第3回「さっぽろ下田 塾」講演

 

これからも追々話して行 くんですが、病気とは何なんだということなんですが。病気という言葉を解釈するときに、結構間違ってとらえていられる方が現実に多いんですね。病気・病ん でる気はあるんだろうか。ようするに、病気と正気があるんですが、気の中に、病んでる気と正しい気があるんだろうか。そういう風な書き方をしている本が結 構あるんですね。これは間違いです、気は物質ですから。

分かりやすく考えるため に、電気を考えればいい。電気は気に似ているので電気と名付けられたんですね、電気といわれるものは、光に変わります、熱に変わります、磁気に変わりま す、動力に変わることもあります。漏電で変な所に流れていったり、いろいろな形に変わりますが、電気の本質は変わりません。中に流れているものは最終的に 変換すれば、必ず元の電気に戻る性質を持っています。

気もまったく同じであっ て、病気も正気も何なのかというと生命現象そのもので、気は何なのかというと物質であるわけです。病気というのは、気が病んでいるのであって、病んでいる 気ではない。正気とは気が正しく作動している状態を言っているだけである。気そのものは同じ、気の正常な流れが何らかの原因で阻害されたのが病気。気その ものが変なものに変わったわけではない。ここはよく押さえておかないといけません。

前回も話したように、気 血水や陰陽の概念も非常に混乱している面があります。何でも陰陽に分けるとかえって分かりづらくなります。陰陽は相対的なものだから、なんでも分けようと すると陰陽に分けることができます。表を陽とすると裏は陰になる。でも裏のなかで腑は陽で臓は陰になる。気血でも、気は陽で血は陰だけど、血の中でも血漿 の部分は陰で血球成分は陽になる。人間の中の全体の気の働きの中も、陰虚もあれば陽虚もあるといわれる。ようするに、あまり陰陽を言い過ぎると分かりづら くなります。私が講演の中で、陰陽と言うときは原則として、陰は臓で、陽は腑あるいは腑より浅いところ、陰病といえば臓から出発する病で、また、腑あるい は腑より浅いところから出発する病気を陽病といいます。

病気というのは気の流れ が何らかの意味で滞っています。気とは何かというところなんですが、(図1参照)易経には、根源なるものは徳(徳とは英語でspiritに近い)と気に分かれ、気から物質世界と精神世界に分かれてい ると書いてあります。気から物質世界も精神世界も生まれると書いてあります。

最後の文章に書かれてい ることを究極を言うと、動物も含めてすべての生物に気から物質・精神は流れている。でも、徳を感応することができるのは人間だけだと書いてあるのです。病 気の話を書いてあるものの中には、内因病と外因病をごっちゃに書いてあることが非常に多いんです。病気は内因、外因、不内外因と分けなければいけない。内 因というのは、その人の臓の、臓の中にも全部気が流れているのだけど、臓の中の気は、先天の気といってさっき言った根源なるものからの気と、つきつめると 同じことなんですが食べ物や漢方薬(漢方薬そのものが気を蓄えている)と空気からきます。そういうものから作られる臓の気がうまく流れなくなったら、経絡 に乱れがきて体表面まで波及して出てくるのが陰病です。外因というのは、いろいろなとこから入れないので、たいてい特定の集団に入る。例えば毎年風邪をひ く集団に入ったり、3年に1回しか風邪をひかない集団に入ったりする。それであっても、その人の防御の弱いところから入っていって臓まで入ったら大変だか ら腑のところで大抵発症する。ようするに、理解していただきたいのは、内因で発症する臓の病気(陰病)は、そのままその人の表現型だということです。その 人の特徴を、その人の一番よわいところを表している。ようするに、内因からの病気がどの臓から出てきているかが判ると、その人の性格傾向、生活パターンが ほとんどわかる。臓腑弁証ができてしまうと、性格傾向や生活パターンがわかるから適切なアドバイスができる。そして、外因も防御の弱いところというのは、 最終的にはその人の臓の弱いのが腑に影響してて防御が落ちていることが多い。内因は直接、臓の症状を出しますし、外因も結局は、どこに入っていくのかをみ るとその人の弱いところを指さしていることになる。だから、良かれ悪しかれこのような構造になっているので、漢方薬の解釈がまだ混乱している。例えば、柴 胡剤は臓病にも使えるけど外因病にも使える。同じような人に同じ様な症状な時に使えるんです。当たり前なことですが、弱いところが一緒だからです。葛根湯 でも、風邪で使う葛根湯と肩こりに使う葛根湯と同じ所になんです。でも、ごちゃ混ぜに使っても、現実には使うときはどちらでもいいんですが。その人の弱い ところを捕まえて使うのだから。でも、ものごとを考えていくときに、内因病として今、葛根湯を使っているのか外因病として葛根湯を使っているのか、それを 頭の中できちんと整理させていた方が、簡単な病気のときは混乱しないのですが、病気が複雑になって組み合わせが大変になるとだんだんわからなくなる。当た るも八卦になる。病気というのはその人の表現型で、決して悪いものではない。病気しない人はいないわけですから。実は非常に大切なものなんです、病気を通 してその人の人生がみえてくるぐらいその人の表現型なんです。

