪いものを取 捨選択する臓器が肺なのですが、肺に入ってから選択するのではなく、入ってきたものを悪いものならまず先に出してしまおうとするのが大腸なのです(復習、肺の腑は大腸佐 藤)。だからお通じが順調にいっていれば、まだその子が処 理できない悪いものは、便として出してしまいます。 それが上手くいかないから、便秘になるのです。逆に言えば便秘ぎみの時は、乳児湿疹は悪化しやすいのです。要するに1歳未満児が便秘ぎみで湿疹が出ているときは、目をつぶってこの処方をやる とほとんど合います。

1歳以後のいわゆるアト ピー性皮膚炎は単独処方では上手くいきません。いろいろあれこれ手を変え品を変えてやらなければいけないのですが、1歳未満の乳児湿疹は、全く別のものと考えて、余計な事は何も考えなくても これだけで治ります。ある意味ではやりがいもあるけれども、ちょっと寂しい点もあるのです。赤ちゃんが来てある程度よくなっていって、1歳ぐらいでようやく顔を見てなつきだしてきた時に「もう治ったからいい よ」というその繰り返しなのです。アトピーや喘息の方が2年 は付き合えるからまだいいかなと思ったりします。本当にそれだけのお付き合いで終わってしまうのです。1歳 すぎてからは、確かにアトピーもごっちやになってしまいます。乳児湿疹とアトピーが一緒になると、乳児湿疹にステロイドをガンガン使われて、治らなくされ てしまって引きずるから、何かもう訳が分からないうちにそのままアトピー体質にもなってしまうのです。本来、アトピーというのは、1歳以降にしか出てこないような気もするのです。要するに、乳児の時に乳児 湿疹の段階でステロイドを使われていた子が、そのままアトピーになったという記憶はあるのですが、乳児期から1回 もステロイドを使ったことがないけれど、そのまま続いてアトピーになりましたという訴えは、ほとんど聞いたことがないのです。だから本当は、やはりアト ピーは、普通は1歳を過ぎてから出てくるもののような気が します。ステロイドをずっと使われていたら訳が分からなくなるのです。アトピー全体の話はまたおいおいやっていくとして、1歳以後の、丁度乳児湿疹と同じような湿疹の状態、脂漏性湿疹様の状態を呈 する場合には、本来のアトピーの治療薬にこの治頭瘡一方をかぶせていくというやり方をします。アトピーはテキストの大分後に出てきますけれども、一番多く 使うのが柴胡清肝湯です。柴胡清肝湯をべ一スにいろいろな薬をかぶせていくのですが、乳児湿疹に似た形態をとるときには治頭瘡一方を、それ以外の時は、例 えば滲出性の病変のときは消風散をかぶせるとかそういうやり方をします。

治頭瘡一方は、一応子供 の薬なのですが、面白いことに年寄りにも使うのです。八味地黄丸や六味丸のときも話しましたが、六味丸は、本来は小児の薬ですが、初老期にも使います。八 味丸は逆に老人の薬だけれども未熟児にも使います。歳をとって来て脂漏性湿疹が出て来る人がいるのですが、これも面白いですね。おそらく治頭瘡一方が作ら れた頃は、平均寿命も短かったし、皮膚疾患を気にする人もそんなに居なかったのではないでしょうか。又、人間の作り出す有害物質もそんなに沢山はなかった から、歳を取ってからそう言う脂漏性湿疹に悩む人というのは、そんなに居なかったのではないでしょうか。だから、全然予想されていなかったみたいなのです が、お年寄りでたまに居ます。7080ぐらいになって、最初はビダール苔癬みたいな状態になって、それをずっ と引っ掻いていて、ステロイドを使っても治らないでいるうちにだんだん盛り上がって、丁度脳の渦巻きみたいになってしまうことがあります。そう言う場合に も治頭瘡一方を使います。ただ御年寄りになると、治頭瘡一方だけではやはりダメなのです。基本的に子供は瑞々しいのですが、お年よりの場合大抵カサカサに なっているから当帰飲子と合わせることが多いです。テキストにもあるように便秘しやすいときは、大黄甘草湯を加えるといいというのは、先程言った肺の取捨 選択の能カを増してあげる必要があるということです。そういうことでこの処方も使い手のある薬です。

