6回 「札幌 下田塾」講義録

 

前回六経弁証について講 義しましたが、何故日本漢方と中医の六経弁証について説明したかということをもう一度お話します。傷寒は本来、陽明一太陽一少陽の流れになっていますが、 ほとんどの場合、陽明は潜伏期です。たまに陽明をちょっと残したまま、太陽と陽明の合病の形として発症する場合もあります。これで何も考えないで良いので す。何故この間いろいろお話ししたかと言うと、中医の教科書を見る方もいれば、古方の教科書を見る方もいるからです。

この前話したように陽明 一太陽一少陽という病期の順番でそのまま臓腑の場所もみんな決まってしまうのです。陽明は肺と大腸と脾と胃です。太腸は心と小腸と腎と膀胱です。厥陰は肝 と胆と三焦と一応心包も入ります。ここに症状を出すので何の矛盾もないのです。全部このままで良いのです。ところが傷寒論や素問をそのまま受けてしまった 現代中医学の教科書があり、逆に傷寒論や素問の前文なんかを無視してしまって、現象面だけを見て発達して来た古方の表現がありますが、それぞれの誤解が あったために言っていることが本来の物と違ってしまっているということです。それらを読んだ時、陽明一太陽一少陽の考え方が別の言葉で書かれており、混乱 してしまうのではないかと思います。本来は陽明は潜伏期で、太陽、少陽の順なのですが、太陽と陽明が同時に発症する時に、太陽のほうが症状が強いから、陽 明が遅れるように見えてしまうのです。その為に素問も傷寒論も、太陽一陽明一少陽と書いているのですね。何故、間違って、太陽一陽明一少陽と書いてあると 言えるかということを説明します。傷寒78日とか、ぐるぐる回る病期のことをお話しましたね。例えば傷寒4日と言ったら、一回りして、この順番ならもう一度太陽に来て5日日は陽明に来ることになります。ところが、傷寒論なんかに出てくる条文 を克明に読んでいけば分かってくるのですが、一めぐり目は太陽一陽明一少陽と書いてあるのに、二めぐり目以後は、実は陽明一太陽一少陽の順番になつている のです。だから傷寒78日日と言ったら三めぐり目で陽明から太陽に向かっているとき、あるいは更 にそれが深くなって、太陰から少陰に向かっている時などを指しているのです。傷寒論も素問も一めぐり目が太陽一陽明一少陽と書かれており、陽明と太陽が逆 になっているのです。ところが、それをそのまま中医学は受けているものですから、太陽、陽明、少陽はこの位置を指しているのです。

その付近で病気の時期と 病気の場所がちょっと混乱しているのです。古方の方は、太陽と陽明の合病として発症するのは別として、同じことを太陽病から順番に見ていって、太陽一少陽 一陽明とします。患者さんを素直に見ていくと本来そうなってしまいます。ところが陽明の潜伏期一太陽の付近で陽明の症状を残していますが、この陽明の肺や 大腸などを二めぐり日の陽明の位置に入れられないものですから、経絡を無視して、少陽の位置に入れてしまったのですね。だから同じ少陽という言葉でありな がら、古方の方は臓腑経絡を無視します。始めから古方は臓腑経絡を無視せざるを得なくなるのはその為なのです。古方で臓腑学説を口にするのは寺沢先生だけ です。他の古方の大家の方々で臓腑と言うのは空理空論だとまで言う人がいますが、最初から少陽のところで混乱してしまっていますから臓腑経絡を言うと理論 が破綻してしまうのです。寺沢先生の本には立派に臓腑学説を入れていますね。私が「臓腑学説を入れたんです ね。」と言ったら、「いやー、臓腑を無視したら腎気丸も清肺湯も抑肝散も使えないよ。」と言っていました。やっぱり彼は教授になるぐらいあって偉いです ね。要するにこういう理由があって、中医が言っているのは、陽明、太陽の順番が逆になっており、病期の流れがちょっとおかしいのです。古方の言っているの は少陽とか陽明とか言いながら指しているところが違っています。二まわり目の陽明に少陽の一部を含めてしまったりしているのです。この話をわざわざした理 由は、僕の話と僕のテキストだけでものを考えるときはいらないのですが、でもやっぱり、診療をやっていく時に、この病気は他の先生はどういう考えで、どう いう処方をし、どういう治療をするのかなと思って読みたくなりますよね。読みたくなったときに本に書かれていることが、中医の考え方で書かれているのか、 古方の考えで書かれているのか、そこをきちんと区別して読まなかったら混乱してしまうと言うことです。その為の話ですが、本来は陽明に始まって太陽、少陽 又陽明となります。古典は膨大ですから読むのは大変ですが、暇のある方は読んでください。なぞ解きみたいで結構面白いです。

もう一度望聞問切の話を します。前回お話した後、思いたって漢和辞典と語源辞典をひも解いてみましたが、言ったことは間違いではないですね。何故、望聞問切について話したかと言 うと、一番問題となるのは舌診なのです。舌診だけを一生懸命やっている先生の教科書を見ると、舌診は望診だから、一番優れた診断法で、舌診だけで何でも診 断できるぞ、と言うことまで書いてあります。ところが現実には、舌診だけでそんなに診断できないのです。例えば傷寒のときは舌診と言うのはほとんど役に立 たないのです。例えば何の病気もなかった人に傷寒が入ったとき、たまに舌診でも診断がつくこともあります。いくら治療しても、舌は緑色をしていたり、真っ 黄っ黄の苔がついていたりしている人がいますが、そういう人にいくら傷寒が入っても全然変らないのです。だから舌診は望診ではないのです。何なのかという と望と言うのは遠くから眺めるという意味と、望月の満、全てを賄うの意味があります。ちゃんと昔から視診と言う言葉があるのにあえて視診という言葉を使わ ないで、望診とつけているのは意味があるのです。切診は脈診と腹診だけであるならば、触診と言ってもいいはずですね。切診の切と言うのはどういうことかと 言うと、迫るあるいは切り取ると言う意味です。分かりやすく言えば、望、聞、問、切というのは患者さんと診察者の距離の事です。ちょっと離れたところから 診ると言うのが望診です。舌診は本当に切迫して、切り取って診るのです。だから舌診は切診です。それと脈診、腹診は切診ですが、切診はそれだけじやないの ですね。前にも言つた様に体中を触りますね。そして良く診ます。こういうところの皮膚(前腕外側)あるいは、足のふくらはぎなんか、非常に接近して診ると いうのも決して望診ではないのですね。差し迫って診る.というのが切診です。聞診は望診より、もう少し近く、問診となると更に精神的に近くなります。聞 診、問診は現代でも簡単に分かります。望診とか切診と言うのは他で言われない言葉です。語源を引くと、 望、切という言葉はそういう意味をもっており、それでわざわざそういう言葉を使っているのです。