 

調 胃承気湯

いきなり気が出てきまし たけど、気には先天の気と後天の気があります。先天の気に属するのは、代表は腎の気、それと腎の気に導かれて働く心の気です。後天の気に属するのは、一番 中心は脾の気で、それと導かれるだけではないですが肺の気です。先天の気は、そんなに激しい症状は一般的には出さないですね、 じんわりした、気と言いながら空気なんかはあまり動かさないで、どちらかというと気力にかかわってくることの方が多い。なぜかと言うと、腎の気は生命力そ のものだからそんなに動揺しては困るんですね。毒物を飲むなどよっぽどの事がないかぎり、腎の気が一気にやられることはない。普通は、じわーと立ち上がり じわーと消えていくんです、一生かかってね。それに伴って心の気も立ち上ってだんだん衰えていく。だから、そんなに激しい症状は出さない。ところが、脾の 気は毎日の食べ物でも影響される。肺の気は毎日の天候でも、温度差、湿度、室内にたちこめる炭酸ガスの量にでも左右される。もう1つ肝の気、これはストレ スがらみ、人間関係などによって動かされている。この中で、身体症状を一番急激に出すものは何かというと、肝は腎よりは早いけどじっくりやっていく、スト レスがずっと加わるといろんな症状を出していく。脾はその場その場で変動します。脾気や肺気が変動すると現実に空気の異常をきたす。承気湯というのは本来 それを意識した方剤です。脾・肺の気の巡りが悪くなると、いきなり脾や肺の臓がやられるわけにはいかないので、腑に下請けさせる。腑に下請けさせると胃と 大腸、胃と大腸がやられると必然的にその中間の小腸も含めて、これは脾や肺の腑ではないんですが、ガスの巡りが悪くなる。外因病で入ってきたときは、まず 胃と大腸が熱で焼かれる。脾や肺が受けたくないから腑の胃や大腸で最初受ける。熱性疾患の初期で、胃が全然動かなくなったり、急に便秘になったりする状態 がそうです。内因病の時は、脾や肺の気が枯渇してくる、陰が衰えると必ず陽が熱を帯びてくる。陰がうんと衰えると冷えの症状が出てくるが、陰が最初ちょっ と衰えて陰の症状をそのまま出さなければ、腑の方が熱をもってくる。ようするに、外因病でも腑に熱がもたらせるし、内因病で脾や肺が衰えていっても胃、大 腸に熱症状がでる。この状態の一番初期の状態が、調胃承気湯や小承気湯の状態なんですね。だから、単なる便秘の薬ではない。大黄甘草湯は便秘のくすりです が、承気湯はあくまで気を巡らすくすりです。ようするに、胃・小腸・大腸に熱をもつとこの辺の血の巡りが悪くなるだけでなく具体的にガスがたまってきま す。このガスは術者の気が高まってくると手を置くだけでわかります。上腹部に手を置くだけで、かすかにガスだけが動くのがわかります。茯苓飲のときは水と 空気が一緒に動く、振水音(水泡音)というのがわかります。そして、当然熱症状があります。熱症状があって、気の巡りの悪い状態があって、原因として、何 らかの感染症があるか、内因として脾か肺の衰えがあるか、どちらかをとらえれば良い。