次が葛根湯加川芎辛夷で す。先程、小青竜湯のときにだいぶ話してしまいましたが。葛根湯はほとんどの場合は傷寒にしか使いません。ごく稀に、何度か言った様に葛根湯と五苓散を合 方して水毒に使います。葛根湯とよく茵五苓散の組み合わせで、 慢性の蕁麻疹に使いますが、葛根湯、五苓散だけだったら本当の飲ませるものではないですね。でも、葛根湯加川芎辛夷は傷寒にも使いますが、慢性疾患にも非 常に良く使います。長期で使っていても作用はほぼ葛根湯と同じですが、葛根湯よりも一般的に頭痛が強く、鼻炎の症状があるのです。テキストに書いてあると 思いますが、御婦人は葛根湯よりも葛根湯加川芎辛夷の方を喜ぶことが多いのです。やはり、川芎の匂いが気を発散し気を廻らし、結果として血を廻らします。 気血が廻ると「病気」にならない訳です。病があっても発散してしまいますからね。御婦人の場合は何か風邪気味だったけれど、どこかに行ってしまったという 感じで非常によく治るのです。男性も合う人は喜んで飲みます。男性の中にはやはり風邪の時、葛根湯加川芎辛夷を嫌がる人も居ます。鼻炎等がある時は喜びま すけれど、それがなくて単なる風邪の時や、普通、何の症状もない人が立派な傷寒を起こしたときは、男性の場合は葛根湯の方を喜びます。そして薬味の少ない ほうがよく効きます。ところが葛根湯加川芎辛夷は慢性疾患には非常によく用います。何の病気に使うかというと1臓 診断では当然「肺」ですね。病邪を肺の入り口である鼻でガードしますが、その時に同時に太陰経が緊張します。どこが緊張するかというと陽明胃経で下図のと おりこめかみから下に下って顎に行き、もう一つは目から下って顎で合流し下に下って行きます。

だから葛根湯と葛根湯加 川芎辛夷はわずか二味の違いですが、葛根湯は項部から上背部に作用し、葛根湯加川芎辛夷は図の顔面から前頚部に作用します。だから頭痛を伴う風邪によく効 くのです。それと鼻炎の症状も和らぎます。その為、本来肺の弱い人で鼻炎や風邪症状をくり返したり、あるいはこれは御婦人に多いのですが風邪なのかどうな のか解らないけれど、ちょっと寒気がすると頭痛がして風邪気味になってちょっと体が調子悪いということが多いのですが(この場合は意外に鼻炎の症状がない)そういう時に常用薬としてお飲みになる方も結構います。

辛夷というのは、副鼻腔 等からの排膿を促す作用があるものですから、煎じ薬の場合はわざわざ倍量にする必要はないのですが、エキス剤の場合は弱いので葛根湯加川芎辛夷と辛夷清肺 湯を合わせて辛夷を倍量ぐらいにしてあげると、いわゆる蓄膿的症状や慢性の鼻炎やアレルギー性鼻炎に非常に良く効く傾向があります。

川芎はこの浅側頭動脈ぐ らいの大きさの血管の血流を良くするのだという話は、前にしましたね。それだけですが非常に使い手のある薬で、私の所で使っている処方ではかなり多いもの の1つだと思います。皮膚のアレルギーの人も多いのです が、鼻のアレルギーのある人は、残念ながら治り切らないので、通院している人はだんだん多くなって来るのです。大人まで鼻炎を引きずってきた人はまず治り 切らないのです。防衛能力だから、お薬さえ飲んでいれば良いという状態以上にはならないのです。まあ、その中でもうんと軽い人で、花粉症などの時期だけ薬 をもらいにくる人もいます。でも、治らなくても上手に病気と付き合っていくのも必要です。

