12回「札幌下田熟」講義録

 

 今回も最初に、特に大 事なことをお話ししようと思います。それはここで私の話すことを、一生懸命コンピュータに入れないでほしいということです。それでは役に立ちません。コン ピュータを目の敵にしているのではないのです。コンピュータに入れられるものは単なる知識であって、能力にはならないのです。

知識をどんなに積み重ね ても、知識の豊富な技術者にしかなりません。能力の高い医療者にはならないのです。知識と言うのは左脳(左利きの人なら右脳)に入ります 能力というのは 実は右脳から出てくるのです。特に東洋医学的な能力というのは、右脳からしか出てきません。左脳から出てくるものなら、それこそ弁証論治ではないけれど、 コンピュータソフトを使って、ボンとスイッチを押せば答が出てきます。それで済むのだったら、何も医者や薬剤師はいらない訳ですね。機械にやらせれば良い 訳です。それで立派な治療が出来ると思うのは全く大間違いです。現代医学の発達というのは、右脳の記憶を全く忘れて行っている連続なのです。これは医学に 限らず、現代科学の進展は、左脳の世界が発達しただけで、それと逆方向に右脳が低下し、その為に人間が丸ごと何かを捉えるという能力をどんどん落してきて いるのです。私は一時期、幅広く講演活動をしていたのですが、ある時からそれを止めたのは、いくら話しても知識としてしか受け止めてくれないので、お話し するだけ無駄だなと思ったからです。でもそうではなくて、右脳で受け止めようとする人が少しでも集まってくれたらということでこういう会をもつに至ったの です。一時、旭川では臨床講義をやっていました。整形外科、内科、婦人科、皮膚科、外科の先生に集まってもらい、それぞれの診療所や病院に持ち回りで行 き、そこで苦労している患者さんに実際に来てもらって、一緒に脈を見、舌を見、お腹を触り、診察をします。

今旭川からみえている山 下先生はその時からの先生です。札幌でのこれだけの方達に臨床講義をすることは出来ないのですが。何故コンピュータが駄 目かと言うと、右側の脳の記憶を思い出させる為には、やはり左脳にある程度インプットして行かないといけないのです。でもコンピュータでは左脳にインプッ ト出来ません コンピュータのキーを押すと記号化されますので、それが出来ないのです。

例えば越婢加朮湯なら越 婢加朮湯と書く事が大事なのです。この患者さんは 血がありますよ、脈がこうですよ、舌がこうでしたよと書く事が大事なのです。

間違っていても良いので す。ボタンを押すのではなく、実際に手を動かして診察所見を書く、あるいはお腹の絵を描いて腹診所見を書くということが非常に大事なのです。これの繰り返 しが一定のエネルギーを左脳に蓄積して行くのです。それがある程度左脳に蓄積された時に右脳にスパークが起こるのです。右脳は解かるのです。左脳は単に覚 えるのですが、ところがある時に解かるのです。皆さんには解かってほしいのです。とにかく繰り返して言いますが、右脳に古い記憶で忘れ去っていたものはい くら私の話を聞いても、ご自分が思い出さない限り能力にならないのです。脈一つとっても、能力が戻って来なかったら私と一緒にとった時は分かるけれども、1人でやると分からなくなります。前にもお話しましたけれど、胸脇苦満でも 瘀血でも、お腹に手を当てるだけで私は分かるのです。でも私のところにお出になっている先生達はだんだん分かるようになってきています。これは決して左脳 を使っては出来ないのです。ただ、繰り返し左脳に入れて、一生懸命に感じようとしていると、ある時右脳にスパークして、パッと解かるのですね。そうなって くれなかったら、いくら話を聞いて知識を蓄えても、皆さんの能力にはなりません。患者さんと接した時に能力として所見を捉えることが出来なかったら何にも ならないのです。私の話を聞いても時間の無駄なのです。講義録を取り寄せてそれをコンピュータに打ち込んで患者さんに面した時、検索してピッタリとした処 方が得られるでしょうか。葛根湯なら葛根湯という薬が本当に解かるのか、桂枝なら桂枝という生薬の意味が解かるのか、茯苓なら茯苓の、人参なら人参という ものの意味が解かるのかと言うと、どこまで行っても解かる様にはならないのです。ある程度のところで諦めるのだったら、それで良いのですよ。一番最初に言 いましたけれど、通り一頑の知識でもある程度のことは出来るのです。一般的にその附近にいる患者さんだったら95% は治療できるのです。でもそれでは今治療できる95%では なくて、今治療できない5%に挑戦して自分を高めて行くこ とは出来ないのです。私はリウマチの患者さんを診てもアトピーの患者さんを診ても一年毎に自分の能力を高めています。最近診ている患者さんのデータを見て も佐藤先生はお解かりになっているのですが、治るのが非常に早くなっています。一年ぐらいあるいは最近一番早いのは半年ぐらいで検査データが正常になった 人がいましたね。20年前だったら私もリウマチの患者さん は治らないと思っていました。10年前にはリウマチの患者 さんは治るなと思っていましたが、それでもかなり難しい患者さんだと思っていました。最近はすごく早く治る方が出てきています。何が変ったのか自分でも実 は解からないのです。何年も前に使った薬と同じ薬を使っています。やはり能力が上がってきたとしか思えないのです。5%に挑戦して自分を高めて行こうとするならば、知識として話を聞くことは お止めになったほうが良いのです。それには私のところにお出になるのが一番良い方法なのですが、自分でも出来るのですよ。私自身知識としてはいろいろな先 生から学んだり、中国に行ったりしましたが、能力としてやった事は毎日毎日患者さんに接して、例えば良くならないと胃が痛いぐらい悩んで苦しんで、その時 「あ、これはこの薬なのだ。」あるいは「一時治療は止めたほうが良い。」等と言うスパークが起こるのを体験した事です。全く治療しない方が良いという選択 というのは普通は出てこないのです。でもむしろ、完全に治療を止めることで良くなることを経験したりしました。要するにそれまでずっと刺激をして、治癒機 構が働いているときは、一時治療を止めたほうがかえってスムーズに治る場合も有ったのです。