調胃承気湯と大承気湯、 小承気湯でどの程度の差があるかというと、小承気湯は一番症状が軽い、大承気湯は一番強い、調胃承気湯はちょうど中間という感じです。但し、意外と承気湯 は使う機会あんまり多くない。日本漢方では意外と承気湯は使わない。なぜかというと、途中食い違いがでてきたみたいでね、承気湯を本来使うようなときに柴 胡剤をよく使っている。それでうまくいっているかというと、内因病のときはなんとかうまくいっているが、外因病のときは結構失敗しているみたいですね。承 気湯を使うべきときに承気湯で下すのがおっかないみたい。それで柴胡剤で誤魔化しちゃうと、そうすると、結局少しこじれて長引きながら長い時間かかって治 る場合もある。

承気湯は、例えば外因病 の場合、お腹の中で熱をもつような悪いものがあるわけだから、それを下してしまおうとするのが承気湯のポリシーなんです。あるいは、内因病の結果、お腹に 熱をもっているから、当然お腹の中にあるもの出して熱を下げてしまおうとどっちも同じなんです。ようするに、お通じをつけるのではなく、気を巡らし下して しまうことで熱を生み出している元を取り除こうとするのが承気湯なんです。

ただ、まだ僕も分からな いことがあるんですが、矢数道明先生の本に出て来るんですが、彼がまだ医者になりたての頃、自分の子供が髄膜炎になってしまって、西洋医学的に見放されて 自然に治るのを待つしかない、治るか治らないか分からないという言い方をされた。それで、矢数先生は本当に他に治療法がないのなら、これに医者としての自 分を賭けてみようと承気湯を使った。そして見事に良くなっていった。それで、彼は西洋医学から漢方に転換した。

僕も実はあるんですね。 最初の日に見せたスライドのSSPEの子を診た時、痙攣は すぐおさまったんだけど、診だして1ヵ月目ぐらいでものすごい高熱を出して39°以上の熱が下がらなくなった。そこで、ずっとかかってい た札幌のとある総合病院に入院した。その子の主治医は、漢方を絶対認めない先生だったので、そこの先生の薬を止めて漢方を飲んでるなんて、その子の親は全 然言っていない。僕のところで治療しているのは内緒にしていたんです。しかし、入院後、点滴・解熱剤を使って1週間経っても、全然熱が下がらない。そこ で、僕は親戚のおじさんということにして病院へ行き診察した。承気湯の腹証で舌苔がきたない茶褐の苔。完全な黒なら本来は黄連解毒湯の色になるけど。これ は矢数先生が書いていた承気湯の証だと思って承気湯を出したら、もちろん鍼もしましたけど、その日から見事に熱が下がった。それっきりその子は緩解した。 その後、1年後になるとCT上で脳所見がべったりした均一 から脳の構造がわかるようになり、2年後に脳波が出てくるとなった。ようするにその時を境にSSPEそ のものはクリアーした。

ただ、未だに分からない のは、脳炎は脳は本来は最初分類したように普通は心に属する。髄膜炎というのは何なのか、承気湯が効いたことから脾、肺、胃〜大腸が絡んでいるようなんで すが、まだ判らない。承気湯の証だったから承気湯を使ったら治っちゃったという完全な随証治療だったということです。

 