抗アレルギー剤は、あま り僕のところでは使っていません。抗ヒスタミン剤はあくまでかゆみを取ったり、軽い症状を抑えるぐらいでは使うのですが、抗アレルギー剤はあまり使いませ ん。鼻炎等には使わないのです。仮に使っても、まず症状が緩和されてきたら最初に止めていくのが抗アレルギー剤です。その次は抗ヒスタミン剤で、最終的に はほとんど漢方薬でやっています。薬屋さんは一所懸命宣伝に来るのですが、今でも一番よく使うのはポララミンとタベジールです。それぐらいでやっていま す。

次が柴胡桂枝湯です。こ れも外因病にも使いますが、外因病で柴胡桂枝湯になったら初期治療がうまくいかなかったということです。いつも言うように、他の医療機関でこじれてしまっ て来た人に、柴胡桂枝湯を出すこともあります。本来は、外因病の場合、桂枝湯証の人を桂枝湯の状態できちんと治療できなかったために、要するに太陽病を ちゃんと治療できなかったために、経がめぐって少陽に病邪を入れてしまって、小柴胡湯の状態がちょっと出て、口の中が苦くなってちょっと吐いたり下痢をし たり、汗が止まらなくなったり、いろいろそういう症状が出て来て、どうもおかしいと言ってくる人に使うことはあります。

おなかもだんだん痛く なってきて、消化器の症状になり、そうすると桂枝湯にちょっと小柴胡湯を混じればというのが柴胡桂枝湯です。

柴胡桂枝湯は「傷寒論」 と「金匱要略」に載っており昔から使われています。「傷寒論」は外因病ですが、「金匱要略」は本来は内因病ですので、私は内因病の場合に結構使うのです。 そして、内因病で本質的に使うとするならぱ、やはり主は桂枝湯証を意識して使うべきだろうとは思います。ただ現実には非常に難しいのです。

桂枝湯証というのは桂枝 湯あるいは桂枝加芍薬湯で、これは腹直筋が張っており少し自汗があり、本来は小陰ですから先天の気の立ち上がりが少し悪いのです。先天の気の立ち上がりが 悪いまま成長すると、普通は鼻血を出したりする小建中湯証になることが多いのです(小 建中湯は桂枝加芍薬湯に膠胎が加わっている)。現実に大人 になってしまって桂枝湯証になっている人というのは、丁寧に聞くと、子供の頃鼻血を出していた人が実は結構多いのです。でもそれは病気だと思っていない で、その都度、耳鼻科で止めてもらっていたりしているうちに徐々に忘れて、そのまま大きくなります。だんだん大きくなって小学校高学年ぐらいから1人の世界に居られない状態になり、友達関係あるいは学校との関係、さらに 進むと杜会との関係に関わらなければならなくなり、いわゆるセンサーとしての肝を働かせなければならなくなってきます。

柴胡桂枝湯は、少陰が中 心の人で、本来は肝には絡んでいないのにそういう生命力が弱い人が肝を働かせて、一所懸命頑張ろうとすると、必要以上に頑張らなければならないので、結果 として肝が脾を抑えてしまいます。脾が悪いわけではないのです。でも結果として肝が脾を剋してしまいます。だから柴胡桂枝湯の状態というのは、太陰にはほ とんど絡んでいないのに、状態は胃腸の症状です。柴胡桂枝湯の状態というのは、子供から大体20才 代までがほとんどですね。ある意味ではまだきれいなのです。中年以降に出て来ると、同じ柴胡剤でももう少しぐちゃぐちゃと変な薬味が加わる様になるので す。
 要するに、基本は桂枝湯の状態です。これに何かストレスが加わっていて、丁寧に聞けばストレス要因を掴むことが必らず出来ま す。一番典型的なのが心腹卒中痛です。要するに腹直筋の攣急があって、神経の緊張があって、ストレスがあって、そして心腹卒中痛があります。西洋医学では 腹性てんかんに当たります。そしてこれが何故なのか解らないのですが、そして誰の本にも書いてないのですが図のように必ず中
に非常に強い圧痛がある のです。