四逆散の途中からです ね。四逆散で非常に大事な点というのは、黄芩を配さない柴胡剤で、その本質はトランキライザーであると言うことです。それはテキストに書いてありますが、 ほとんどの教科書ではまだ間違っているのです。間違っていると言ういい方は悪いかもしれませんが、もう大分広まっていると思うのですが、でも四逆散は大柴 胡湯と小柴胡湯との中間等と書いてある教科書がいっぱいあります。あるとき四逆散について分かったのですが、もう20年も前の事です。全国でその当時の若手が集まっていたシンポジウムで、 今、名古屋でやっている伊藤先生が、四逆散の適応の人は、手足に冷たい汗を出すのが非常な特徴であると発表されました。それでまあ喧々諤々となりました ね。四肢に冷たい汗をかく状態といったら二つしかないのです。西洋医学的に言って一つははなはだしい精神緊張か、もう一つはショック状態のどちらかしかな いのです。さあどっちだろうと言うことになりました。四逆散というのは、その当時は大柴胡湯と小柴胡湯の中間等と言われていました。大柴胡湯と小柴胡湯と の中間だったらいずれにしろ非常に強い薬だから、ショックの時に使う薬ではないですね。それで西洋医学的に言う精神緊張の状態の手足の汗であろうと言うこ とになりました。そうすると抑肝散等の使い方も分かってくるのです。更にそれをずっと見ていくと、どうも黄芩が入らないで柴胡だけを使った処方というの は、大柴胡湯や小柴胡湯の様に、柴組を使っている処方とは 違うことが分かってくるのです。柴胡だけを使った処方を思い浮かべると、抑肝散、加味帰脾湯、加味逍遙散等があります。これらは皆症状に精神緊張がありま す。 ということは、柴組に使っている大柴胡 湯、小柴胡湯は本質的には消炎剤ですが、黄芩が入らないで柴胡だけが入っているものは、本質を見るとトランキライザーです。抑肝散もそうなのですが、四逆 の人と言うのは実は診察すればよく分かるのです。四逆の意味は四肢逆冷です。四肢逆冷と言うのは診察すればすぐ分かります。四肢先端が冷えています。逆に 暖かいところがあります。おなかが暖かいのです お腹が暖かいということは体が暖かいと言うことです。一生懸命頑張っていますからいわゆる実証的で、体に 熱があります。体が熱いのですが、それにもかかわらず手足が冷えるのです。これはかなりストレス状態です。ストレスで緊張している状態です。

これは実は四逆散の傷寒 論で提示されているところがちょっと問題なのです。それで、又余計混乱してしまっているのです。これはあとからの編集の問題だろうと思います。四逆湯と前 後して書かれているので、どうも混乱してしまっているのです。多分名前が似ているので編集の中で一緒に組み込まれたのではないかと思います。四逆湯はこの 四逆散の四逆ではないのですね。指摘している人は何人かいます。これは四逆湯ではなく、本来回逆湯だったのです。回逆湯と言うのは全体が本当に冷たいとこ ろに行って、落ち込んでいこうとしているのを、逆にめぐらして命を蘇らせる湯なのです。当然、四逆湯を使うときはショック状態の時、あるいはショックに近 い時です。だから四逆湯を整理しているところは他の処方も全部そういう証なのです。だから名前が似ているのと、四肢逆冷という症状が似ているので、何故か 四逆散が紛れ込まされているのです。それで四逆散が誤解されているのです。四逆散の系統は四逆散と抑肝散、抑肝散加陳皮半夏です。

それ以外の四逆とつくの はほとんど四逆湯系です。エキス剤で出て来るのは当帰四逆加呉茱萸生姜湯ですね。あるいは簡単にエキス剤の組み合わせで作れる茯苓四逆湯等はみな四逆湯の 系統です。そして四逆散は決して大柴胡湯や小柴胡湯の変方ではありません。独立した非常に良い薬です。柴胡剤としての消炎作用はあまり強くはありません。 あくまでも、そういう精神の緊張を解くのです。それもさっぱりとした状態の緊張を解く薬です。いわゆる若い人に使います。

これは柴胡桂枝湯の方が よい場合もあるのですが、突然腹痛を起こしたりする思春期の子供に使います。他に四逆散に芍薬甘草湯を加えて、先程言ったようにこむら返り等に使います。 先程言った若い子で緊張すると調子が悪くなるという場合、四逆散をずっと飲ませることもありますが、頓服でも出せることもかなりあります。お腹はそこに書 いている通りで、大柴胡湯や小柴胡湯に似ていると言いますが、軽い胸脇苦満しかないのが普通です。テキストの一番左側にあるのがよく分かります(下図)

実は柴胡桂枝湯のお腹に 非常によく似ています。ただし、柴胡桂枝湯の場合は中の位置に著明な圧痛があ ります。四逆散はそれがありません。それと腹直筋の緊張があって、やはりお腹があたたかいのです。それから手足が冷えています。四逆散の状態というのは反 応が強いのです。非常に手に汗が出ています。