治療が悪かったというの ではないのですね。治療がうまく行って、いわゆるめん眩という状態になったら一旦治療を止めるというようなこともだんだん解かってきました。これは非常に 重要な事です。皆さん一人一人の右脳にどれだけの情報が潜在しているか、個人差はあるとおもいますが、必ず何かあるはずです。自分でそれを思い出す努力を して下さい。それをしなかったらお話を聞き続けても何にもならないのです。まずとにかく繰り返し書きながら、繰り返し考えながら、最初から言っている様に とにかく患者さんに触る、そういう中で自分の能力というものが変るのです。

今日は四君子湯からで す。今までもお話した人参湯の乾姜が茯苓に変ったものです。生姜、大棗は付け足しです。本来の四君子湯は人参と朮と茯苓で、甘草は全体を調和させている薬 です 人参と朮は本来は人参湯です 人参と朮は脾をターゲットにしています 脾の一番大きな仕事は水殻の気を体に取り込む事です。水を朮で殻を人参によっ て外から体に取り込むのです。でもこれだけだったら胃腸を亢めるだけなのですが、茯苓で体全体を統制し補ってあげるのです。これが四君子湯です。テキスト には血液疾患の方に応用されて、効能その他の項に書いてあり、四物湯と併せて八珍湯として使うとあります。再生不良性貧血にも一定の効果が認められるとあ りますが、薬効とは言い切れません。普通の貧血で本当に脾虚の貧血の場合は非常に良く効くのですが、再生不良性貧血の場合は、本当は東洋医学的にどうなっ ているのか今のところ分からないのです。あんな山の中(南富良野)まで来ないので、診る機会がないのです。再生不良性貧血の患者さんは大抵、血液専門のと ころへ行って離れられない状態です。最後に診たのがもう20年 前で、私自身の能力が足りなかった時で、よく分からなかったのです。今直接診れば、再生不良性貧血というのは一体どの臓器に問題があるのか分かるかも知れ ません。だから何とも言えないのです。もしかしてキチンと診断できれば全然違う薬を使うかも知れません。一般的な貧血についてはこの四君子湯で非常に良く なる人もいるし、四物湯と合わせて八珍湯として、あるいは帰脾湯を使用して(帰脾湯には四君子湯が入っている)非常に良くなる人もいます。 鉄欠乏性貧血 等も、もちろん鉄剤も併用しますが、この様な薬でどんどん良くなります。このテキストには再生不良性貧血に一定の効を得ていると書いてありますが、20年以上前に書いたものであり、その当時の私の能力レベルでの「一定の 効」なのです。今の私の能力レベルで、再生不良性貧血を仮に診たとしたら、間違いなく貧血が改善されて来なかったら効なしと判定します。20年前では輸血しか治療効果がなかったのであり、当時の私の能力では輸血 の間隔が少し延びたとか、輸血によるヘモジデローシスが少し和らげる程度の効果しかなかったのです。このテキストは当時の感覚で書いているので、一寸恥ず かしい面もあります。その後、診ていないので仕方ありません。

ただ、四君子湯は補う成 分以外は無く、完全な補剤です。完全な補剤は少ないのです。例えば真武湯で考えると、附子が入っていますが、附子が入っていると完全に補う薬かと言ったら 違うのです。附子というのはひっぱたいて働かせる薬ですからひっぱたかれる分に反応するだけの体力が無かったら効かないのです。

