5回 「札幌 下田塾」講義録

 

今日もいくつか大事な話 しから始めましょう。ところで風邪は大分流行っていますか。この間、新聞で見たら確かにそうだなと思いました。最初はA型のインフルエンザだったのですが、A型のインフルエンザばかり出ているときは太陽病ばかりなのですね。普通の 時の風邪は、まず太陽と陽明の合病と言う格好で来ることが多いのですが、インフルエンザの時だけは、特にA型 のインフルエンザの時は、ほとんど太陽病として出てくるのです。前回にもちょっと話した様に、太陽病に使う薬の一番基本は桂枝湯です。一応、傷寒論では太 陽の中風となっていますが、太陽病の一番軽い段階の薬が桂枝湯で、一番強い薬が麻黄湯です。前にも言いましたように、一番強いと言うのではなくて、一番強 い人に使う薬と言うのが正確な言い方ですね。太陽病の時に使う薬と言うのは大体決まっているのです。桂枝湯、麻黄湯、桂麻各半湯等です。これでちょっと進 むと、大青竜湯、そして麻杏甘石湯と言う流れになっていきます。ところが、私はこの手の薬ばかりを使っていたのですが、数日前から太陽と陽明の合病の人が ポコッポコッと混じる様になってきました。太陽病の風邪ははっきりしています。胃腸の症状がほとんど現れなくて熱が出ます。咳も出ますが最初のうちはあま り強くなく、咳は後からついてくるのです。大抵、熱があって暑い暑いと言う感じで来ることが多いのです。ここ数日前から突然、嘔気がする下痢がすると言う 症状が主でそれまでのインフルエンザに較べて、ちょっと病勢が弱いのがくるなと思っていましたら、その日の新聞にB型も流行っているとありました。どうもB型は太陽病にならないようです。A型のほうが強いのです。分かりやすく言えば、A型の風邪は、前にも言ったように何年に一度しか風をひかないような、非常 に常日頃強い人がひきます。B型の風邪はいつも風邪をひい ている人がかかるのです。だからちょっと違うようです。ところで、簡単に太陽病とか、太陽と陽明の合病であるとか言ったりしましたが、これらの傷寒と慢性 疾患の発熱(例えば膠原病は高熱を出すことがある)とは何で区別しますか。症状から言えば、今言った通りなのですが。要するにインフルエンザというのはA型もB型 も間違いなく傷寒です。傷寒論に書かれている傷寒の定型モデルは腸チフスだと言われていますけれども、まあ現在、腸チフスにお目にかかることはないし、 あったら大騒ぎです。でも、あの現代で一番出会うのはやはりインフルエンザです。何でみますかね。脈なんですね。これがほとんど全てです。脈が浮いていま す。実はこれだけで診断がつくのです。今まで脈診についてあまりお話ししたことがないので、それを最初にしようと思います。まず望聞問切と言いますね。こ れはどんな本を読んでも、望が一番なのです。切、これが一番下等な診断学なのです。そう書いてあります。最上の医者は望診だけで診断するといいます。難経 を書いたといわれる扁鵲は坐っただけで目の前の患者さんの五臓六腑が見えたというのです。五臓六腑が病んでいるところまで全部見えたので、当然のこととし て完全に診断もついて治療もできたと言われています。それは本当なのかどうかははっきりいえないのですが、確かに望聞問切の順番なのです。舌診をどこに入 れるかと言うのはちょっと問題があるのです。舌診はみるのだから望診かというと、どうもちょっと違うようです。どうも望すと言う意味は本当に全体を望むと 言う意味ですね。望遠鏡の望、展望するの望は、遥か遠くから大づかみにフワーツと把えるのが望診ですね。舌診はずっと近寄って見ないとダメですね。舌診も 実は切診なのです。目で触っているのです。問診は分かりますね。聞診と言うのは臭いをかいだり、音を聞いたりする事です。でも、聞診で診断がつく部分は意 外と多くはないですね。例えば本人の声の調子だとか、咳のしかた、あるいは嗅等、確かにそれで診断のつく場合もありますが、意外と情報量は多くないので す。問診は多いですね。そして切診と言われるものの代表が、脈診と舌診と腹診です。舌診を切診と書いてある教科書はないのですが、僕は今言った様に切診と 思っています。

それは望診というものの 本質を考えると、舌診は望診ではないのです。さっき言ったように、細かく局所を見るのは望診ではないです。望診と言うのは全体をパッととらえるのです。脈 診、舌診、腹診は切診なのですが、ところで望聞問切の順番だから、切診はつまらない診断法か、一番下等だからダメな診断法かと言うとそうではないのです よ。一番大事な診断法なのです。切診を繰り返していくことでだんだん上達し、最終的に望診だけで診断できるならば、それは素晴らしいのです。でも、仮に望 診が4階建ての家だとすれば、4階建ての家の4階 だけがほしいから、1階、2階、3階 はいらないよと言って家を建てる事は不可能でしょう。4階 である望診に至るためには、1階、2階、3階 をきちっと積み上げていかないと、4階には到達しないので す。だから非常に大事なのです。 逆にいえば1階ですから基礎なのです。一番基礎的な診断は 脈診と舌診と腹診なのですね。そうすると脈浮と言うのは何なのかと言うと、先程太陽病でいろいろな処方を説明し、それで脈は浮だというのが傷寒であると言 いましたけれど、実はいきなり脈沈と言うこともあるのです。これは例えばインフルエンザの時期は直中の少陰と言う状態と言うのがあるのです。お年寄りに結 構あるのです。そう言う場合はいきなり麻黄附子細辛湯になります。最近その中間ぐらいの状態で、桂麻各半湯に附子を足してやったのがありました。逆に麻黄 附子細辛湯に桂皮を加えるという状態もたまに出てきます。何を見ているのかと言うと脈です。必ずこの脈を覚えてください。最初分からなくてもよいから繰り 返しやってください。私のところに直接おいでになっている先生達には、その場でずっと教えているのですが、これはもう繰り返しやれば分かるのです。腹診も 舌診ももちろん教えますが、やはり一番基本でいつも教えるのは脈診です。分かりやすく言えば、患者さんの手首をこのように持ちますね。(図。)要するに寸 関尺と言いますが、左右三ヶ所づつの脈をみます。このとり方を常にやって下さい。