背部の圧痛は結構言われ ています。テキストにも書いてあります。膵炎等の時の小野寺氏点です。東洋医学の診療では背中はあまり触らないのですね。普通は中の位置に、慣れればスー ツと指が行くようになります。この任脈上の穴は、手をすべらせれぱ、並んでいる穴が次々と引っ込んで触れます。陰脈上の穴は引っ込んでいるところに更に 引っ込んで触れます。陽脈上の穴は逆に盛り上がった上に小さなへこみが触れます。マージャンのモーパイと同じで、ずっとやり続けていると解る様になりま す。黙っていてもスッと指が行く様になります。慣れて来ると、指が行った瞬間に患者さんが反応します。

いわゆる「銅人」という のがあります。あれは、僕はやはりインチキだと思います。東洋医学や鍼灸関係の学会などに行くと、よく展示しています。銅で出来た経絡人形です。そしてツ ボの部分に穴を開けておき、表面を蜜ろうで覆ってしまうのです。中を液体で満たしておき、表面から解らない様にして的確にツボに鍼を入れられるか鍼灸のテ ストに使ったのです。でも現実の人間を見ていると穴の位置はずれます。だからあれはあくまで参考例ですね。任脈上でも5ミリや1セ ンチぐらいはずれます。お尻付近なら5センチぐらい平気で ずれます。刺激のにぶいところではやはりずれが多いのです。だからやはり、術者の能力で探せる様になるのが一番間違いないのです。それこそ諦めないでくり 返し触ると、必ず解るようになります。その様にして触ると中に非常に強い圧痛がある のが柴胡桂枝湯の証です。例えば八味丸の少腹不仁も同じ様にすっと指が入って行き、そこに圧痛があります。あれは大体、気海ぐらいの位置です。柴胡桂枝湯 は中に圧痛があり、これがな けれぱ柴胡桂枝湯じゃないのではないかと思っても良いくらいはっきりしています。
 心腹卒中痛というのは、あるとき突然ぐっと痛くなります。決して詐病じゃないのですがよくと間違えられます。お母さんなん か、「学校に行こうとする時に限ってお腹が痛くなる。」と言って怒るのですが、本当に本人は痛いのです。詐病ではない証拠に頓服で柴胡桂枝湯を出したら、 飲んで数分で症状がとれるのです。それでちゃんと学校へ行きます。ストレスがそれで無くなる訳ではないけれど、やはり楽になればストレスに打ち勝とうとし て学校に行くので、ストレスに負けて本当に学校に行きたくない子は、何をしても痛みはとれませんが、飲んで良くなる子というのはストレスに勝って、やはり 学校に行こうという気持ちがある子なのです。だから喜んで行きます。だからこれは消化器症状なのですが、同じように消化器の症状が無くても、この時期のそ ういうストレスによる疾病というのは、やはり柴胡桂枝湯が効くのです。結構子供で使います。

何に使うかと言ったら起 立性調節障害です。起立性調節障害の子供は丁寧に診ると、やはり中に圧痛がある事が多いの です。ただ、起立性調節障害の子供には抑肝散や四逆散の子もいます。その場合は、いわゆる四逆の状態になり、中院に圧痛が無いのです。四逆の状態は腹直筋 が張っていて、腹壁がドライで温かく、手足が冷たいのです。柴胡桂枝湯証は桂枝湯の証がありますから腹壁は冷えてはいないのですが、ちょっとしっとりして 中に圧痛があります。四逆 はあっても軽いのです。だからやはり中学一年ぐらいから高校生ぐらいの子に使うことが非常に良いですね。

そして、もうちょっと年 が上になっても、胃潰瘍や十二指腸潰瘍やストレス性の膵炎とかそういうものを繰り返す人の場合に、この柴胡桂枝湯の状態があることがあります。

柴胡桂枝湯証は一番基本 に少陰の弱さがありますが、青年期ぐらいになりますと同じ潰瘍を作る患者さんでも、やはり半夏瀉心湯の人も居ます。半夏瀉心湯と柴胡桂枝湯の違いというの は、腹証で明確に違います。それから柴胡桂枝湯の場合、一応は少陰を基調としているのですが、時々本来肝の人が肝でずっと来ていて、ある時に少陰の部分が 逆について来られなくなって、柴胡桂枝湯になる場合があります。一割ぐらいでしょうか。これは少陰よりも厥陰の人ですね。