四君子湯は支えるだけの 薬です。現実には四君子湯単独で処方している人は1人か2人しかいないと思います。前にも言った様に四君子湯の患者さんは外来には 来ません。四味湯等とつまらない名前を中国では付けていますが、君子というのはマルクス、レーニン、毛沢東精神に反する専制君主制の言葉ですから、そう なってしまったのです。でも君子というのは、本当はおだやかで感情を表わさず強い表現を示さないというイメージがあるので、四君子湯と言います。これはい ろいろ説があるのですが、四君子湯そのものが君子をイメージさせる人に使う薬であるという説と、この中に入っている人参、朮、茯苓、甘草のその働きは君子 のように穏やかで、そっと包むような作用であるので四君子湯と言うとの説もあります。四君子湯の患者さんは強い症状を普通は出していません。そして男性に 多いのです。女性はどうしても血の上衝が優先して来る事が多いのです。男性で何となくもの静かな人で、ヘモグロビンが12g13gぐ らいの軽い貧血ぎみで、何となく疲れやすくて、そうと言って病的という程でもなくて、例えばお酒を飲んでいてさあ二次会に行くぞと皆が盛り上がっていて も、「私はこれで」と言ってそっと引き揚げるというのが、四君子湯の状態なのです。そういう方というのはそれだけでは医療機関には来ないですね。もしかし たら、普通の薬局で四君子湯を買って飲んでおられる方は居るかもしれません。桂枝湯の人が桂枝湯の風邪をひいても医療機関に来ないというもの同じです。私 のところで四君子湯を出している方は、ほとんどの場合、八珍湯の形で出しているか、他の薬に一番ベースになっているところを支える意味で、加えているかの どちらかです。四君子湯を単独で使っている人は1人だけ記 憶があります。実は障害者の施設を抱えていて、毎年検診をするのですが、そこで異常を指摘されたら施設側は問題にするのです。本人は何も訴えないのです が、貧血が認められるので一応診察すると、力が無い感じで、話を聞くと作業が終わったら散歩もしないで部屋に帰ってしまうと言うのです。そういう人にしか 四君子湯は出していません。

あるいは、桂枝湯と同じ 様に患者さんに付いて来て、ついでだから診てほしいと言う人にも出す事があります。そして、お薬を出してもしばらく飲んでいてそのうち来なくなり、どうし ているかなと思ったりします。でもこれをしばらく飲んでいると全体の体力が上がって、その後しばらく薬が要らなくなります。とにかく強い症状が無く、延々 と医療機関に通って来るモチベーションは無いのです。六君子湯になるとそれがあります。四君子湯に陳皮、半夏を加えたのが六君子湯です。更に柴胡、芍薬を 加えたのが柴芍六君子湯です。香砂六君子湯というのもありますが、日本と中国では内容が少し違います。日本のは木香と縮砂を加えます。中国のは少し違いま すがほとんど作用は同じです。四君子湯を基本としてちょっとストレスでうつ的になってくるのが六君子湯です。もっと緊張が強くなると柴芍六君子湯です。単 にナーバスネスになっている状態だと香砂六君子湯になります。結構こういう格好では使えます。四君子湯そのものは単独で使われることは無いのですが、どう いう薬なのかということをやはりしっかり感じ取って下さい。テキストに腹証が書いてありますが、はっきり言ってこんな腹証は無いですね。実は経験的に五君 子湯というのがあります。四君子湯に陳皮だけを加えて五君子湯と言います。これは日常的に見て四君子湯、五君子湯、六君子湯となるに連れて舌の苔が厚くな ります。四君子湯の場合は舌の苔がありません。六君子湯になると、もしかして柴胡剤が必要かなと思えるような黄白色の苔があります。この関係は陳皮半夏が 何かに加わっている処方に全部共通しています。舌苔が黄白でなく少し緑がかってくると柴胡の適応になります。黄緑あるいは黄緑がかった白になると柴胡にな ります。五君子湯は四君子湯と六君子湯の中間ぐらいになり、薄い黄白色の苔が乗ります。これは覚えておくと診断の助けになります。四君子湯で脾がやられ、 更に肺がやられて肝陽上亢になるのですが、脾虚肺虚が主体になったら六君子湯になります。柴芍六君子湯になると肝実脾虚肺虚になり胃腸に負担がかかってき ます。柴胡芍薬という強い薬が入っており、厥陰の人です。四君子湯の人がなるのではないのです(復習、四君子湯は脾の人で、脈は深く押して最後に残る脈が 脾の脈、厥陰の人は同じく最後に残る脈が肝の脈、あるいは原穴反応や外見の特徴で判断・・・佐藤)。柴芍六君子湯と抑肝散、四逆散は非常に良く似ていま す。四逆散に紅参等を加えると非常に近い処方になります。更に朮や茯苓を加えると全く同じ処方になります。同じ様に少陰の方も一所懸命頑張っていると心や 腎の異常が出てきて、これも最終的な負担というのは必ず脾にきます。このパターンは心脾両虚腎仮性実証となります。この状態になると心と腎も調整してあげ ないといけなくなります。これが香砂六君子湯になります。だから、いろいろな薬がこういう風に作られているというのは、何度も言うように人間の本質的なパ ターンが太陰の人、厥陰の人、少陰の人となっているからです。大抵の系統の薬というのはそれぞれの人に合うように用意されているのです。その中でエキス剤 として作られているのは厚生省が最初に漢方を保険で使用する事を認めた時に作られました。厚生省はその時、漢方が現在のように使われる等と思っていなかっ たのです。いろいろな意味の懐柔策として漢方も少し認めてあげても良いかというぐらいの心算だったのです。東洋医学を認めたのではなくて、あくまでも西洋 医学の補助として漢方を認めたのです。その当時、私が東洋医学会に入った時は会員が750名 でした。今は一万人くらいになりましたが、その750名の うち医師は250名で、あと500名は薬剤師さんと鍼灸師さんと業界関係者という時代だったのです。厚 生省が認めた段階ではこの250名の医師だけが使うものと していました。これぐらいなら大した事はないし、日本古来のものも認めてあげないと国民の批判も出るだろうと思ったのです。ところが、この250名の他にも漢方を使う医師が増え、患者さんがそちらに行く様になった のです。講演会でなかなか医者が集まらないのは北海道ぐらいですよ。私が九州で講演会をやったときなどは、医師会員が100人ぐらいしかいない所でも 30人は来ました。そうするとそういう医師達が漢方を使うとどうなるかとい うと、今まで使っていた西洋薬を漢方に変更するのではなく、西洋薬はそのまま使って漢方を追加するのです。最初の250人の医師達はその前から漢方を使っていたので使用量としてはあまり変 らないのですが、漢方を使用する医師が増えたために医療費を押し上げたのです。それで最初一段、二段と古方が認められ、その後後世方が認められましたが、 それ以後は殆んど認められなくなりました。現在、各社合わせて130140処方が認められていますが、それ以後新たな処方は認められる可能性は 無くなってしまいました。だから四君子湯と六君子湯は認められ、柴芍六君子湯や香砂六君子湯は認められないという片手落ちになっているのです。本来は一つ の系統の薬を中心として、太陰の人、厥陰の人、少陰の人に対応できるように作られているのです。それは頭のどこかに置いておいて下さい。でも最初から柴芍 六君子湯を使うのではなく、まずエキス剤を左脳にどんどんインプットして使って行って下さい。