丁度、脈気が尽きるとこ ろ、手首の骨に当たるところで、この位置に人差指を置いて中指、薬指を順番に置いていきます。この脈のとり方を覚えてください。

これだけで臓腑弁証か ら、傷寒の弁証やすべての弁証ができるのです。一年を通じてやれない時期もあります。非常に難しい時期もあるのですが、それはその時お話しします。今の時 期は、一番脈診のできる時期なのです。旭川から見えている先生など、今の時期になると、自分は名医になった気分になると言います。脈だけでもう何でも分か るといいます。御存知の方もいると思いますが、脈は右図のように対応します。(図)これは非常に大事な事です。ここまでは大抵の本に書いてあるのです。こ れより更に微妙なところを書いてあるのは、日本の本では小川先生のものぐらいでしょうか。図はそれぞれの部分の臓の脈です。これに重なって腑の脈がありま す。命門に対応して、三焦の脈があるとも言われますが、これはどうもはっきりしません。確かに実際に触れないのです。これはちょっと保留にします。腑の脈 は肺に大腸、脾に胃、心に小腸、肝に胆、腎に膀胱が対応し脈だけでもう何でも分かるといいまます。(図、参照)

繰り返し取って慣れてく ださい。最初のうちは処方の方からその患者さんがどういう病態かというのを考えて脈の方をあたっていくのです。

例えば、今日話す順番に なっている、呉茱萸湯や人参湯等と言うのは、当然、脾の臓の病態です。太陰の脾の人です。そうしたら皆さんの患者の中で呉茱萸湯や人参湯を投与している人 がいれば、自分の処方が合っていると思うなら、必ず脾の脈が触れるはずだと信じて、触ってみて下さい。ところで、脈には何段階もあるのです。まず軽くパッ と手を置いて、触れるか触れないかの脈の段階では、通常は何の反応もありません。一番浅いはずの脈のところが浮いてくる時が傷寒の陽病なのです。古方の人 たちは臓腑弁証をしませんから、こう言う脈診をやらないのです。それで一番表面に浮いてくる脈を浮の脈であると言う言い方をしているのです。きちんと臓腑 を分ける脈診をやっていると、浮の脈と他の脈との違いが非常に良く分かります。一番浅い脈が浮の脈であると言うのはどう言うことかと言うと、傷寒が外から 入って来て、外だけで留まっているときは病気にならないのです。中にもぐってきて臓までやられたら、これはもう命取りになるのです。臓の手前で腑のあたり で戦って反応している時(臓の脈は深い位置にあるのです。腑の脈は浅い位置にあります)、これが伝わってきて浮の脈が生まれるのです。脈沈の直中の少陰と いうのはどう言うことなのかと言うと、もうちょっと弱い人の場合だったら、臓が弱いものですから、傷寒が入った時、腑の位置で充分戦えないのです。本当は 浮かないといけないのに、臓からのサポートがないものですから、逆に腑が疲れ果てたり、力を無くしてしまうのです。

それでいつものときは普 通に触れていたものが沈んでしまうのです それを沈の脈と言うのです。それを感じ取ってください。そして非常に重要なことは脈診というのはやり続けている と非常に面白いのです。例えば太陽と陽明の合病と言うのは、実際は陽明のほうが先なのです。だから目の前に熱を出している患者さんが来た時に、葛根湯と麻 黄湯の区別は問診でも簡単にできると言う話をしましたが、両方とも熱を出して寒がっているけれども、葛根湯の人はお布団をかけると喜びますが、麻黄湯の人 はお布団を跳ね除けるのです。だから問診でも区別はつくのですが脈診でも分かります。葛根湯の人は必ず、肺や脾の脈、即ち陽明の部分の脈に浮の脈が出現し ます。いわゆる太陽病の人はちやんと左側に出てきます。太陽病の場合、大抵は太陽小腸経に出ます。いまは非常に良い時期なのです。風邪で熱を出している人 がきたら、左右どちらの脈の位置が浮いているのか、良い機会です。絶好の機会です。繰り返しやって下さい。最初は分からなくても繰り返しやっていたら分 かってきます。だから脈診だけで、この人は傷寒であるのか、内因性の熱性疾患であるのか、その区別がつきます。例えば、鼻水を激しく流してきた人が、風邪 による鼻水なのか、アレルギー性鼻炎による鼻水なのか、これも脈で区別がつきます。アレルギーはどちらかと言えば内因性のものだから脈は浮きません。風邪 で鼻炎を起こしているときは、大抵肺の部分の脈が浮きます。分かりやすいですね。傷寒に関しては、脈診と言うのは覚えたらこんなに楽な診断はないのです。 内因病を脈診でやっていくのは、かなり難しい面があります。内因病の脈診は後でまた詳しくお話ししますが、浮や沈の脈を更にもうちょっと力を入れて押さえ て行くと、その人の病の中心の脈が触れます。その人が弱っていようが元気であろうが、その人の中心の脈が出てくるのです。肝を中心に生きている人は、肝の 脈が一番強く残るし、しかも生きている中心に病が入るので、ちやんと肝の病気をやるのです。脾で生きている人は脾の病になるのです。病んでいるところと生 きている中心と言うのはほとんどの場合一致します。例外があるのは不内外因が加わっているときだけです。不内外因というのは、こういうのは(図を指す)関 係なしに何かグサッとやられた状態ですね。そう言う例外はあるのですが、普通の内因病のときは必ずこの中心の臓の脈が触れます。それから季節の脈について ですが、難経にしっかり書いてあります。実際その通りなのです 春は湧き出すような脈、夏は滔滔と流れるような脈、秋は流れがもぐって行くような脈、冬は 地下を流れていくような脈になります。今の時期は五臓全て本来春の脈が流れています。ところで今季節が春に変りましたが、ついこの間の立春(24日) から雨水(219日)の15日 間は、例えば肝で生きている人は、まず肝の位置の脈だけが春の脈に変るのです。だから、季節の変わり目はそれまで判断がつかなかった患者さんでも非常に分 かりやすいのです。旭川の先生も今一生懸命脈診をやっているのだと言っています。この時期になって、自分のそれまでの診断が正しかったかどうか、検証でき ると言います。脾の人は脾の位置に春の脈が出ます。2週間 たったらすべて季節の脈になってしまいます。それでは2週 間過ぎたらどうしたらよいのかと言うと、更に深く押さえて行くと、最後にその人の中心の脈だけが残るのです。肝の人は肝の脈だけが最後に残るのです。他の 脈は全部消えていくのです。その人の生きている中心の脈は消えないのです。脈診によっては、そういう感じで臓器診断というのをやっています。逆にさっき 言った様に、薬のほうから診断することもできるのです。絶対確信をもってこの人は人参湯の証だと言うことができれば、それはもう黙っていても脾の人だと言 うことです。それはもう立派な診断なのです。それが本当の方証一致なのです。