冷えているだけでなく て、もう明らかに水を感じるくらい汗ばんでいます。手に汗をかいているというのをどうして診るかと言うと、もちろん触ってみます。

触ってみますけれども、 手の平で患者さんの指先を触ったらダメなのです。術者の手の気や自分の汗が関係しますので、必ず手の甲で触ります。手の甲で触って水気を感じるなら間違い なく四逆があると判断します。四逆散の場合は患者さんの手掌に術者の手の甲を当てるようにして触っても良いのですが、四逆散の変方である抑肝散の場合は非 常に発汗が少ないので、患者さんの指先に手の甲を当てて触るのです。本当に指先だけが汗ばんで冷えている、そのくらいのレベルなので丁寧に触らないと分か らないのです。私のところに来たら分かりますが、いつもやり慣れているので無意識に触りまくりながら診てしまいます。始めは丁寧に診なければなりません が、そのうち診察フォームが出来上がってしまうと、この間言ったように知らないうちに触りまくっているのです。それで何も感じなければ、そのまま通過して しまいます。四逆があれば分かります。四逆散というのはこういう処方です。結構使います。テキストには若い人のノイローゼ、ヒステリー、うつ病と一応書い てありますが、抑うつ状態というのが本当です。抑うつ状態というのは肝の緊張状態です。これは精神科的に正しいのかどうか分かりませんが、一応僕の考察の 中でいつも、うつと抑うつを区別しています。これは心理分析をすると中味が随分違うのです。それから更に気うつがあります。そして、気うつの中味はうつ系 統と抑うつ系統があります。うつというのは本来は太陰の病証ですが、抑うつと言うのは厥陰の病証です。気うつもうつ系は太陰経です。抑うつ系はどちらかと 言えば厥陰経です。いろいろな薬を考えて行くときに、精神分析をするとうつと抑うつは全然違うのです。これはまた心療内科系統の教科書でも混乱して書かれ ていることがすごくあるのですね。分析すると、うつというのは心の中を覗いても、本当に何か深い淵を覗く様に何も見えないのですね。心が動いていないので す。もう滅入ってしまって真っ暗で、全然身動きがとれないのです。身動きがとれないでじっとしているのが、前に言ったように脾なのです。身動きがとれない で嘆き悲しんでいるのが、肺の病証なのです。抑うつは何なのかと言うと、見た目はうつですが、分析すると心の中が激しく動いているのです。現代はこちらの ほうが多いですね。分析すると、山ほどあれこれ考えているのです。動かないといけないと思っていても動けないで、それで苦しんでいるのです。それは肝のう つなのです。

気うつぐらいになると、 同じうつでもちょっとめぐりが悪いかなという状態です。太陰のうつをついでにちょっと話しておきますが、太陰のうつの一番基本は帰脾湯です。厥陰のうつの 一番基本は四逆散です。気うつの太陰のうつは半夏厚朴湯です。気うつの厥陰の抑うつの一番基本は香蘇散です。ということはどういうことなのかと言うと、厥 陰の抑うつは最初から緊張感があるのです。太陰のうつの人は本来は緊張感がないのですが、社会に生きている以上緊張しない訳にはいかなくて、うつであって も頑張らされるのですね。それで緊張した時に使うのは先程言った柴胡が加わった加味帰脾湯です。だから四逆散の先程言った意味が分かって来ると、帰脾湯や 加味帰脾湯の関係もわかるのです。

ここで質問あり。

香蘇散の中には交感神経 を抑える薬は入っていますか。
答 香附子です。

香蘇散の中の香附子は軽 く肝気をめぐらせて、蘇葉が気を発散させます。本来は風邪薬なのですが、実際には気うつに使えます。よろしいですか。何となく四逆散のイメージがつかめた と思います。又あとで四逆散系統の話をするときに何度も同じことを言いますので、この辺にします。

次は四物湯です。やはり4味か5味 の薬を話すときは面白いですね。10何味の薬などになる と、逆に言うことが無くなってしまうのです。当帰、芍薬、地黄、川芎の順番ですが、地黄というのは本当に面白い薬です。やはり内分泌腺の血行を良くするの です。四味とも皆血行を良くするのです。芍薬は普通の太さの血管で、中から小くらいの血管の緊張が高まっていたら解き、逆に緩んでいたら引き締めます。こ れは最初に芍薬甘草湯の時に言いましたね。芍薬甘草湯の二味だけで効果を出すのは、芍薬のこういう作用で血行が改善されて、甘草のミネラルコルチコイドの 作用が行き渡って効果を示すと言ったと思います。地黄はほとんど内分泌腺の血行を主に改善します。ほとんどの内分泌腺の血行を良くするようです。だからい ろいろな腺の活動を活発にします。地黄の入っている薬は胃にもたれるというのはその為なのです。分かりやすく言えば胃だって腺上皮ですから、胃酸分泌を活 発にする場合もあります。地黄で分泌活動だけを盛んにしてしまうと攻撃因子だけを増強させますから潰瘍を作ることがあります。八味地黄丸などで潰瘍を作る のはその為です。でも一方で前に出てきた参耆剤等で胃腸を保護すれば、防御因子を高めてくれます。だから、十全大補湯などでは地黄が入っていてもあまり胃 がやられないのです。そして当帰は皮膚の末梢循環と内生殖器に作用します。特に女性の内生殖器によく作用します。結構よく効きます。そして当帰と言うのは 婦人薬の基本です。当帰の入っていない婦人薬というのはないくらいです。これは面白いもので当帰も川芎も男性は大体苦手です。生の当帰の臭いや、生の川芎 の臭いを嗅いだ事がありますか。

ところで東洋医学のシン ポジウムの話をしようと思っていたのですが、皆さんも一応東洋医学会の会員ですか。そうでない人もいますか。是非入ってくださいね。今年は831日 と91日 に合宿制の東洋医学シンポジウムをします。東洋医学会会員の場合出席できます。佐藤先生は実はそれに専門医の点数が足りないといって、一昨年飛込みで来ら れて、その後僕のところに通うようになられました。全国でやっていたもののミニチュア版です。合宿制で討論するというのは一演題一時間ぐらいかけるので す。演題は叩き台なのです。普通の学会だったら、変な討論になるとあとはフロアのほうでと言って、全然討論にならないでしょう。自己満足的な発表をしてい たって、相手がどれだけ解っているかも分からないのです。クローズドで向かい合っていて一つの演題に一時間も討論するということを、二日問もやってしまう ので、お互いに相手が何を知っていて何を知っていないか全部分かるのです。その全国版があって、僕が最初に出たときはボロボロになりました。もう何にも無 くなってしまったという状態でした。その当時のメンバーは寺沢先生もそうだし、広瀬先生、広島のそごう先生、江部兄弟だとか、聖光園の山田先生とかで、皆 働き者だったのです。すごく熱心ですから都会で一生懸命やっていたのです。僕は怠け者ですから山の中へ、山の中へ逃げ込んじゃっただけでしたね。だから是 非今年は東洋医学シンポジウムに参加してください。二日問討論し続けると、得るものも多いのです。自分がどれだけ解っていないかも分かるのです。そうする と猛然と勉強する意欲が湧いてくるのです。そのシンポジウムのあとに、毎年生薬畑を見に行って、生薬の実際の姿を見、臭いも嗅いでみるのです。秋口ですか ら咲いている花も限られてしまいますけれど、場所がわかれば春先に行ってみたり、時期をずらして初夏に行ってみたりできます。