次は平胃散です。薬味 は、大棗、生姜、甘草を除くと朮と厚朴と陳皮です。この場合の陳皮は厚朴に引っ張られます。陳皮も気剤なのですが補う気剤があれば補い、攻める気剤があれ ば一緒に攻めます。そうすると残るのは朮と厚朴で、朮と厚朴だけの薬ということになります。朮は水を動かし、厚朴は気を動かしますので、お腹の中の水と気 を動かす薬ということになります。朮は少し補う作用もありますが厚朴は攻める薬ですので、平胃散は攻めるに耐えるだけの体力があって、気と水がお腹に停滞 しているのが平胃散です。平胃散の人も医療機関には来ません。お腹に気と水が停滞しているだけでは来ないようです。平胃散証に対してセレキノン等の西洋薬 のほうが簡単に飲めますし効果も結構良いので、平胃散の人にはわざわざ医療機関に来る程のモチベーションがあるとは思えないのです。安中散より元気な人に 使うのですが、五苓散と一緒になると胃苓湯になり、胃苓湯はよく使われます。だから平胃散は胃苓湯に入っているのだということを覚えておいて下さい。平胃 散については薬というものを理解することと、お腹の気と水を動かす薬だということを丸ごとインプットしておけば良いのです。

次が六味地黄丸です。山 茱萸、山薬が本当に補っているのかというのは問題です。もしかしたら生姜、大棗と同じ様に、この処方を作った人がその頃たまたまその付近にある栄養のある ものを入れてしまったとも思われます。六味地黄丸というのは元々あったのではなくて、八味地黄丸から桂枝、附子を除いて小児用に作ったものです。八味地黄 丸は漢方の一番古い古典にも出てくるような非常に古い薬です。何故こういう言い方をするかというと、山茱萸や山薬を除いた八味地黄丸や六味地黄丸を作って 使用してもあまり効果は変らないからです。山茱萸、山薬の代りに生姜、大棗を加えてあげたり、あるいは人参などを加えてあげたりしても効果はあまり変らな いのです。そうすると六味地黄丸は、地黄、沢瀉、茯苓、牡丹皮の四つになります。あとの、山茱萸、山薬はその付近にある栄養剤であると考えてしまうとそう なります。地黄は内分泌腺の機能を高めます。牡丹皮は非特異的な消炎剤で、何らかの意味で内熱を生じているものに作用します。沢瀉は利尿剤で腎に働きま す。茯苓は全体がバラバラに作用するのを統制します。要するに腎の何らかの衰えで内熱を生み、それが内分泌腺の衰えを生んで体の統制がとれなくなっている 状態が六味地黄丸証です。未熟児になると八味丸になるのですが、新生児になり、ある程度腎は立ち上がってきていてもまだ弱いという状態に六味地黄丸を使い ます。未熟児には八味丸を使っても良いのですが、新生児以後の子供に八味地黄丸を使うと附子で熱が出て、本当に顔中葉っ赤に上気してしまいます。それぐら いはっきりしてしまいます。