このこともついでに言っ ておかないと後々話しがこじれるので言っておきます。先程から、太陽病とか陽明病とか言っていますが、これは非常に大きな混乱があるのです。それを整理し たのが僕の書いている三重円の図なのです。(添付図あり)実はそこから食い違ってそのままになってしまったのですね。いろいろ傷寒に関して中医学で勉強し た人はどれくらいいますか?。日本漢方で六経弁証の面でも勉強した人は?

実は中医学と日本漢方で は全然違うのです。それに気づかれた方がおられるかどうか分からないのですが、中医のほうでは、太陽、陽明、少陽の順に変化しますが、日本漢方は太腸、少 陽、陽明の順になります。そして太陽だけは同じですが、陽明、少陽に関しては、両者が指している部分は違います。中医のほうは陽明と言うと、経絡のままで 言うので、肺、胃、大腸に症状を出すのを言います。そして肺に主に症状を出すから、胸の部分を陽明と言います。ところが日本漢方の場合は太陽病の次に来る 病証として、太陽病がちょっとこじれると、やっぱり胸の付近に来るので、その胸を肺とは指差さないで、横隔膜とみなしているみたいです。胸と横隔膜に接す る肝の部分を少陽といっています。これは実は陰病との混乱もあるのです。この付近がおかしくなっています。そして中医では病証は少陽まで行くと(五臓六腑 の考え方ですから)少陽の裏と言うことになって、肝になります。肝に入れば腹部臓器ですので、腹部臓器を少陽という感じで、中医の方は整理しています。一 方、日本漢方は同じ腹部臓器ですが何故か胃や大腸を含めて、肺を含めないで腹部臓器を陽明に整理してしまったのです。この付近で、同じ病気のことを言って いて、太陽と陽明の合病等といろいろ言いながら、全然話がずれているのです。これはどうしてこう言うことになったのかと言うと、分かりやすく言うと日本漢 方は、素問、霊枢、傷寒論に書いてある流れと言うものを後からの混ぜ物だと言ってあまり信じていないのです。

中医学の方は頭だけで考 えてしまったのです。日本漢方は現実を正確に見たために、逆に理論の法がこじつけられてしまったと言うことです。本当はどう言うことなのかと言うと、この ことはいつも言っているように、あくまで外因病のことなのです。今まで何度か言っているように、六経弁証というのは外因病の弁証なのです 外因病はどこか ら入るのかと言う問題ですが、入り口と言うのは決まっているのです。昔は他もあったかもしれませんが、ほとんどの場合、現代では呼吸器から入るか、口から 入るか、まあごく稀に尿道から入るか、胆のう炎等の時に胆道から入ったりします。尿道、胆道から入るのは傷寒の症状をあまり出さないことが多いし、比較的 稀です。圧倒的に多いのは呼吸器と口です。呼吸器と言うのは当然肺です。口は消化器で脾です。(陽明太 陽少陽)いずれにしろこれは陽明病です。陽明から入るの が普通です。では陽明病として、いきなり発症するかと言うと、意外とそうはいかないのです。陽明の大部分は実は潜伏期としてすごします。そして、うんと体 力のある人は陽明の時期をほとんど症状を出さないで、三重円のめぐりを見れば分かるように、陽明を過ぎて、太陽の位置に来ます。太陽のところに送られて始 めて発症するのです。非常に強い人の場合は太陽病で発病します。それ程でもない人は陽明の症状を少し見せながら、太陽病で発症します。そうすると見た目に どう言う風になるなるかと言うと、本当は陽明から太陽の位置にいくから、順番に行くと今度もし流れていくとなると少陽の位置に行きます 病気と言うのは、 本来、陽明、太陽、少陽の順番です。だからさっき言った中医学も日本漢方もどちらも間違いなのです。