その場合でも半夏瀉心湯 とは明らかに違ってくるのですが、大部分の柴胡桂枝湯証はやはり少陰の桂枝湯証が主でそれに柴胡剤の胸脇苦満が加わりますが、胸脇苦満はあまり大きな要素 ではありません。先程から言っている様に大きな部分はもともと桂枝湯であり、ストレスがあり心腹卒中痛があり中に圧痛があるということ です。半夏瀉心湯の場合はほとんどこういうのは無いのです。ストレスはありますが、そのために肝が非常に緊張しているという感じが無いのです。ストレスで いわゆる心気症というか、内に籠っているという感じがあって、あまり腹直筋は強く張っていません。たいてい中の圧痛等は無くて、心下 痞というか心下の痛みがあったりします。やはり柴胡桂枝湯は強いて言うならぱ、胸脇苦満ですから両脇が張っています。半夏瀉心湯は心下痞で中心部が張って います。一見同じような症状でも診察すると結構違います。

柴胡桂枝湯は、青年期の 潰瘍とか膵炎に使う事があると言いましたけど、最近は多くないですね。その手の薬はやはり西洋薬で良いものがいっぱい出て来ましたので、患者さんが望むな ら漢方で治療しますけれど、漢方は分量も多いし、1日に2回も3回 も飲むよりも、H2ブロッカーやSSPIなら11回で済んでしまうので、そういう意味で西洋薬を使うことが多くて、最近消 化器疾患に半夏瀉心湯や柴胡桂枝湯を使う頻度はだいぶ少なくなっています。でも、先ほど言ったように思春期の不登校だとか、或いは起立性調節障害という か、そのくらいの子供にトランキライザーはあまり使いたくないのでそういう場合に柴胡桂枝湯や四逆散等をうまく使い分けると、かなり良い効果をあげられま す。今一番使っているのは、そんなところです。まだH2ブ ロヅカー等が登場する前には、結構一所懸命にこういうのでやっていたのですが、最近は使用頻度が少なくなってきました。

今日のお話はこれで終わ らせていただきます。また何か質問があればお受けします。

 

質 問

葛根湯のことなのです が、水の流れが悪くなるというか、そういうものに使用するということなのですが?

回 答

いや必ずしもそういうこ とではないですね。水の流れが悪いときは一般的に葛根湯合五苓散を使います。ただ葛根湯だけの場合はいわゆる胃の症状が潜在的にあることは多いです。胃の 陰は脾ですね。脾は確かに水の代謝に影響を与えます。要するに腎から水をもらい消化器から水を集めて肺にあげてゆくのが脾ですから、脾が侵されると、確か に結果として水の症状は潜在的にあるのかもしれませんが、はっきり水を意識するときはやはり葛根湯と五苓散でやるということです。

 

質 問

そういうときは症状や他 覚所見としてはどういうところを見ていったらよいのでしょうか?

回 答

葛根湯と五苓散を使うと きはやはり現実にどこかに水があります。舌に水があったり、浮腫があったり、心下に水があったり(こ れは心下を触っただけでわかります)、腸管に水を感じると きなどです。ただ、腸管に水を感じるときは葛根湯を使ったり、一方、真武湯を使ったりすることがあります。どちらを使うかはその状態によります。真武湯は 陰病の時期の葛根湯といわれるのはそういう理由なのです。感覚じゃなくて現実に水を感じるというのが大事です。何度も言うように気や血は生命現象ですが、 水は物理現象なのです。物理現象の水というのを証明するためには、やはり物質としての水がどこかにあるというのをとらえなけれぱならないと思います。

 

質 問

葛根湯加川芎辛夷は長め に使うときもあるのでしょうか?

回 答

はい。結構長めに使いま すね。アレルギー性鼻炎とか慢性中耳炎等にもよく使います。慢性の中耳炎というのは鼻炎よりももうちょっと深く入って、鼻と耳をつなぐ管に炎症を起こして いるものですから、葛根湯加川芎辛夷を結構使います。ただ、アレルギー性鼻炎は先ほど言ったように長くかかるのですが、 慢性の中耳炎は上手く薬が合うと以外にすっと良くなってしまいますね。

 

質 問

それは単独でいいのです か?