それでも腎の立ち上がり は充分ではないという事を昔の人は分かっていたのです。そこをなんとかするのはこの系統しかないので、桂枝と附子を除いたのです。小児科の先生なら使うこ とがあると思います。私のところでは子供に勿論使っていますが、ほとんどアトピーに使っています アトビーはほとんど子供ですからそうなってしまいます。 子供も含めて若い人の何に対して一番使っているかと言うと、脱毛症にですが、六味丸単独ではない事が多いのです。毛髪を支配しているのは腎が一番大きいで す。円形脱毛の場合は、昔私が都会に居た時に来たのはほとんど肝の方ですので、抑肝散や四逆散で良くなっていたのです。今あそこ(南富良野)まで来ている 脱毛症の人は本当にスキンヘッドになった様な人です。そんなスキンヘッドの人が今日丁度みえましたけれど、半年ぐらい治療して、殆んど髪を伸ばすと分らな いほどになっていました。私に見せる為に髪を刈り上げて来ていました。男の人はそれ程いやではないのですね。そんなになる人はやはり基本に腎の衰えがあっ て、その上でストレスが加わっているのです。そういうパターンは抑肝散と六味地黄丸の組合せになります。子供も2人治療しています。子供が難しいのはちょっと良くなると飲まなくなるので す。この前も又悪くなったと言ってお母さんが連れてきましたが、またバサッと髪が抜けていました。やはり先天的に腎の弱い状態がある方に使っています。そ れに皮毛を補うのには更に肺も関与してきますので、肺を補う薬として黄耆を加えたりします。以上は若い人に使う場合です。他は歳をとって八味地黄丸になる 前の段階で使います。要するに残燭の輝きにです。面白い事にいろいろな病気でダメになる直前に出るのです。橋本氏病だって初期は甲状腺機能亢進です。糖尿 病でも成人のT型糖尿病は最初にドンと悪くなり、その後一時インシュリンがいらなくなるぐらいに回復しますが、その時、六味地黄丸を使ってあげます。成人 のT型糖尿病そのものがそんなに多くないのですが、一例経験しています。20代 後半ぐらいの男の患者さんで、丁度その時期に六味地黄丸をあげてインシュリンがいらなくなって、普通だったら一年後ぐらいまでに増悪するのですが、もう数 年たっていてもインシュリンが必要な状態にはなっていません。これは一例報告にしかならないのですが、六味地黄丸はそういう時に使います。他に使用するの は5060代 で本当に歳をとって行って、もうちょっとでヨボヨボになるなと思われる前に妙に元気になる人がいます。元気になっているならそれで良いではないかと思いま すが、元気になっていても他に体の異常を訴える事があります。体の一部分だけ老化現象を起こしたりしている時に六味地黄丸を使ったりします。八味地黄丸よ り使われる頻度が少なく疾患も限定されます。六味地黄丸は熱証が表に出ており、八味地黄丸は寒証が表に出ています。他の症状は、少なくとも大人に関しては 両者とも全く同じです。ちょっと見た目では八味地黄丸の人は力無さそうな寒そうな感じがしますが、六味地黄丸の人は溌刺としています。でも、腹証は同じで す。舌は、八味地黄丸は少し白い事もありますが、どこかに内熱があり大抵赤く六味地黄丸と同じです。脈も同じです。訴える事も同じです。テキストの一応の 目標のところにも書いてありますが、熱感を訴える以外は八味地黄丸と全く同じです。これは非常に面白いことですね。そして六味地黄丸の人を診ていると必ず 八味地丸に変って行きます。四物湯と六味地黄丸は勿論違いますが、四物湯に附子を加えた処方は八味地黄丸と同じ様に、附子という非常に強い薬味の加わった 処方で非常に有用です。それに臍下不仁という腹証がありますが、これも常に御自分で確かめる癖をつけておけば良いのです。どんなにお腹に力がある様に見え ても臍下不仁のある人は、指の関節一本分は必ず入ります。力のない人は臍下不仁が無くても入りますが、臍下不仁があれば、正中芯といって芯が触れます。両 側もあるのですがこれはちょっと難しいので、真ん中だけで診れば良いのです。臍下不仁があれば指がスツと入ります。そして入るだけでなく必ず痛みを訴えま す。指を入れると力を入れなくても痛がります。正中芯が触れるぐらいになると六味地黄丸ではなく八味地黄丸の方が多いのです。これも繰り返しやっていただ ければ分る様になります。私はそこに手を置いただけで少腹不仁がありそこが冷えているのが分かりますが、これも繰り返しやっていると皆さんの左脳から右脳 にスパークして来ると思います。