人間の体の中では陽明、 太陽、少陽の順番で流れていったはずのものが、実際は発症するプロセスを見ると、陽明のところはほとんどの場合潜伏期で過ぎてしまって、太陽と陽明の合病 (陽明と太陽の合病と言わないように)として発症しますが、太陽のほうの症状が非常に強く表に出てしまうのです。そして、太陽と陽明の合病の場合にも胃腸 の症状を伴ったまま、そのまま進行すると少陽に行ってしまうのです。だからこの付近で混乱してしまったのですね。これだけ(太陽と少陽)を見てしまうと、 陽明の経絡になる肺や大腸の症状を、経絡で見るのか、場所で見るのか、それが少陽の位置と非常に紛らわしいのです。日本漢方の場合は順番に(太陽一少陽の 順に)見てしまったのです。太陽の次に放っておいたら肝臓の病証なんかも出たり、胃腸障害もあったりするので、こう言うのを少陽なんだとしてしまいまし た。六経というのは同じところをグルグル回るので、一回りしてまた巡ってくるのです。素問にも傷寒論にもよく何日にしてどこを病むと書いてあります。あれ は正確な日にちではないのです。病期の事です。病の時期です。第一病期には太陽、第二病期には陽明と書いてあります。本来は陽明から始まるのですが、実際 に発病する経過を見るときは太陽と陽明の合病として出ます。でも陽明の方が何か随伴症状のように見えてしまうのです。だから太陽、陽明、少陽と変えてし まったのです。古方の方では現象から見て、順番を太陽、少陽、陽明とした、この場合の陽明は一回りして出てきた可能性もあるのです。だからこの付近は非常 に混乱があるのです。太陽と陽明の合病と言うのはあくまで本来は陽明が先行して発症していて、陽明の症状も持ったまま、太陽病が発症した状態です。葛根湯 の人と言うのは丁寧に問診すると、熱の出る数日前から、胃腸症状があった事が分かります。例えば妙に食欲がないとか何か変に胃の働きが止まったような感じ がするなどの症状があります。そして変だなと思っていたら突然熱が出たと言います。本当の麻黄湯の人は、胃腸症状をほとんど出していないのです。熱がある けれどもいくらでも食べられると言う感じで発症します。本当はめぐらせてはいけないのです。うまくお薬が合えば、何日かかろうと病期は進まないで同じ位置 で治らなければいけないのです。でも風邪が流行るときは間違えたと言うのではないけれど、こんなこともありました。この間、うちの調剤薬局の薬剤師さん が、発病したときだけ電話で僕に聞いて、それじや大青竜湯だなと言ったら、一週間大青竜湯をずっと飲みづつけていて、熱が下がらないと言うことがありまし た。診てみたら、もう白虎加人参湯の証になっていました。本当は太陽の位置でこまめにお薬を合わせてあげなければいけなかったのですが、本人が忙しくて全 く最初の処方だけ飲んでいて、危うくこじれる寸前までいってしまったのですが、本来は巡らしてはいけないのですね。巡らさないで、太陽病は太陽病の位置 で、太陽と陽明の合病は、太陽と陽明の位置で始末をつけてしまうのです。ごく稀に最初から少陽病というのがありますけれど、そういうのに遭遇したら、でき るだけその病期あるいは病位といいますか、そこで始末をつけてしまうと言うことが非常に大事です。いろいろな本に何日何日と書いてあるのは、うまく行かな かったらこうやってグルグル回ると言う事です。 更にうまく行かなくなると、どこかで陰が破られて、臓まで邪が入っていき、陰病になっていくのです。

このように外から入って いって陰病になる場合の陰病は下手をすると命取りになるのです。それに対し、内因性の病気の陰病が表に出て来て発症している場合は、意外と大変なことには ならないのです。外因病は本来、腑付近までで食い止めないといけないのです。

それでこの間、呉茱萸湯 に入ったところで人参の話をしましたね。人参と言うのは先日から何度も言っている様に、脾を補い、次に肺を補うのです。よく似ている薬で黄耆がこの逆にな ります。黄者は肺を補い、次に脾を補います。だからよく参耆組としていろいろな処方に入ります。太陰を全部補おうというのが参耆剤ですね。よく参耆組が 入っている薬を全部補剤と言ってしまうのですが、これは困ったものです。僕はいつも文句を言うのですが全然聞き入れてもらえないのです。あの補剤という言 い方はこの間から言っている様に、非常に問題なのです。例えば補中益気湯を単純に補剤と言っていいのかと言うことです。東洋医学会の論文を見ると、補中益 気湯と十全大補湯を並べて、補剤を使ってみたらこうなった等と言うのが、しょっちゅう載せられています。ああいうふうに並べて補剤という言い方をするのは 良いのかというと、やっぱり非常に問題があります。いっも言う様に、完全に補う薬というのはそんなにありません。完全に瀉する薬もそんなにないのです。完 全に補うのは四君子湯ぐらいです。完全に瀉するのは黄連解毒湯ぐらいしかありません。だとすれば、この補剤という言い方というのは非常にあいまいな言い方 なのです。だから僕は人参、黄耆の入っている薬は参耆剤と言いましょうといつも提唱しています。それだったら何の嘘もない訳です。なぜかと言うと、ああい う論文は参耆組の補う作用を見ているに過ぎないのです。補中益気湯にせよ、十全大補湯にせよ、人参養栄湯にせよ、皆そうです。そうであるなら参耆剤と言え ば済むことであって、それを補剤という言い方をすると、ちょっと意味が違ってくるのです。人参と言うのは脾を補って、肺を補うのです。脾を補うと言うの は、元気の素、要するに食べたものの栄養を脾自身を含めて、五臓六腑に運ぶのが脾なのですが、それを補い助ける事です。人参という薬程、使ってみて実際に いろいろと作用に差がある薬もあまりないと思います。例えば煎じ薬で使う人参は、中国や韓国では、揮発成分にもかなりの効果を求めている人達がいます。人 参を煎じるときに蓋をぎりぎりまで取らないでいて、飲む瞬間に蓋を開けてスーツと揮発成分を吸い込んでから飲むぐらい、それを大事にしている人がいます。 そこまでやるのは大袈裟なのですが、大抵の場合、煎じ薬で使うと大補元気と言う作用があるのです。脾
の機能を高めると言うか、胃等の消化機能だけではなく、最終的に五臓六腑に元気を送る作用も、又、生命力を上げる作用と言うも のもあります。この大補元気と言う作用は、臨床的に使ってみて、煎じ薬として使うときの白参と正官庄の高麗産の紅参にしかありません。だからあの正官庄の 紅参というのが出てきたときは、本当におどろきでした。簡単に加えただけで煎じ薬と同じ効果を出します。だから無くなったときはかなりショックでしたけれ ど、又復活しました。