回 答

単独で使う場合もありま すし、辛夷清肺湯や柴胡清肝湯等と併用することもあります。

 

質 問

太陰、少陰、厥陰はどの ように診断したらよいでしょうか?

回 答

一番簡単なのは耳診で、 一臓診断されることですね。箸の先で耳の穴を触ってみればわかります。それで肺や脾だったら太陰ですし、心や腎だったら少陰ですし、肝だったら厥陰になり ます。

 

質 問

この図(添付図)の 使い方を教えていただきたいのですが。実は耳診でやっていて肺のところを痛がるときは、この図で太陰のところにある薬を選べばよいのでしょうか?

回 答

太陰のところは右が脾に 寄っており、左が肺に寄っています。少陰は上が心に、下が腎に寄っています。内側が補薬で外側が潟薬で、内側にある程虚証に近く、外側にある程実証に近い のです。太陰と厥陰の中間()がありますが、上が太陰に近く、下が厥陰に近くなります。上が肺に近いと は必ずしも言えないのですね。肺や脾の両方に近いという意味です。下()は右に行けば心や腎に近く、左に行けば肝に近くなります。真ん中に書いて あるのは三陰に区別できないものです。

 

質 問

肺のツボを押したら痛が るときは?
回 答

その人が補した方がよい 場合は内側の方から選べばよいし、瀉した方がよい場合は外側の薬から選べばよいのです。

 

質 間

耳穴診の場合、上手く反 応が出なかったり診断が間違ったりしたら?

回 答

それもあるのかもしれま せんが、それを繰り返しながら臓腑弁証と直観として閃く処方、何の薬をやるのだというものがだんだんマッチングしてくれば、能力が上がってくるということ になるわけです。経験を重ねてゆけぱだんだん解るようになって行きます。

 

質 問

最近、脈診を納得しまし た。肝の脈が夕方に多く感じるのですが、その肝の脈を陽として感じるのか、それとも季節的な変動の範囲内ととらえるのか、どう考えればよいのでしょうか?

回 答

春の時期は肝の脈が強く なりますね。ただ、最終的にはそういう場合、均等に全部押さえていって最後に残るのがその人の主脈であるととらえることが大事です。今はちょうど土用の時 期ですね。大体これから二週間後には夏になります。夏の初めはその人の主とするところに夏の脈が出てきます。ところが夏も半ばになると、やはり全部の位置 に均等に季節の脈が動き出すので、やはり均等に押さえていって一番最後に残る脈を取るしかないのです。普通に押さえると、夏場は心の脈がやはり強くなって きています。そこのところを季節のかねあいで上手くとらえてゆかないといけないのです。

 

質 問

土用の病気の特徴につい て。

回 答

土用は昨日からですね。 土用の頃はやはり突き上げるような発作的な症状が多いです。体に、上に衝き上げるものを普通は脾が体の中央で抑えているのですが、土用の時期は、脾が次の 季節の為に働くことで精一杯になる為、この抑えがうまく行かなくなるのです。又、春の時期はガードが緩んで来るのです。

体の表面が開いてきま す。そういう時に常に漢方を飲んでいる人は意外に大丈夫なのですが、普通はちょっと油断するとガードが緩んでいるので外からのものにやられます。

春先はウィルスよりもア レルギー的なものか、体質的なものが関係しているようですね。この春先に診たのはみなそういう感じがします。

 

質 間

春の土用の病気の予防に ついて。

回 答

そうですね、ガードが緩 みますから、そのときにそれに負けないぐらい本人が動いていればかえって大丈夫なのです。充分表面が開いていても肺気を上手く発散させるような動きをして いれぱよいのですが、表面が開いたまま取り込んでしまって、発散できなければ風邪をひきやすくなるのです。

よろしいですか。いろい ろ季節との絡みでとらえておられて、その都度丁寧に診断していっておられるようで感謝申し上げます。どうも、ありがとうございました。

 

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