薬用植物そのものに触れ ることは大切です。当帰や川芎というのは男性は大変苦手ですが、女性もあまり生が強いとダメですね。当帰芍薬散などというのは、そのまま散で出したら、非 常に顰蹙を買います。もう当帰の臭いのゲップが出てきたりしたら、当分具合悪くて食欲もなくなるというぐらいです。だから当帰芍薬散は当帰芍薬散料として 煎じて飲まれています。当帰は以上の通りです。四味はいずれも、どちらかと言うと動脈系に作用します。当帰、芍薬は動静脈移行部ぐらいまで作用します。川 芎は中ぐらいの動脈に作用します。こめかみの浅側頭動脈ぐらいの太さのものと考えれば分かりやすいのです。川芎の入っているのはここの附近(こめかみ)の 頭痛に効きます。当帰は一番細い血管です。地黄は血管と言うより場所です。芍薬は全身です。四物湯は総合的に血行を改善します。その結果、瘀血が解消され ると書いてある教科書がこれまた多いのです。これも間違いです。最近それをキチンと書いている教科書も出てはきているのです。でも実は古典には 血と言う 言葉はないのです。血瘀という言葉があります。日本でいつの間にかひっくり返して瘀血と言ってしまったのが事実です。それともう一つ出てくるのが血虚で す。ところがこの二つをまとめて、いつの間にか瘀血という言葉で括ってしまっているのです。だから 血に関する教科書と言うのは訳が分からなくなってしま うのです。そして非常にデタラメな発表が出てきてしまいます。例えば婦人の不定愁訴全部に桂枝茯苓丸を出したらどうなるとか、当帰芍薬散を一律に投与した らどうなったとかの発表が出てきてしまいます。全く別の病態なのに 瘀血と言う名の元に当帰芍薬散や桂枝茯苓丸や四物湯という一つの薬を全部の状態に投与 してしまっているのです。これではまともな成績が出るわけがないのです。血に対する薬は血瘀と血虚、又、別にもあるのですが、それぞれはっきり違うものな のです。血瘀というのは分かりやすく言えば静脈系のうっ帯なのです。血虚というのは動脈系の不足なのです。もちろん両方が一緒に起こる場合もあるのです が、同時に起こってもそれは瘀血というのではないのです。 瘀血と言う言葉は止めたほうがいいのですが、一般的に僕が瘀血と言うときは殆ど血瘀の方を指し て言います。いろんな教科書を見ると、血虚も瘀血と言っているのがあるので、一応それを注意して見ていってください。そうしないと、又分からなくなってし まいます。薬の中に両方に作用するものもあるのですが、いわゆる血に働く薬というのは、かなりの部分はどちらかに別れています。四物湯は先程から言ってい る様に血虚に作用する薬です。当帰、芍薬、川芎、地黄がどこに作用するかと言うことをしきりに言っていたのは、そういうことを言いたかったのです。血虚と いうのは動脈系の不足で、低血圧でもなり得ますし、貧血でもなり得ますし、いろいろな理由でなり得ます。どこかでジワジワ出血していてもなり得ます。そう いうものの一番の基本方が四物湯です。テキストの主な対象疾患に血の道症と書いてありますが、血の道症は難しいのです。血の道症と瘀血とをイコールと書い てある教科書が多いのです。これはかなり近いのですが厳密に言えば違います。血の道症というのは大きく分けて二つあります。一つは解剖学的な血の道症で す。

血の道という場所がある のです。西洋医学では言われないのですが、東洋医学ではあるのです。但し、ご婦人にだけあります。これは経絡を理解すると分かります。実は足の厥陰肝経と いう流れがあります。これは体内は最後は肝で終わるのですが、体表面をめぐるとき、足から上って来て、男性の場合精巣に行くのです。精巣に行って又体表面 を上って行って、悸肋部から肝に入っていくのです。発生学的に男女が同じだとしたら精巣に相当する臓器は女性の場合当然卵巣です。卵巣は体内にあります。 だから同じ位置から卵巣まで入っていって又、戻ってくるのです。その流れがあります。ところがここが厄介なことに、いろいろなことで例えば一生あるいは毎 月の女性の生理周期、あるいは妊娠出産に伴うこと等で、すごく影響を受ける場所です。そこが熱を持ったり、いろいろなトラブルを起こす場所です。そこが本 当の解剖学的血の道で、そこに起こる不定愁訴の総称が、本来は血の道症なのです。これが古典的な、いわゆる狭義の血の道症です。先程から言っている血瘀や 血虚がそこに起きるのです。血虚の場合は大抵あまり不定愁訴や急迫症状は出さないで、何となく弱いなあという程度です。血の道症というのは血瘀の方が強い 症状を出しますから、瘀血と血の道症を同義で書いてあることが多いのです。だから絶対間違いとは言わなかったのは、そういう意味があるからです。血の道症 の手前ぐらいの血の道症は、その附近で起きる 血で発症することが多いのです。ところが、もう一つ、血瘀が血の道に関係なく起きるのが、広義の血の道症で す。結構こちらの方で使われることが多いのです。打ち身だとか捻挫だとか、あるいは手術直後だとか、そういうところで血の滞りが起きるのです。血の滞りが あると、本来の解剖学的な血の道に関係なしにすごくよく似た症状を作り、しかも非常によく似た薬で治療できるのです。だから、広義と狭義の血の道症の両方 があると言うことです。ちょっと四物湯から離れますけれど、例えば血瘀の方の一番基本方は桂枝茯苓丸です。普通の時に桂枝茯苓丸を出したら嫌がられます が、ひどい打ち身や骨折や捻挫等で内出血している時は男性でも桂枝茯苓丸を飲めます。ひどい状態で飲まないで放置しているとどうなるかと言うと、何日か後 にひどい便秘になります。骨折とか稔挫をしたことのある人は記憶があると思います。放っておいたら数日後にすごい便秘になります。この状態になると桃核承 気湯なのです。もっと長引くと通導散や治打撲一方になります。それが広い意味での血の道です。四物湯は、血虚の方の薬で、普通の血の道症にはあまり使わな いのですが、血虚と血瘀が一緒の場合につかう桃紅四物湯は非常に良い薬なのです。僕は中医の悪口をいうことが多いのですが、中医で作った薬で一番良いのは 桃紅四物湯ですね。あれは素晴らしい。これは四物湯に桃仁と紅花を加えます。難しく考えなければ桃仁は生薬をそのまま加えます。紅花は他の薬と一緒に煎じ なければダメなので、紅花の変わりにサフランを加えます。これで桃紅四物湯を簡単に作れるのです。