実は、煎じてエキス剤に なっている人参は大補元気の作用はあまりありません。何の作用があるかと言うと、胃や消化機能に対する作用だけです。脾の作用と言うのは、もっと大きな作 用があるのですが、その中の胃や消化機能だけを持ち上げる作用です。そして正官庄さん以外の紅参も同じです。胃や消化機能を持ち上げる作用しかありませ ん。これは含まれている有効成分の差のようですね。では正官庄が何が何でもいいのかと言うと、ところがそうではないのですね。そのうち鍼の話もしていきま すが、鍼なんかもそうなのです。例えば鍼は私は全身10何ヶ 所ぐらいしかしないのですが、症状があるところに全部鍼をして、症状を取って上げると良いかというとそうではないのです。最初はそうやったほうが本人に動 機づけができますから良いのです。ああこれで治るのだと思うと、その後、多少苦しくても通ってきてくれますから良いのです。この間、旭川の先生も言ってい ました。大体リウマチの方はプレドニンを離脱すると、半年ぐらい泣きながらよれよれになって通ってきます。半年過ぎると薄紙をはがすように良くなってきま す。本人の声の張りも良くなってきて、肌の艶も出て来て、歩く姿勢事態も変わってくるので、良くなってきたのが直ぐ分かるのですが、都会ではなかなか半年 は通ってくれないと言っていました。僕のところみたいに山の中まで来るのは覚悟してくるから、苦しみながらでも通ってくるのです。羨ましがっているのです ね。都会だつたら一月通っても良くならないと別のところに行ってしまうので、なかなかうまくいかないと言っていました。ところで針の話に戻ります。何が何 でも症状を取ってあげることを、ずっとやっていれば良いかと言うとそうではないのです。針をやり漢方も出しているのですが、患者さんを治しているのは、針 や漢方ではないのです 針や漢方で、患者さんの自分で自分を治す力に働きかけているだけなのです。そうするとある程度のところまでは、針をやり、漢方薬を やって補って手助けしてあげると、治る力がどんどん出てくるのです。しかし、子供が自分で歩けるようになったのに、いつまでも手を引いてあげるようなこと をしたら可笑しいでしょう。途中から転んだって、自分で歩かせたほうが良い場合も出てくるのです。多少手抜きをしていくと言うのが結構大事な事です。針の 数も手抜きをして行ったり、薬も減らしていったり、わざと効かない薬にしていったりするのが、意外と本人の治癒力と言うものを高めていくのです。何が何で も効く薬を使えば良いと言うものでもないのです。正官庄の紅参がなくなったときに、かなりツムラさんの紅参に切り換えてやってみたら、確かに最初は大補元 気の作用は無くなりました。しかし、薬が変ってから何か元気が出ないんですと言っていても、そのうち自分の治癒力が出てきた人が結構いるのです。逆に重い 人の場合、どうしてもダメでやっぱり人参の入った煎じ薬に切り換えた人もこの一年で結構いました。人参に関して大変勉強させていただきましたね。だから正 官庄さんが復活しても、出していた紅参を正官庄さんに戻したかと言うと、ほとんど戻していません。要するに大補元気の必要な人しか使っていないのですが、 正官庄さんの紅参というのはそれだけの価値はあるものです。そして人参の適応の状態の人と言うのは、脾虚ですから必ず静かなうつの脾虚になります。これは 前に話しましたが、肺虚のうつは非常に悲しみの強いうつです。外から見ていても悲しさが分かるうつが肺虚のうつです。脾虚のうつと言うのはじっとこもって いるうつです。しばしば胃腸の症状しか出さないことがあります。その典型は結構多く見受けられる神経性食思不振症です。今までいろいろ使ってみましたが神 経性食思不振症に使えるのは呉茱萸湯だけなのです。だから神経性食思不振症というのはヒステリーの様に思われているけれども、東洋医学的にはうつですね。 ヒステリーだったら、甘麦大棗湯とか桂枝を含む製剤、例えば桂枝茯苓丸とか苓桂朮甘湯とか、そういう系統のものを良く使うものなのですが、神経性食思不振 症はそういうものは全く合わないのです。呉茱萸湯の呉茱萸の作用で、頭痛や嘔気を抑えてあげて脾を補っていくと、ゆっくりと元気になります。そして一応僕 のテキストにも書いてあり、ものの本にも必ず書いてあるのですが、実際にはメニエール病にはほとんど呉茱萸湯は使わないのです。本物のメニエールは又後で 話しますが、大体は水の病証なのです。だからほとんど人参の適応になりません。嘔気がするときに頓服的に飲ませたりすることもあるのですが、あまり奏効し た記憶がありません。呉茱萸湯は前にも言ったように飲みにくい薬なのですが、合うときはおいしく飲めます。それからある種の偏頭痛に使います。これは当然 うつが基礎にある偏頭痛なのです。その人だけはおいしく飲めます。呉茱萸湯というのはそんな訳で非常に分かりやすいですね。合わない人は全然飲めません。 御自分で味見してみればよく分かります。本当に苦くて普通の呉茱萸湯が合わない人にとっては、明らかにいやな味です。でも合う人にとってはとてもおいしい のです。とても分かりやすいですね。

次が人参湯です。この処 方も同じ系統になっています。傷寒論、金匱要略に人参湯と言う名前で出てきます。いつも言うように張仲景以前からあった処方なので人参湯と言います。これ に人参湯と名付けてあるのは、前に話したように人参の作用がほとんど中心になっている処方だということです。東洋医学で言う脾の機能は西洋医学的には、膵 と胃と消化器の全般と胆道というか胆汁分泌作用です。西洋医学で解剖医学的に言えば、十二指腸の丁度胃の出口付近からトライツ靭帯のところぐらいまでの、 あの付近の機能が脾と思えば間違いないです。先程、病気があらわれるのはその人の生きている中心だと言いましたね。人間の個性なんかもそうです。実は欠陥 がある部分が個性なのですが、これは思い違いをしていますよね。変な話なのですが、皆さん、他人に知られていないつもりだけれども欠点だと自分で密かに 思っているところがあるはずなのです。ところが、周りの人があの人のあそこがいいなと思っているのは、大抵はその部分なのです。水晶の玉を想像してみれば 分かりますね。傷一つない水晶の玉を全員が持っていたとしたら比べ様がないでしょう。何の個性もないことになります。