次は茵五苓散です。これは金匱要略に 出てくる薬で、茵と五苓散は対等なのです ね。五苓散は主に腎に作用します。それから肺腎関係に働きます。そして、もうちょっと水に働かせようとして、脾から肺への部分にも作用します。これだけで も結構良い薬なのです。ところが脾の働きが悪くなると、やはり水を一番基本的なところで回せなくなり、それが皮膚に現われてくると蕁麻疹になり、脾そのも のの働きが悪くなると黄疸が出ます。(復習、胆汁排泄は脾の働き。脾の色は黄色。)それで全体的に水が停滞します。この脾の所を働かして上げるのが茵です。これと五苓散の水 を動かす作用と一緒に働きます。後で出てくる葛根湯も併用することがあります。

脾は水を口から取りま す。腎からも少し取ります。そして水を肺に送り、肺から全身に分配します。肺は腎に水を降し、腎から排泄します。ところが五苓散は脾の付近(腎から脾、脾 から肺)に働く作用があまり無いのです。この附近に働くのが葛根です。特に葛根は脾から肺への水の道に働きます。葛根は太陰の主薬ですからそういう働きを します。そうして五苓散で腎の附近の働きをカバーします。葛根湯と五苓散を合方すると最強の利尿剤になるというのは、葛根湯の中の麻黄が肺から腎への水の 働き、即ち肺腎関係を更に強力にするからです。茵五苓散と葛根湯を合方す ると腎脾肺の水の廻り全体を万遍なく働かせるのです。この合方を一番よく使うのが慢性の蕁麻疹です。要するに水の停滞のあるものに使います。結構これはあ ります。アレルギーは副作用が無ければ西洋医学でも何とかなるのです。アレルギーの蕁麻疹は西洋薬の副作用でよくよく懲りた人しか私のところには来ませ ん。ところが水毒による蕁麻疹は西洋医学では治せないのセす。それこそ、ミノフアーゲンCな どを使えば効くことはありますが、もう出なくするということは出来ないのです。でも、この茵五苓散と葛根湯を飲ませ たら、その日から蕁麻疹が出なくなります。

本当は五苓散と葛根湯で 治るのですが、茵で脾の部分を更に作用を 増強させる方が良いかなということで茵五苓散と葛根湯を合方し ます。

他に茵五苓散は軽い黄疸のある 肝硬変に使います。肝硬変になると肝が衰えているので柴胡をつかえないのです。芍薬でもこたえる場合があります。香附子、竜胆も使えません。肝硬変になる と一般に五苓散と人参湯を使います。あるいは五苓散と紅参を使います。そして、少し黄疸があると五苓散の代わりに茵五苓散を使います。原発 性胆汁性肝硬変(PBC)と診断される患者は、東洋医学的 に治療すると、いわゆる肝硬変にまでならないで10年も20年も慢性肝炎の状態で治まっています。でも、PBCには茵五苓散を使わないで梔子 柏皮湯を使います。原発性胆汁性肝硬変は柴胡剤は使っていません。いわゆるウイルス性の肝炎には柴胡剤を使うのですが、PBCはちょっと違う流れのようす。かえって黄連解毒湯系統の薬を使います から、普通の肝炎や肝硬変とちょっと違います。

PBCはあまり多くはないで す。私のところでも10人ぐらいです。そういうことで、茵五苓散は慢性蕁麻疹とか やや衰えた肝硬変に使っています。

次は麻子仁丸です。単純 に言えばこれは承気湯系の潤下剤です。大黄、枳実、厚朴が含まれ、大承気湯、小承気湯に共通しています。承気湯は、本来は気剤であって瀉下剤なのです。麻 子仁が入っており、杏仁と共に双仁組と言いますが、油の成分でひまし油等と同じで腸管を潤す作用があり、これが表に出ているので麻子仁丸と言います。小承 気湯の部は少ないので、承気湯の作用はマイルドになっています。杏仁は麻子仁の作用を増強します。現実には麻子仁丸はよく使います。便の硬いタイプの便秘 に夜だけ飲む形で使われます。センノサイド等はお腹が痛くて、絞り出すように作用するのですが、麻子仁丸は非常に楽なお通じがつきますので特にお年寄りに 喜ばれます。