最初のときスライドで見 せましたが、すごい発疹が出ていて、毎日ステロイドの点滴を受けていたというあの人は、桃紅四物湯で治りました。血の道症の発疹なのですね。その人以来四 人来ましたが、二例目以後になるとすぐわかるようになりました。全く皮膚病ではなくて、非常に強い血瘀と血虚が両方重なった状態です。でも四人とも共通し ているのは子宮と卵巣を全摘しているのです。だからやはり何か関係はあるようです。全員が血虚と血瘀が重なっており、卵巣と子宮を全摘後に変な発疹が出る ようになったのです。こういう例は沢山あるだろうと思います。桃紅四物湯は非常に良い薬です。四物湯のポイントは皮膚の乾燥と赤黒い色です。四物湯そのも のを使うことは意外と多くないのですが、四物湯の入っている薬は温清飲を始めいっぱいあります。だから基本を最初に覚えておいて下さい。四物湯の人は皮膚 が必ずどこか乾燥しています。ひどい場合は枯燥しており、場合によってはカサカサした感じです。四逆散は手が汗ばんでいます。四逆湯は体の中心も汗ばんで 冷えています。四逆散は体の中心は熱いですね。四物湯は色が特徴的で赤黒いのです。四物湯そのものは少陰に位置します。私の資料では少陰と厥陰の間に整理 していますが、四物湯は本来基本的に少陰です。どちらかと言ったら腎の色や心火が上がる色が出てきやすいので赤黒くなります。基本は黒でしばしば赤を帯び てきます。四物湯は本来は薬味を厳密に見ると厥陰になるのです。四物湯を少陰と厥陰の問に整理している理由と言うのは、後で更に詳しく話をするときに又触 れますけれど、四物湯は肝陰を補い、腎の負担を和らげるという作用だからです。本当は少陰を目標にしている薬なのです。腎を養うことで、当然、心腎関係を 養います。ここで大事な事をお話します。実は腎と言うのは本当は養うことができないのです。良く言われますが、他の臓は養うことができるのです。脾でも、 肝でも、心でも、肺でも養うことができるのです。ところが腎は養うことはできないのです。腎というのは生命そのものなのですね。生まれたときは100なのです。だんだん消耗しながら、無くなれば死ぬのです。腎を大切に すると言う事はどういう事かと言えば、損なわれるのをできるだけ防ぐという事です。腎に対してはそれぐらいしかできないのです。西洋医学的にも治療してい て大変難しいのです。今は腎移植がありますが、逆に移植しかできないというのはそういうことなのです。いろいろやっていても透析になってしまうというのは そういうことなのです。生命そのものなのですが、じやあ腎を助ける為にはどうするかということになります。薬物の帰経というのがいろいろあります。僕のテ キストにも書いてあります 熟地黄は心肝腎、当帰は心肝脾、芍薬も肝です。川芎は肝胆心包で全部厥陰です。殆ど肝に作用する薬味ばかりです。腎に一番負担 をかけてるのはどこなのかと言うと肝なのです。腎陰は一生懸命肝陰を助けているのです。腎にとってそれが一番負担になっています。他にも腎と戦うところは あります。脾は腎の水を引くとか、あるいは肺が腎に水を降ろして負担をかけるとか、そういうものもあるのですが、腎が一番自分のエネルギーを使うのは肝陰 に対してです。腎を一番消耗させているのは肝陰なのです。だから四物湯には腎を補う薬味は殆ど入っていないのです。八味地黄丸もそうなのです。逆に考えれ ば分かります。腎に対して使われている薬は、実は殆ど腎への他の臓器からの負担を軽くするという役目というか作用なのです。四物湯の役目と言うのは殆ど肝 陰を補うことで、腎陰が肝に放出される負担を和らげている事です。だから薬味を素直に見ると厥陰に属するのですが、ターゲットとしているのは腎なのです。 使用する目標は実際に治療してみると、赤黒色の状態なのです。心が悪くなったときの色は暗赤色です。前に言ったとおり腎が悪くなったときの色は汚い黒い色 です。それが混ざった色が赤黒い色ですね。これが四物湯の色です。このことが変なところに分類している理由です。他の薬味と混ぜると、やはりそういう本来 の特徴が出てきますので、まあ肝と腎の中間の薬として、一応これでは分類しています。でも四物湯だけを言えば、本当はターゲットとしているのは少陰だろう と思います。四物湯の場合必須ではないのですが、腹診の所見があることがあります。

これはあまりやると、ご 婦人の場合嫌がることがあるので、初診のときしかあまりしません。または本人がその附近が変だと訴える時しかしません。鼠経部で鼠経靭帯のすぐ上の部位に 圧痛があります。このことはあまり教科書に書かれていません。書いてあるのは小川先生の本ぐらでしょうか。右図のようにシャッとこするだけでかなり痛いと 言います。本当に訴えを聞いて本人がその附近が変なのだという時に限って、僕は触診するようにしています。他に瘀血の腹証があります。ここの附近の瘀血点 は(右図)分かりやすいし、嫌がられません。四物湯かどうかということを最終的に確認する為には鼠経部の圧痛は非常に有効な腹証です。四物湯に関してはこ れくらいですね。要するに血虚の基本処方だと言うことです。