傷一つない水晶の玉みた いな心や体を持った人ばかりがこの場に居るのだったら、全くこの世の中はつまらないのですね。どこかに傷があるとそこが魅力になるのです。だから、大抵自 分のここはダメだと思っているところは、実はその人の魅力なのです。やっぱり傷つきたくないなと思うのですが、実際人間と言うのは皆傷だらけの玉なのです ね。傷のほうが多くなったらどうなるのかと言うと、今度は傷ついていないところが光って見えるでしょう。だから傷があることは全然悪いことではないので す。そうするとね、どうも人間の場合、五臓が造られる段階で満度に造られたところは、その人の生きる中心にならないのです。これはもう神様の仕業かもしれ ませんね、大抵一臓だけが弱いのです。二臓が最初から弱いと言うことはあまりありません。あるとしてもせいぜい二臓までなのです。同じ仲間同士で例えば脾 が弱くて、次に肺が弱い人、又、心が弱くて、次に腎が弱い人と言うように、太陰なら太陰同士、少陰なら少陰同士が弱いと言うことは、ある割合ではあるみた いですが、大抵一番弱いのは一臓なのです。そして脾の力が最初から弱い人は脾の病気をしやすいし、そこにとらわれて行きやすいのです。又、逆に生きる中心 になります。これは昔からよく言われるのですが、医者と言うのは自分が研究している病気でよく死ぬのです。男性の医者は婦人科の病気で死ぬことは無理です が、一番注意しているはずなのに、心臓の研究をやっている医者はよく心臓病で死ぬのです。胃を研究している医者はよく胃癌で死にます。やはり、その人の精 神の方向がそこに向いているのです。気持ちの上で、どうも自分の一番弱いところに潜在的に意志が向いていってしまうのです。やっているからとらわれるので はなくて自分の生きている中心が一番弱いところであり、そこに自分の心も向いて行ってしまうような感じがします。要するに、人参湯の人と言うのは脾が弱い 人なのです。脾が弱い人の人参湯のレベルでは、あまり強い精神症状を出さないのです。脾が弱くてもゆっくり弱いという状態で、ほとんど身体症状だけを出し ます。胃腸の働きが弱く、なんとなく元気がないくらいです。そうするとなんとなく体も冷えるのです。脾と言うのは体の隅々まで栄養を回します。充分回らな くなると、何となく巡りが悪くなります。何となく巡りが悪いのであって、血の完全な滞りではないのです。血を一生懸命全身に回すのはどちらかといったら心 の作用です。でも意外と逆に血を滞らせるのは肝なのです。促進させるのは心で滞らせるのは肝なのです。先程、脈診のとき話さなかったのですが、このことも あまり本に書いてないのですが、面白いことに、血の道症というのは、ほとんど左側にできるのです。後から出てきますが、血の道症の腹診等もほとんど左側に 出ます。それから症状を出すときもほとんど左半身に出します。逆に気の異常と言うのは右半身に出します。非常に簡単なことなのです。先程お話ししたとお り、肝や心の脈は左側です。脾は血を造りますが実際には動かすのは大補元気という気なのです。肺も気なのです。気の病気は右半身に出ます。慢性の病気で、 じっと聞いていて、右半身ばかり具合が悪いと訴える場合は、大抵は気の病です。左半身にばかり症状が出るのは血の道症と考えて良いくらいはっきりしている のです。これは脈が何故かそう言うふうに別れているからです。人間の体は左右対称ではないのです。西洋医学でもそうですが、東洋医学でも違うのです。そう いうことで人参湯証は、先程言った様にそんなに強い症状ではなくて、只元気がないのです。元気がないために体が冷えて何となく食欲がないのですが、まだ精 神症状はそんなに出していないで、本当に身体症状だけを出します。昔は人参だけを煎じたという独参湯というのもありました。あまり一味というのは少ないの ですが、いくつかあります。附子だけを煎じるとかあるいは大黄だけを煎じるとか、あるにはあるのですが、どちらかといったら主流ではないのです。独参湯も そうで人参だけを煎じるよりも、先程言ったような、人参本来の効果を総合的に一番出すのが人参湯の組み合わせです。だから人参湯と名付けられているのだと いうことです。

人参湯を話すとき、もう 一つ話しておかないといけないのは心下痞についてです。心下痞があるかないか、人参湯は心下痞に効くのか効かないのか等々についてです。現代の日本漢方は 言葉がスクランブルになっています。漢方医学はずっと昔の金元医学の時代に渡って来て、それがいわゆる、後世方として発達しました。それから後に、全く大 陸とは関係なしに独自に自分達だけで傷寒金匱を勉強して、それで治療を始めたのが古方派です。これについては前に言ったと思うのですが、日本では古方派の ほうが後世派より新しいのです。後世方の処方と言うのは、見れば分かるようにやたらと高い薬をものすごく沢山使っています。しかも後世方の医者連中という のは、お抱え医者として、例えば一つの貴族の一統だけを診ているだけでやって行けるような医学しかある時までやっていなかったのです。風邪が流行ったとき に、葛根湯を何百人も千人も使うという治療は全然していないのです。当然庶民に薬はあたらないのです。その時代に結構発達したのが民間医学です。でもそれ ではうまくいかないという状況の中で、後世方を学んでいた医師が、巷で苦しんでいる沢山の人々を何とかできないかと考えて、それで傷寒、金匱を見たらあま り高い薬を使わなくても、安い薬を少量使って、沢山治療できることが書かれてあり、本当だろうかといってやり始めたのです。それが古方派なのです それで ちやんと治療できるのです。そういう事で発達して、要するに貴族階級に対して、大衆を味方につけたので、古方のほうはどんどん途中から広がってきたので す。

古方派は傷寒、金匱を原 点としている以外は、大陸とは無縁なのです。日本で独自に発達しているのです。そして現代の中医学と言うのは、一度滅びた医学を、理屈だけで無理やり復活 させたものです。少なくとも、日中国交回復した時に、中国に行ったときには、もうほとんど過去の医学で、中国ではほとんど用いられていなかったのです。今 になって中国の伝統医学の本場は自分達だ等と言うのは嘘っぱちなのです。その時僕は、向こうの招待で中国に行って見てきているのです。中国人はそのころよ うやく入ってきた西洋医学の病院の前に列をなしていました。誰も中医学なんてやっていないで、ただ自分達で薬局から、日本の民間薬のように適当に買ってき て、軽い病気だったらそれで治療していたという、そういう時代なのです。中医学は中国が結局漢方薬を売るために、生き残っていた老中医と呼ばれる連中をか き集めて、もう一回再構築したと言うのが本当なのです。これが中国の何千年の伝統などというのは嘘っぱちです。でもそういう系統の違う医学が別の言葉で表 現しているから、僕がずっと話していると、それを何か共通語に翻訳しているような作業になってしまうのです。