三 物黄芩湯

これも、結構使ってる薬 ですが、独特な薬で他にあまり使えない。苦参は他にあまり使わない薬。黄芩が苦参と生地黄を運ぶ。特に、苦参は皮膚の熱を冷ますような作用をもっている。 そして、熟地黄は内分泌腺など腺の血行を改善する作用を持っているんですが、生地黄は表面の熱を冷ます。苦参も生地黄も強い薬ではない。三物黄芩湯では間 質性肺炎の副作用もほとんどないことから、やはり黄芩は問題でないと思う。特徴的に手足のほてり、特に更年期女性に出てくる手足のほてりに非常に良く効く 感じがあります。要するに、血の流れが悪くなれば普通は冷えるんですが、なぜか手足がカサカサになって火照ってる女性は確かにいるんです。血虚、血瘀でな く強いて言えば血燥というですが、血が乾燥してしまう。やはり血の流れの悪い所になにか熱を生み出すものがあって手足に熱を生んじゃうみたいなんですが、 これも病態は良く分かりません。更年期に似た状態を自分で経験できないためかもしれませんが。三物黄芩湯の状態は、ほとんど更年期前後の御婦人しかない。 どちらかといえば、桂枝茯苓丸を飲むようなタイプの御婦人なんですが、桂枝茯苓丸みたいな急迫症状は出さないで、ただ手足のほてりがあるだけで体の芯も熱 いことが多い。体の芯が冷えてて手足が熱ければ温経湯なんかですね。通常は、手足が火照るだけでは来院されないのですが、手足が火照るために眠れないとい うぐらい強い症状になることがあるみたいなんですね。男性は経験できない症状と思うんですね。確かに手を触ると温かいんですが、本人が言うほど灼熱した感 じではないんですよ。下に書いてあるけど、湿疹や凍傷の時は現実にはこの薬より他の薬を使うことの方が多いですね。

 

黄 連解毒湯

今まで述べた黄連、黄 芩、山梔子に黄柏が加わっている。黄連、黄芩が加わっているから、本来、瀉心湯なんですね。瀉心湯なんですが、なぜ瀉心湯と書かれないかというと、入って いる薬味がすべて冷やす薬。この場合の冷やすというのは熱を瀉すること。解熱剤という意味ではないです。西洋医学の解熱剤を東洋医学的に考えると感覚的に 説明が難しい。例えば、葛根湯・麻黄湯は解熱剤と言えるのか、確かに飲めば汗をかいて熱が下がるけど、西洋医学のNsaidsとは全然違う。何が違うかというと、Nsaidsで熱を下げると体は冷えます。葛根湯で熱を下げると体は温まり ます。寒邪が入ってきてるからそれを温めることで、結果として熱を下げるのだけど、Nsaidsと 同じ解熱剤と言えるのか。黄連解毒湯の薬味は、全部、熱のものを下げる(瀉す)、一番寒い薬です。三物黄芩湯も寒い薬と言ったけど、それよりもっと寒い薬 です。黄連解毒湯を黄連解毒湯でない状態に飲ませると、寒くて震えが止まらなくなる人がかなりいます。二日酔いや悪酔いの予防のために、黄連解毒湯と五苓 散の組み合わせで使うことがありますが五苓散で緩和されてるとはいえ万人には薦めません。

五苓散は問題ありません が黄連解毒湯はあまりすすめない。そういう意味で非常に強い薬です。病邪のない瀉薬というのはどういうことかというと、(陰陽大極図を示しながら)先ほど から病気の話をしていますが、陰陽論で物事を考える時は、今陰にあるのか陽にあるのかということを考える。人間の体の今病気をしている状態を診る