次は木防已湯です。人参 湯の時も話したのですが、一応心不全の薬です。前回話しましたが、人参湯の状態でもうちょっと心不全が進んで水が心下にあふれてきた状態が木防已湯証で す。心不全は東洋医学的には肺の失調です。肺の作用というのは、体全体に気をめぐらす宣散というのと、腎に対して水を降ろす粛降というのが大きな作用で す。要するにエネルギーを全身にまわし、水が滞らないように腎に水を降ろして腎から排泄するのです。それが滞ると心不全の状態になるのです。お年寄りなん かすごく分かりやすいのですが、排便異常が出たとき、胃腸が悪いのではなくて、心不全の時が非常に多いのです。それは同じ理由ですね。心不全のとき、肺も 虚していますけれど、肺に送っている脾も虚しています。要するに太陰の働きが悪いとき心不全を起こしやすいのです。でも人参湯はどちらかと言ったらまだ潜 在性の心不全なのです。木防已湯になるとそれがはっきり表に症状を出してきます。ただしテキストに書いてある様に木防已湯はエキス剤ではほとんど効果があ りません。ほとんど使っていないのですがエキス剤で一人か二人いるでしょうか、完全にコントロールできてしまっている人に、木防已湯に紅参等を加えて使っ ているかもしれません。本当に地元の軽い人たちです。遠くから来る、うっ血性心不全の一歩手前の人等にエキス剤の木防已湯を出しても全然効きません。エキ ス剤で何とかしようとしたら大量に防已を使わないとダメなのかも知れません。一日02gkgと したら、心不全を起こしている人はかなり体重も増えていますから、最低でも15gぐ らいになりますが、それでもこれだけでは効きません。一番主薬は人参なのです。人参で脾や肺を高めてやって、その上で利尿剤を作用させるのです。石膏とい うのは、水が枯渇しているときは潤し、溢れているときは水を引かせると言う話は前にしましたね。木防已ははっきりした利尿剤です。木防已湯は本気で使おう としたら、やはり煎じ薬でないと無理ですね。エキス剤にしたら、多分やはり石膏が問題なのかなと思います。人参もエキス剤になったら、大補元気の作用はな いと言うことですね。木防已湯で大事なことは人参の大補元気の作用を基本にして利尿剤を作用させると言うことです。石膏はエキスにして結晶にしてしまった ら、何か違ってしまう様な気がします。鉱物製剤と言うのはそういう面が少しあるのです。でも、麻杏甘石湯の場合は結構エキス剤でうまく行っているのです ね。でも木防已湯の場合の石膏というのは、それではほとんど効かない様な感じがします。それで木防已湯でどうしてもやりたいと言うときは是非エキス剤では なくて、煎じ薬で処方してみて下さい。エキス剤は特に今度から厳しくなりますからね。木防已湯15g20g30gな んか使ったら、当然切られるでしょね。木防已湯そのものはあまり高い薬ではないのですが、分量を多くして、更に紅参を加えれば、あっという間にすごく高い 薬に変ってしまいますから、多分すぐチェックされて減点されると思います。蘇子とか桑白皮を加えた増損木防已湯というのは非常に良く効きます。心不全に なったとき、煎じ薬を作って飲ませると、ピックリするぐらいよく効きます。漢方の利水剤系統と言うのは、すごく良く効くのですよ。フロセミドなんかの比じ やないぐらいです。ただ問題は抗アルドステロン系統の作用が無いという事です。フロセミド系統なので低カリウムを起こす漢方の利尿剤を多用するときは、低 カリウム血症防止のためアルダクトンAを良く使います。僕 のところで漢方薬と併用している最大のものはアルダクトンAで す。アルドステロン症を予防する意味で使います。これは仕方ないのです。どんなに捜しても無いのです。漢方の利尿剤は木防已は煎じないと使えないのです が、散のまま使える茯苓、白朮等は少し加えただけで、すごく尿が出てむくみが無くなってしまったりすることがよくあります。もちろんこう言うものにも利水 剤を加えていってよいのです。しかし木防已湯はエキス剤ではあまり使い手がないのです。強いて使うなら紅参を加えて、少し分量を増やして、切られるかも知 れないけれどもやってみることができます。

次は苓桂朮甘湯ですね。 これは後から出てくる五苓散の手前に位置します。苓、桂、朮、甘という順番で書きますが、これは張仲景が組み合わせたものですね。茯苓桂枝白朮甘草湯と薬 物の羅列で書かれています。茯苓と白朮は非常に素晴らしい組み合わせで、利尿剤と言いましたが本質的には利水剤です。利尿剤と利水剤は本質的に意味が違い ます。利尿剤というのは尿を出すだけですね。利水剤は尿細管に作用するのではない様な感じですね。そういう気がします。西洋医学の利尿剤と言うのは特にフ ロセミドだったら単に再吸収を阻害して、単に脱水状態にして体の中に遍在している水を血管内に戻してくる作用です。フロセミドを延々飲ませたら脱水症状に なります。茯苓や白朮を飲ませたときは、浮腫があれば尿は出ます。でもいくら飲ませてもこれで脱水になることは無いのです。茯苓や白朮はどこに作用するの か。僕も体の中に入って見たつもりですが、まだ見当がつきません。ただ利尿ではなくて利水作用として、変なところに行っているのを何故か連れてくる作用で す。それともう一つ苓桂朮甘湯は桂枝と茯苓の組み合わせの苓桂組の作用があります。これは鎮静剤的な作用です。これは脳の中に作用するのではないのです。 前に言ったように脳の中に入って作用するのは山梔子と天麻ぐらいです。どこかでフイードバックかけているみたいです。桂枝も茯苓も簡単に加えることができ ます。加えてみると鎮静作用が現れます。桂枝が入っているのでいわゆる気の上衝でフワーツとのぼせる感じがして苛立っている時に鎮静剤の作用をあらわしま す。水が過剰になって、のぼせた状態になっているのが、苓桂朮甘湯証です。一見同じ様でも別の証があります。更年期等のご婦人で、特に閉経したら血が過剰 になってきますが、それまで女性というのは毎月の出血に備えて造血機能が発達しています。閉経したといってもすぐそれが無くならないのです。その為に閉経 すると同時に血が濃くなるのです。血が溢れてもやはり気の上衝があるのですが、その場合になるのです。桂枝茯苓丸に桂枝、茯苓という血に関係しない名前が 冠してあるのはそういう意味なのです。桂枝、茯苓のほかは桃仁、牡丹皮、赤芍なのですが、桃仁牡丹皮湯等とは言っていないのです。桂枝茯苓丸と苓桂朮甘湯 とはどこが違うのでしょうか。表に出ているのは二方共、桂枝、茯苓なので同じではないかという
ことになりますが、苓桂朮甘湯は残りの朮と更に水に対する薬があり、苓桂朮甘湯は水だけを意識した処方です。水だけを意識する ということは水だけが動くのでなくて、気と水が上衝するのです。水
だけでは動かないのです。病気として一番分かりやすいこの状態は本態性高血圧です。