これに更にいろいろ加 わったものが潤腸湯になります。麻子仁丸は夜だけ飲ませるのですが、このタイプの人は昼間に飲む薬に当帰等、潤腸湯に加わっている薬が含まれているので す。だから実際に飲ませてみると麻子仁丸も潤腸湯もあまり変りはないのです。

麻子仁は帰経は太陰の肺 で心不全をちょっと改善させる作用があります(復習、東洋医学の肺は心肺機能も含む佐 藤)。麻子仁が灸甘草湯にもはいっているのはそういう意味なのです。でも麻子仁は麻子仁丸で使われているときと、灸甘草湯で使われているときと全然違う薬 の様な感じがして、私もまだ完全にはこの意味が分からないのです。だから麻子仁丸は潤下剤だと理解して下さい。

次は葛根湯です。これは 非常に大事な薬です。昔は町医者だったらほとんど葛根湯だけでかなりの医業が出来たのかも知れないですね。本当のお金持ち相手の御殿医等は百味箪笥みたい なものを持っていたのですが、落語に出てくる葛根湯医者というのは葛根湯の成分と大黄、その他の合計10ぐ らいの薬味でやっていたのです。薬箱に絵が描いてあるのです。大黄なら大王がふんぞり帰つている絵が描いてあるのです。麻黄は本当に悪魔の王様の絵が描い てあるのです。他の薬は何が描いてあったかよく覚えていないのですが、全部絵で描いてあったのです。それでも感覚でこれはどういう薬だというのを何年も 使っているうちにきっと左脳が覚えてしまっていたのでしょうね。それだけで加減法をやっていたのです。葛根、麻黄、桂枝、芍薬、生姜、大森、甘草のほか、 大黄、杏仁、石膏ぐらいでやっていたのです。当然、柴胡の様な高い薬は使えないので、そういう時はもっと偉い先生のところに行ってもらったのです。でも 、10味ぐらいでかなりの治療が出来たのです。例えば葛 根、麻黄の量を減らせば桂枝湯になります。それでもあまり薬を飲んでない人だったら充分効いたと思います。昔は薬と言ったらすごく高いものでしたからね。 どれかを増やし、どれかを減らし、ちょっと何かを加えたらいろいろな治療が出来たのです。昔は庶民は貧乏でした。常時薬を飲んでいる訳には行かないので す。咳が出た、下痢した、お腹が痛いというその時だけ治療してもらえば良いのです。それで治らなかったら天命だと諦めたのでしょうね。江戸っ子は宵越しの お金は持たない等と言うのですからお金はなかったのでしょう。今だったら箪笥の奥から何かを出してそれをお金に変えるとか、宝石を売って何とかする事が出 来るかも知れません。でもその頃、町医者というのはこの10味 ぐらいの薬で処方して1回か2回飲ませれば何とかなったのでしょう。日常出会う病気だったらそれで足り たのでしょう。そして葛根湯はこれだけたくさんの薬味で構成されていても葛根湯と命名されているのは、葛根が主薬だからです 陽明の主薬なのです。陽明と いうものは外から入って来るものを取捨選択するものです。悪いものは出来るだけ入れないのですが、入ってしまったら口から吐くか大腸から出すのです。そう しないと太陰である脾や肺がやられてしまいます。そうならない為に取捨選択をするのが陽明です。大腸に至る前にまず胃で反応します。「陽明の病たる胃家実 これなり。」と言いますが胃で戦っている状態です。この状態に使うのが本来は葛根湯です。葛根湯の中の麻黄の量を減らすと桂枝加葛根湯になります。この場 合も胃の症状があります。葛根湯の人というのは、当初は言わない事が多いのですが、後で聞くと急性疾患で葛根湯証になっているときは潜伏期として必ず胃の 症状があります。その何日か前から全然食欲が無かったとか、食べたあとにお腹が張ったとか、そういう症状があります。昔は、陽明病あるいは太陽と陽明の合 病の状態では、あまり医療機関にかかっていないのです。やはり古方の人達の使っているのを見ると麻黄湯や桂麻各半湯が多いのです。太陽病の状態になって初 めて医療機関に来る事が多かったのです。人間の反応自体が変ったのかどうかわからないのですが、私のところでは大人はインフルエンザの時以外は圧倒的に葛 根湯が多いです。この前、私は麻黄湯証になってビックリしたのですが、こういうことは滅多に無いですね。麻黄湯は小さい子供場合はあります。赤ちゃん等は ほとんど麻黄湯です 葛根湯を投与するときは、必ずどこかに陽明の症状があると言う事を念頭に置いてください。この前、私が勘違いしたのは下の症状(下 痢)を陽明としたのですが、後で考えると小腸性下痢だったのです。あれは小腸性ですから太陽病だったのです。陽明の下痢は胃がバンと張るとか、すっきりし ない下痢等があるのです。エキス剤で使うときはこれで決まりなのですが、煎剤で作るときは、好きな分量で処方すれば、葛根湯という名前でいろいろなことが 出来るのです。もうちょっと贅沢な医者だったら、10ケの 薬味の他に桔梗も使って葛根湯加桔梗石膏とかという処方も作れるのです。更に黄芩を使うと芍薬では足りない少陽病の処方も作れます。この附近まではあまり 高価な薬ではなかったと思います。黄芩はこがね花ですから多分簡単に使えたと思います。後世方の人達はこれらに朮や附子ぐらいまで使ったと思います。ただ 附子になるとかなり高度な医術がないと使えなかったのでしょう。というのは、加工附子や修治附子なら殆んど毒性は無いのですし、今は煎じ用の附子でもかな りキチンと修治してあるので、注意して使えばそんなに危険なことは無いのです。でも昔の医師が附子を使うとしたら、できあいのものがないのですから、自分 で焙ずるしかなかったのです。焙じすぎれば薬効がなくなるし、焙じ足りないと毒性があるので危険です。加工附子や修治附子を作っている工場に行って見学さ せてもらった事があるのですが、その工場に入っただけ具合が悪くなります。因みに言えば、現在の医師や薬剤師といえども、自分で焙じて患者さんに出したら 薬事法違反になります。自分で焙ずるだけでその臭いを嗅いだだけで中毒する事にもなります。私は今だったらそうでは無いのかも知れませんが、若い頃はまだ 体力がある頃ですから、工場で焙ずる臭いを嗅いだだけで具合が悪くなりました。工場を出て来たらボーっと上気してしまいました。それぐらい大変なことにな ります。だから町医者は、多分附子は使っていなかったのではないでしょうか。