ときは、陰陽図をみると きは半径で物事を考えていくんですが、人間の総和をみていくときは直径でみていく。だから、陽の症状が出ているとき(腑が病んでいるとき)、必ず陰も病ん でいます。どちらが表に出ているかだけです。陽の症状が出ているとき、必ずそれに対抗する陰がある。すごく大事なことは、陰陽図を直径をどこで切っても陰 陽の割合は等しいように、普通の状態では陰陽の総和は同じになる。これが崩れているのが病気の状態です。例えば、臓はまだそうでもないが、腑の方があふれ てくる場合、その直線上では腑の方が多くなる、腑の方が多くなると前言ったように熱の症状がでてくる。そうすればどうするかというと、冷やす薬をこちらに (陰)に加えればバランスがとれるわけです。風邪の場合、寒邪が入ったためにバランスがとれなくなって、陽の部分で反応して一生懸命熱を出している。そう すると、西洋医学では熱が悪いと考え熱を下げるから寒邪を野放しにすることになって余計寒くなってくる。問題は、熱が出てることではなく寒邪が入っている ことだから、外因で熱が出てるときは温剤を使ってこれ(陰)を温める。その結果、陽は熱を出す必要がなくなって陰陽のバランスがとれる。このように、いつ もその人のどこが多くなってどこが不足しているかを考えていくべきです。本来は陰陽は平衡状態にあるわけですから。年をとって陰陽図が小さくなっても、陰 陽のバランスがとれていれば人間は年相応の健康で生きていられます。黄連解毒湯は仮借のないさまざまな熱を下げる薬ばかりです。だから実際はこの薬を単独 で使うことは少ない。なぜなら、今の陰陽図を考えたら分かるように、これだけの冷やす薬ばかりを使わなければいけない状況が、外因ではまずないだろう。外 から入って中まで焼かれるというのはそうないです。中からの病気がうんと熱をきたして黄連解毒湯の状態になるためには、当然そこに至るまでに臓が損なわれ ている。その状態に黄連解毒湯だけを使ったらえらいことになる。黄連解毒湯を単独で使う一番良くある状況は、夏に海水浴で日に焼かれて顔がパンパンに真っ 赤になる皮膚炎。接触性皮膚炎と同じで臓はやられずに皮膚の表面だけ(腑だけ単独に)が真っ赤に焼かれた。つまり、真っ赤になったとは腑に心の熱が現れた ことになる。皮膚は本来は肺の支配なんですが、真っ赤になるときは心の色がつく。外からの急性病は通常は内臓まではやられない。これが黄連解毒湯を一番使 う状況です。何か分からないけど突然かぶれて皮膚が真っ赤になったとか、一日中暑い外にいて皮膚が真っ赤になった時に黄連解毒湯は非常に良く効きます。飲 みだした途端に良くなる。それ以外の黄連解毒湯の状態が出てくるときは、臓も大抵少しやられているので、黄連解毒湯単独ではなかなか使えません。一番心の 熱を上げやすいのは、以前話したように腎水の不足が一番上げやすい。だから四物湯を加えて温清飲として使うことがかなりあります。心陰が不足して心陽が上 がると中医学の本には書いてありますが理屈だけで実際はあまりないですね。心陽だけが上がることはあります。これは熱中症のときにどんどん照らされて熱が 上がっちゃうと心火だけがどんどんがることはあります。そういうときに黄連解毒湯を使えないこともないけど、現実には熱中症は心火だけでなく体液不足もあ るので別の効く薬を使います。今のような病気・赤い色を出すような病気・赤い色がでてくるような病気(炎症ですね)には、中からの炎症でも外からの炎症で も黄連解毒湯を含む製剤は良く効きます。心の色が濁ったときの赤(老人に顔にみられる赤、アトピー皮膚炎で皮膚がドロドロになったときの赤)の炎症の時に 使うのが黄連解毒湯です。黄連解毒湯は単味で使うときは少ないですが、すごい大事な薬です。いろいろな臓器の炎症(ほとんどの炎症は赤だから)に使えうる 薬です。逆に言えば、それだけ強い消炎剤だから使い方も難しいといえます。そこを意識して使えば黄連解毒湯は非常に大事な薬ですし、これから話すいろいろ な薬に入ってきます。