本態性高血圧というのは いきなり降圧剤を出すよりも、他の方法があるのです。水の病証の特徴というのは、ある年齢になると突然出てくるということが結構多いのです。水の病証の急 性病は五苓散の時に話をします。苓桂朮甘湯の場合は慢性病の話になります。人間というのはお腹の中にいるときは水は100%なのです。それが90% になり、子供で80%ぐらいでしょうか。年をとるとだんだ ん少なくなり70%とかになります。うんと少なくなると元 のところに帰って行くのですが、人間というのは水から、年をとって土に戻っていくのです。ところがこの切り替り(水分保持量の)は、なだらかになるかとい うと違うのです。時に成長期に達してから老年期に移行する水の切り替りというのは案外短い期間に起こるのです。ですから東洋医学的にも生活習慣病なので す。それまでの生活習慣を変えることができないのです。水というのはNaと 水の複合体(NaH2O)である訳です。例えば80%にあわせて水を摂取していた人が、ある時、体のほうが70%しか水を保持できない状態に変わってきても、生活習慣を変えられない のです。そうすると当然水が溢れてきてしまいます。溢れた水が素直に尿に出てくれればよいのですが、そうできないものですから体に溜まって少しずつ脈管に 圧力を加えるというのが本態性高血圧なのです。血圧がいきなり上がった人を診察したことがありますか。聞いてみたら分かるのですが、怒るのですね。私は今 まで血圧が高いと言われたことはないとね。今まで血圧は低いと言われていました、何かの間違いでしょうと。そうなのですよ。こういう状態で塩分を過剰に 摂っていると、ある年齢までは自律神経が過剰に反応するのです。何とか血圧を下げようとして必要以上に脈管を広げるのです。だから本人の水を利用できる分 量を超えて塩分を摂っている人は、ある面では高血圧準備状態が大抵出来上がっているのです。それに神経が耐えられなくなったら、一転して高血圧になるので す。そこに血圧を下げるだけの薬を出して行くということは、どんなに危険なことかということです。西洋医学的に言えば、本来は食事療法や運動療法をやらせ て、せいぜいサイアザイドを投与するぐらいでその目的を達するはずなのに、一般的にそうしない傾向があります。サイアザイドはだんだん使われなくなってい ます。無理に利尿するよりも苓桂朮甘湯で水を調節する方が良いのです。苓桂朮甘湯は高血圧にも低血圧にも適応があるのです。こういう状態というのは高血圧 や低血圧を現しても、本質的には同じものなのです。要するにこういう年齢の時に塩分摂取過多で体の中に水が多い状態があると、低血圧だったのがある時に一 転して高血圧になるのです。そういう時に降圧剤を出すより苓桂朮甘湯のほうが良いのです。非常に良く下がります。今始めて血圧が上がりましたという話だけ で、問診でそのまますぐ結論が出ます。今まで低血圧でした、それなのにどうして高血圧なのですかと、それだけで診断がつきます。非常に特徴的なものがあり ます。水が溢れています。

どこに溢れるかという と、やはり舌に溢れています。水の溢れている舌というのはぽってりとして、ひどい時は圧痕があります。薄くて圧痕のあるのは気虚ですね。要するに気力が落 ちていて、生命力が落ちているのです。苓桂朮甘湯の舌はぽってりとして、圧痕があって、水が溢れています。それと上衝です。ボーツとなって顔が赤っぽく なっています。赤っぽくなっていますが、この場合の赤っぽいのは、ものすごく真っ赤ではないのです。気の上衝だけの場合はポーツとした赤さです。桂枝は心 を和らげます。ただ心が自分で上がるのでポーツとした赤みです。真っ赤っかになるのは、陰虚内熱で紛らわしいのですが、腎陰が不足して心火が上がる六味丸 とか七物降下湯の状態とかの場合です。もう本当に空焚きの状態です。もちろんこの場合は水は溢れていませんから区別はつきます。振水音とかいろいろテキス トに書いています。けれども、今言ったままでよいですね。四物湯と合わせると連珠飲となります。これは何処かから出血していて、血の方が不足している(血 虚になっている)のを水で一生懸命補おうとして、水のほうを増やしていっている状態です。大体どうなるかというのは感覚的につかめると思います。血が不足 して水だけが過剰になると、もっとバランスがおかしくなります。そういう格好で使われたのですが、今はまず連珠飲を使うことは無いのです。そういう状態 だったら西洋医学的に緊急治療したほうがいいのです。

次は苓姜朮甘湯です。こ れは苓桂が苓姜になっただけです。茯苓、白朮は同じです。但し桂枝がなくなると鎮静作用がなくなるのです。 そして利尿作用もちょっと弱くなるということ は想像がつきますね。桂枝は前から言った様に皮水を廻らしますから、皮膚表面、あるいは表面粘膜の水のめぐりを良くします。そういう意味では、桂枝がなく なった分利尿作用は弱くなります。