朮と石膏があれば、越婢 加朮湯等が作れますので、越婢加朮湯も使っていたかもしれません。肝を押さえるとときは芍薬を増量し、気の上衝がある時は桂枝を増やしたりしていました。 前にも言いましたが、葛根湯の一番の特徴は、布団をがけても寒いし、汗が出ないのです。30分 でも一時間でも布団にくるまっています。更に葛根湯を飲めば汗をかいて治ります。無汗といいながら丁寧に触れば皮下に水気を感じます。麻黄湯の場合は汗を 感じないのです。うつ伏せで水に浮かんだとき、水面に出る部位に症状を出すのは、葛根湯も麻黄湯もあまり変りは無いのですが、桂枝加葛根湯の場合は、にも 拘らず無汗でないと傷寒論は表現しています。而(にも拘らず)という字で書いてあります。桂枝加葛根湯は葛根湯と同じ項強等の症状がありますが、その上に 自汗があるのです。そして葛根湯の正証ならば意外に咳をしていないのです。むしろ麻黄湯や桂麻各半湯の場合の方が咳をすることが多いのです。葛根湯の風邪 をひくと陽明でくい止めているのです。陽明が実するということは邪を陽明で頑張って肺や脾に入れないためですので、意外に肺の症状は出ないのです。桂枝加 葛根湯は麻黄が入っていません。これは自汗があるからです。麻黄による鎮咳作用は考えに入れていないのです。ところが太陽病として発症してしまう人は陽明 を通り過ぎてしまっていますので、逆に陽明のガードはなくなってしまうのです。太陽病では陽明の実は消えているのです。だから場合によっては肺の症状を出 しやすいのです。ところが陽明病で発症し、太陽病にならずに陽明のガードが外れ咳をし始めたら麻杏甘石湯になります。これだけの治療が出来るのです。だか ら昔の町医者は10種類ぐらいの生薬で治療出来たのです。 今、どうしたら良いか胃の痛い思いをして医者をやっていますが、昔の医者は幸せだっただろうなーと思いますね。大王や魔王の絵の描いた薬味ダンスを引っ張 り出しながら、何が来ても葛根湯を出していたというほうが良かったのかも知れませんね。葛根湯の水を動かす部分については茵五苓散のところで言った とおりです。今日はこれで終わります。

 

質  問

寒気が無いのに熱がある 場合は?
答  え

それは大抵は陽明の時期 を過ぎているので桂麻各半湯になります。一番基本です。ごく稀に香蘇散の場合もあります。香蘇散や参蘇飲の人は風邪でないときも似た症状を出します。要す るに風邪症状があって、寒気がないのに熱がある場合は桂麻各半湯になります。太陽のところにちょっとかかって、そこで止まっている状態です。

 

質  問

鼻水とかくしやみをして いるのは?

答  え

鼻水というのは肺の入口 で肺を一番ガードしているところです。陽明の入口ですので葛根湯です。水鼻の場合は小青竜湯のこともありますから、ちょっと考え方が違ってきますが、一番 多いのは葛根湯です。よろしいですか。ではこれで終わります。

 

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