(ここで出席者より質問 がありそれに 答えるかたちで)例えば、柴胡剤を、大柴胡湯は瀉薬である、小柴胡湯は中間、柴胡桂枝乾姜湯は補薬であると分類しているがウソです。徹底した瀉薬といえる のは黄連解毒湯しかありません。徹底した補薬といったら保険収載の薬では四君子湯で、補す力以外は全然ありません。あとは何らかの意味でわずかにどこかを 瀉してどこかを補している。普通の大人に外邪が入ってきたとき、徹底した補の状態や徹底した瀉の状態になる人はそんなにはいない。三黄瀉心湯は黄連、黄芩 は瀉薬ですが大黄はわずかに補の作用があるので98%の瀉 薬でしょうか。100%の瀉薬は黄連解毒湯だけです。だか ら、あらゆる薬を考えるとき、この薬はどこを瀉してどこを補しているのかという認識でみて欲しい。薬がどこを瀉してどこを補すかというのを外因病では六経 で、内因病では臓腑でみていった方がよい。最後に、山梔子の副作用に注意して下さい。(茵蒿湯で話した)証が合っ てても出ることがあります。

 

麻 黄湯 麻杏甘石湯 麻杏薏甘湯

麻黄湯と麻杏甘石湯と麻 杏薏甘湯の違いは桂枝と石膏と苡仁の違いだけのように みえますが、実はかなり違います。麻黄湯がなぜ麻黄桂甘湯と書かれないかというと、麻黄湯が一番麻黄の特徴を発揮する薬だからです。張仲景が自分で作りだ した処方は、命名しないでそのまま薬味が羅列しています。麻杏甘石湯と麻杏薏甘湯は彼が作った処方かもしれません。それ以前に作られて名前がついていた 薬、麻黄湯だとか葛根湯のような薬ですが、そういうふうに命名されているのには全部意味があります。麻黄湯は一番麻黄らしい。麻黄の目的を一番期待してい る薬です。麻黄の目的は、表を解くしかも温めながら。これが一番の作用なんです(温めながら表を解く)。もちろん、分析するといろいろ作用があります。エ フェドリン類は気管支拡張作用、シュードエフェドリンは消炎作用がありリウマチに対する消炎作用は証明されています。これが作られた頃は慢性疾患よりも急 性疾患の方が多かった。この処方が作られた頃は慢性疾患が出てくるほど長生きしなかったんです。急性疾患でバタバタ倒れているわけです。傷寒論もそのため に書かれたわけです。自分の親族がバタバタ死んでいくのに何も出来なかったと、その反省を込めて編纂して書いたのが傷寒論です。慢性疾患でなく急性疾患に 対する麻黄の作用を一番出すのが、麻黄桂甘湯(麻黄湯)です。麻黄湯は現実には一番強い発汗解熱剤なんです。でも、成分を調べると発汗解熱剤は全然入って いない。これが面白いところです。麻黄湯の杏仁を取り去って葛根、芍薬、生姜、大棗を加えたのが葛根湯ですね。葛根はフラボノイド(ポリフェノール類)で 実験的には発汗解熱剤です。しかし、麻黄は単味で実験すると発汗作用はないです。葛根は単味で実験すると発汗解熱作用はあるけど。にもかかわらず、一番強 い発汗解熱作用は麻黄湯なんです。傷寒論では、一番実証の人に使う発汗解熱剤が麻黄湯でその次が葛根湯になっていますね。これは本人の内臓の体質の問題だ けど、ようするに寒邪が入ってきたときになんとかそれを処理して出してしまおうと、熱を出して発汗して、発汗するときに一緒にを開いて自力で寒邪を外 に出してしまおうします。薬も何も使わずこれが出来れば一番簡単なんですね。熱を上げる理由はそういうことなんです。熱を上げることで自らの力で寒を中和 させて体の表面を開いて汗と一緒に外に出してしまえば、寒邪は体内から無くなります。麻黄湯証の人は寒邪を外に出そうとする作用が非常に強いんです。麻黄 湯証の人は何年かに1回しか風邪をひかないような丈夫な人たちです。