それに乾姜が加わりま す。乾姜は前にも出てきていますね。乾姜と言うのは体内輸血作用があるのです。人参湯の時話すのを忘れたのですね。乾姜のようなものは飲むとすぐお腹がポ カポカ暖かくなるのが分かるのです。全身ではなくて局所がです。要するに体内輸血の作用といって、体の中にあちこちプールしている血を末梢血管を開いて動 員します。普通の時、毛細血管は3分の1しか働いていないのです。3分 の2ぐらいは閉じていて、その附近のどこかに血液を隠して いるらしいのです。その隠している働きが一番できる時は、女性の出産直前です。出産直前の女性は何百ccか 持っているのです。だから出産時の出血に耐えられるのです。男性では 1000cc出 血したら、まず命に関わるけれども、出産のときは1000ccぐ らい出血してもせいぜい点滴一本で、輸血はしなくても大丈夫ですね。それくらいの差があります。何処からか血を持ってきます。その分、妊娠中の女性は貧血 になってしまうのです。見かけ上の貧血と言います。そこまで極端でなくても皆少しはそれをやっているのですね。そうでなかったら、少しの出血ですぐ倒れて しまいます。献血に行った人が皆バタバタ倒れることになりますね。400cc献 血しても当面大丈夫です。その血液のある場所を開くのがどうも乾姜のようです。苓姜朮甘湯の状態というのはそう言えば分かりやすいでしょう。どこかでそう いう血行不良、あるいは血液不足状態があって、体液全体が減っている状態の時に体内輸血し、全体の水を調節しながら循環バランスをとるのです。だからこれ は四逆湯の基本です。テキストに書いてある様にこれに紅参と附子を加えると茯苓四逆湯に白朮を加えた処方になります。いちばん簡単に茯苓四逆湯を作れる方 法です。煎じ薬を出すのは難しいですし、ショック状態の人に四逆湯を出すようなことはしないのですが、この茯苓四逆湯はいわゆる四逆湯状態の人に日常的に 飲ませる薬です。もちろん非常に重い人は納得づくで四逆湯系統の煎じ薬を作ります。でも、何時も病気と向かい合つているだけの人なら良いのですが、結構日 常的にバンパン働いていて社会生活をしながら、それで本当に四逆湯の状態だという人がいるのです。そういう人にエキス剤の茯苓四逆湯を処方します。結構、 慢性の消耗性疾患の人に多いのです。今まで見た中ではベーチェットの人なんかで四逆湯の人が結構います。苓姜朮甘湯はテキストにいろいろ書いてあります が、主な対象疾患といってもそんなにありません。今僕のところで使っているのは紅参と附子を加えて茯苓四逆湯として使っているのが一番多いのです。非常に 使い手が良い薬です。苓姜朮甘湯は目標としては、これは分かりやすいのですよ。テキストに書いてありますけれど、冷たい水の中に長時間遣っていた様な症状 です。防已黄耆湯の場合は勝手に下半身が重くて冷えるのです。苓姜朮甘湯の人はニュアンスを聞いていると、やはり外から冷やされるという感じの訴えをしま す。だから本当にその通りでテキストに書いてある様に多尿、夜尿ですが、防已黄耆湯の人はどちらかと言ったら尿量が少ないので区別がつきます。今日は処方 に関してはこの辺にします。今日話した中で何か質問はありますか。

 

質  問

桂枝茯苓丸、桃核承気 湯、広義の血の道症等について

答  え

血の道症の時に広義狭義 と言いましたね。血の道症は分かりやすく言えば、卵巣のところに起こすのです。ところが、しばしば強い症状を出す血の道症の圧痛点というのは臍傍1横指に出ます。(桂枝茯苓丸)。それと桃核承気湯がありますね。臍膀のこ の圧痛というのは血海反応といって膝の内側に血海という穴がありますが、臍傍をずっと圧すると痛がります。うんと強い場合は少腹急結といって飛び上がるぐ らい痛がります。この場合同側の血海を押すとこれもものすごく痛がります。その血海をしばらく圧していて臍膀をもう一度押すと圧痛が半減ないし消失しま す。それで指で押した単なる痛みでなくて、瘀血による痛みだという証明になります。これが狭義の血の道なのですが、何故打撲や骨折といったものが、広義の 血の道症といえるのかと言うと、例えば頭の打ち身かもしれない、足先の捻挫かもしれない、でも同じ事(臍膀の圧痛等)が起きるのです。血の道症の反応が出 てくるのです。この反応があるということはどういう事かというと分かりやすく言えば大抵の場合、この付近(瘀血の圧痛部位附近)の内臓に熱を持つのです。 この部分というのは結腸ですね。下行結腸からS字結腸にか けて慢性的な熱を持ちますから、しばらくたつと熱性の便秘(乾操性の便)になります。その時にまずさっぱりと下したいなら桃核承気湯、通導散です。何年も 前に打ち身してから私便秘なのよね、と言ったら、通導散のほうが良いのです。そういう場合、他の慢性病ももっています。打ち身だけで慢性化して便秘になる というのは治打撲一方です。

 

質  問

腎陰、肝陰、心陰につい て

答  え

腎は肝陰を一生懸命補っ ているのです。心陰といいますが、液体がどんどん廻るところは失われても、又補助ができるみたいです。本来肝陰というところは液体の廻りが悪いところで す。それで負担がかかってしまうのです。だからそこに一生懸命エネルギーを割いてしまうということがあるのです。よく言われますけれど、心陰虚は実際にあ まり見たことはないのですね。心の陽虚はありますね。理屈上はありますが、心陰虚は見たことがないのです。すぐ循環で補われますから、あまりそこには苦労 しないみたいです。でも肝陰が損なわれると、腎陰はやはりすごくそれを補わなければいけないみたいです。現実に見るのはその状態(肝陰を腎陰が助ける)で す。中医学は臓器でも何でも陰陽に分けています。理屈上には起きないという病態がいっぱいあるのです。心陰虚などは有り得ないと言っていたら、一例だけそ ういうのに会いましたので、もしかしたらあるのかも知れませんが、非常に稀だと思いますね。それでは今日の話はこの辺にします。どうもありがとうございま した。

 

漢方トップページ