心下痞の話に戻ります。 そもそも心下痞というのは言葉の定義が全部ずれているのです。心下痞がある時は、私の場合なら服の上から手を置いただけで、患者さんが顔をしかめますから 分かります。手を置いただけで術者の気があると患者さんは痛がります。そして板状にバンと張ったものが触ります。そういう場合、あらためてしっかり解りま す。これが本当の心下痞です。(図」)

でも言葉の使い方によっ ては、この後に硬をつけて心下痞硬、あるいは心下満といったりします。これが本当の心下痞なのです。これは瀉心湯等の証であって、この心下痞は人参では取 れません。何故言葉がスクランブルになっているかと言うと、心下痞が現れる抵抗感とか圧痛とかいうのを、全部心下痞という言葉で括ってしまうからです。そ れでおかしくなってくるのです。もう一つは人参湯の心下痞です。これも手を置いただけで服の上からでも分かるのです。診察するとき見にこられれば分かりま すけれど、実は何も考えていないのです。血圧を図りながら脈を診て、体中無意識に触りまくっているのです。実際は最初は服の上からおなかを触ったり、せい ぜい服の下に手を滑らせたりして、ただなぜているだけなのです。何も矛盾がなければそれでいいわけです。実は診察前の段階で診断はついているのですね。先 程言ったように望診段階で大体9割方診断がついているので す。確認するために他の診察をするだけで、何も矛盾がなければ通過してしまいます。矛盾があればそこで手が止まるから、その時に改めて、詳しく診察するの です。矛盾があればはっきりした所見があります。心下で診られるもう一つの所見は人参湯の心下痞です。触っていると抵抗とか圧痛ではなくて、冷たい気を感 ずることがあります その時更に丁寧に触診すると、冷たくて力がなく手が入っていきますが、押さえて行くと抵抗が出てくるのです。これも心下痞と言ってい るのです。(図2)瀉心湯の心下の所見と違うものだと言う ことが分かるでしょう。瀉心湯の心下痞は、内部からどんどん邪が出てきているのですし、この心下痞は臓が虚してしまって力がなくなって、心下に弱さが出て きているのです。この痞は人参湯が見事に取るのです。これともう一つちょっと特殊なのですが、こんなに引っ込んではいないのですが、やはり同じ様に冷気を 持っていて、力がないのに触ってみるとあたかも瀉心湯等の心下痞に似ているぐらい張る場合があります。これはどう言うことかと言うと、中がむしろ進んでし まった状態です。要するに気の衰えから水を回せなくなって、水が心下のあたりにあふれてきた状態です。後で出てきますが、これが木防已湯の心下痞なので す。(図3)瀉心湯の痞が分かり、人参湯の痞が分かってく ると木防已湯の痞が分かるのです。基本は人参湯の痞で単にみずがあふれた状態が木防已湯です。これは邪気が実している状態の、瀉心湯の心下痞とは違うのだ と言うことです。

 

ここで質問あり。(聞き 取れない)

答、それは外因によるも のですね。寒が心下に入って寒が実することはないのです。内部から出てくる寒というのは、陽が虚すときに出てきますし、陰が虚すと熱が出てきます。内因病 の寒熱は逆になります。外因病の寒熱は寒い邪が入れば寒くなるし、熱邪が入れば熱くなるのです。また、陰が虚したり陽が虚したりするのはどういう事なのか という問題になると、それだけでまた一時聞かかってしまうのですが、分かりやすく言えば以下のようなことなのです。要するに、脾陽不振状態になると心下に 力がなくなって、寒が出てくるという事になります。どちらかといったら心陰とか腎陰が不足しても、心下に熱邪が出てくるというような格好になります。この ことについてはもうちょっと臓腑の話をした後にまただんだんと触れていきます。良い質問でしたね。でも、あくまで内因病と外因病とでは、考え方が全然違う と言う事です。そして今言ったように、人参の入っている製剤というのは、この人参湯の心下痞を取る作用があるのですが、瀉心湯の心下痞硬というものに関し ては、取れないか、場合によつては有害な場合もあるのです。全てではないのですが、例えば熱がある時に温めてしまって、かえって熱を上げてしまう場合もた まにはあります。人参湯に附子を加えた附子理中湯という処方もありますが、これはツムラさんの処方を全部話し終えてから、改めてお話しすることになると思 います。

次に四逆散まで少し入っ て行きましょう。いつも話しが途中になってしまいますが、柴胡、枳実、芍薬、甘草が四逆散です。この場合の芍薬、甘草は芍薬甘草湯の芍薬、甘草と思ってい いのですが、柴胡の作用は実は芍薬が一緒でないと、うまく発挿されないのです 柴胡の消炎作用は黄芩と一緒になるときに最も強く発揮されるのですが、柴胡 そのものが副作用をあまり出さずにうまく抽出されるためには、煎じるときに芍薬がセットでないとうまくいかないのです。四逆散は散となっていますけれど、 まず散として使うことはほとんどないと思っています。柴胡が入っているものを散で飲ませるときは、なかなか勇気が要ります。四逆散の一番大きな作用は、柴 胡の作用と言う事なのです。僕も話の中では、行きがかり上、四逆散なんかを柴胡剤と言ってしまうこともあります。しかし、別の言い方がないので柴胡だけが 入っているものでも柴胡剤と言ってしまうことが多いのですが、正確に言えば本来柴胡剤という場合は、柴胡と黄芩いわゆる柴組が入っているものを、 柴胡剤と言います。これは柴胡の強い消炎作用を目的とする方剤を、大抵の場合柴胡剤と言っているからですね。ところで、柴胡が単独で入っている場合はどう いう作用なのかというと、柴胡は肝に働きます。肝というのは何なのかと言うと、一つの結合体とかネットワークの様なものなのです。肝というのはいわゆる西 洋医学でいう肝の胆汁精製部門(胆汁分泌部門は違います)と化学工場としての肝と、門脈系、それと重要なのは交感神経系です。副交感神経系は、どちらかと 言うと太陰のほうです。だから肝が上がると交感神経が上がり、脾が抑えられ、副交感神経が下がるのです。肝が上がっている人が胃を痛がるのは、交感神経が 副交感神経を抑えて胃腸がやられてしまうからです。東洋医学でも全く同じです。肝が上がると五臓の相克関係で脾が抑えられます。もう一つ男性の精巣と女性 の卵巣と、以上の五つが肝に属するのです。
これはどういう脈絡があるのかというと、解剖学的にはつながっていないのですが、経絡でつながっています。だから意外と関係し あうのです。例えば私のところでは、リウマチに柴胡剤をファーストチョイスするのですが、なぜかと言うと、リウマチの人の9割ぐらいは、肝の病証として出てくるからです。昔はフォローできないまま 使っていたので、本格的な戦いを起こしたとき、リウマチが一時悪化した様な状態になったのですね。そこをカバーできればリウマチは肝の病証ですから、柴胡 をファーストチョイスに使えるのです。(下田先生はRAHAと 補体価で経過観察し、鍼等で症状を和らげ、柴胡を使ってリウマチを治療します。佐藤)

女性は更年期過ぎにリウ マチ系統の病気がよく出ます。それは卵巣機能の衰えと共に出てくるのです。それとストレスがからむと交感神経がからみ、リウマチ系統の疾患が悪化します。 あるいは肝臓そのものが悪化します。これは旭川医大の前の並木先生の教室で面白い研究をやっています。並木先生は旭川医大の第3内科教授だったとき、心療内科的なものと、肝臓や消化器を研究していまし たから、そう言う患者ばっかり集まっていた訳です。肝炎の患者をかなり沢山入院させていたときに、入院していた隣の病棟が改修工事に入ったのですね。すご くうるさい音がし始めると、肝炎の患者の肝機能が軒並み悪化したということがありました。更に言えば脾は膵だと言いましたが、これも面白いのです。並木先 生のところに心療内科と言いながら、本物のうつ病の患者さんが沢山来ていたのです。そして並木先生は、ずっと統計を取っていたのです。やっぱり偉いです ね。そうすると長い年月見ていると、うつ病の患者さんの中に膵臓癌の患者さんが有意差をもって発症します。だから脾は膵なのですね。うつ病と膵癌とどちら が先か分かりませんよ。もともと脾に弱いところがあるからうつ病になったのかも知れません。だから脾虚の人はいつも注意して診ています。そしてずっと診て いると膵臓癌や胃癌が出てきます。そしてやはり太陰が弱いですから、肺癌の人は大腸癌を造りやすいとか、胃癌になった人は大腸癌が出てきやすいとか、西洋 医学でもよく言われています。これはもう西洋医学でもだいぶ分かってきています。この次に、最後に詳しく話しますが、要するに肝というものの本質的な部分 の緊張している状態を解くのが柴胡の本来の作用だということですね。本来は肝炎とかに対する消炎剤ではないのです。黄芩と一緒になったときだけそう言う風 に消炎剤としての働きを出します。けれども、柴胡単独の本質的な働きは、門脈系、交感神経系、精巣、卵巣等の過緊張状態を解く作用です。というのも肝は非 常に緊張しやすい臓器だからです。要するに、ストレスを受けやすく、そのための病証を造りやすい状態を解くのが本来の柴胡の作用だということです。この四 逆散を始めとして、柴胡が一つだけ入っているお薬というのは、本質的に皆そう言う作用だということです。その話は今日は充分にできなかったのですが、この 次は四逆散の本格的な話から致します。御清聴ありがとうございました。

 

質  問

四柱推命易経について

答  え

いやー僕もわからないで すね。四柱推命までいくとどうなのだろうと思いますね。現実にもう目の前にいる人の病証を丁寧に診ればよいのですからね。
生まれる日というのは全然見なくても良いと思いますよ。だって目の前に患者がいて、そこで症状を出してきますので、その人の中 心を捉えるのです。そういう考え方をしなくても診られるのです。もしかして四柱推命から見れば結果としてあたっているのかもしれませんが、私はそういう意 識で診たことはないので、それについては分かりません。僕のところでやっている診断というのは、結局その人の中心は何ですかということです。勉強している 先生達に予診をとってもらいますが、改めて新患さんを一緒に診察する段階で私が、先生達に聞くのはその事です。そうですね。四柱推命と果たして一致してい るのかどうなのかについて、一つだけ言えるのは、占星術にしろ何にしろそうなのですが、同じ日に生まれた人は皆同じ扱いができるかという問題が出てくるの で、どうも怪しい面がありますね。

 

質  問

温病について

答  え

インフルエンザは本来は 寒邪が入るものなので、本来は傷寒になるのです。その時人間の寒邪に対して熱で補おうとする力が非常に強かったり、あるいは、たまたまいろいろな条件で内 熱を生む病態が重なり合ったときにインフルエンザでも温病になる場合がごくまれにあります。そうですね、インフルエンザの時にいきなり温病で見えるのは、1シーズンに一人か二人ぐらいかもしれません。

 

質  問

温病について

答  え

いろいろ言われていま す。必ずしも発熱だけではなくて、熱はあるのですが、本人は熱を感じていない場合があるのです。だからちょっと難しい面があります。傷寒の場合は症状が非 常にはっきりしてお本人はポッポッと熱がっていて、熱を測るとありますが、温病は熱感も悪寒もなく、観察すると、熱そのもので陰が焼かれている状態です ね。温病というものを現代中医学のほうでずっと言ってきたのですが、ほんとに温病という独立した状態があるのか、その付近をやはり疑問に思うのですね。一 時意識してそういう系統の薬というものを検討したことがあったのですが(中医はそういう系統の薬を使います)、そういう薬は使わなくても傷寒論に載ってる 処方で、ある程度うまくいってしまうのですね。丁寧にやってみるとね。もしかしたら何か傷寒に対して、体の反応性として特殊な型になったのをクロスオー バー的に寄せ集めて温病とまとめているのではないかなと言う疑問もあるのです。本当にこれが温病で、この薬でないと絶対治せないという症例に、何か会わな いという気がするのです。では、今日はこれで終わります。どうもありがとうございました。

 

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