なぜ風邪をひかないかというと、体皮が非常に強く外邪を入れないからです。皮膚の表面 ががっちり閉じて外邪を入れないのです。がっちり閉じているから一度中に入るといつまでも出ない。でも、本来内部の反応は強いから、皮下までどんどん出し てしまう。だから、麻黄湯の人は熱があって寒がるけど布団をかけると暑がる。皮下のすぐ下まで熱がきているから布団をかけるとはねのける。子供が顔を真っ 赤にして熱を出していたら、黙って麻黄湯を出して間違いない。それでは葛根は何をするのかというと、葛根湯証の人はもう少し弱い人なんです。普通の時は桂 枝湯証の人よりちょっと弱いくらい(入りにくいくらい)皮膚の表面がちょっと開いているんです。そうすると、表面が開いているから簡単にいつもここまで 持ってこられたら困るもんで皮下までもってくる力は弱いんです。たとえば、熱をだしたときに熱はもっと深いところにあり、皮膚表面は冷えている。葛根は熱 で中和された寒邪を皮下までもってくる作用なんです。皮下までもってくると葛根湯証の人は表面が少し開いているから、少しは麻黄の力を借りるが、ここまで もってきたらどんどん発汗解熱してしまう。だから、葛根湯の人は熱は深いところにあって皮下は冷えてるので寒がって布団をかけていたがる。布団をかけてる と、熱が皮下まで伝わっていって、冷えてる皮下が温まり熱で中和された寒が外に出ていきやすくなる。麻黄湯の人にはインフルエンザの時とか子供の風邪のと きしかそんなに出会わないですけど、麻黄湯の人に葛根湯を出したらどうなるかというと、効かないだけでなく余計具合が悪くなります。熱が皮下まできている のに皮膚表面が開いてくれないから熱がこもって非常に具合が悪いのに、葛根を与えるともっと深いところにある熱までどんどん皮下に運んできてしまう。だか ら、麻黄湯の人に葛根湯をいくら与えても発汗解熱しないし、ますます具合が悪くなる。まあ、普通の風邪ならたとえ間違って葛根湯を使っても、麻黄湯の人は 時間がかかっても自力で治してしまう。でも、ちょっと重症化した麻黄湯の状態にNsaidsや 葛根湯を使うとどんどんこじれてしまう。この場合、西洋医学で何を使うかというと、だいたいステロイドを使います。熱性疾患でステロイドを使って解熱する のはこういうことなんです。じゃあ、麻黄湯は何をやるのかと言うと、麻黄湯は皮膚表面を解くだけなんです。自力で熱を皮下までもってきても皮膚表面を破れ ないので、麻黄で単純に皮膚表面を破るだけなんです。たったそれだけのことなんです。西洋医学的に考えれば、麻黄は気管支拡張剤、杏仁は去痰剤、桂枝はシ ナモンですから単なる抗菌薬か、葛根は発汗解熱剤ですから、葛根湯の方が西洋医学的薬物論で言ったらより総合感冒薬として良い薬みたいですね。より重症の ものに葛根湯の方が効くような感じがしますね。現実には、麻黄湯の方がより強い病態の人に使う。発症した人間の体質としてより強い体質をもっているので麻 黄湯で良いということなんです。理屈で言えば葛根湯の方が強い薬なんですが、実際は症状の激しさ、体力の強さは麻黄湯の方がはるかに強い症状を出しますし 劇的に効きます。でも中身は軽い薬で発汗解熱しちゃう。だから、根本的に西洋医学的薬物論と違う。臨床薬理とは人間の中に入って見てきたようなことを言う けれど、人間の体内で起こっていることは全然違うから、こういうパラドックスがでてくるんです。

麻杏甘石湯ですが、麻黄 湯は必ず正面で傷寒に反応している状態です。これが少し遷延してくると、もう少し深いところに入ります。皮膚、皮下、皮膚の深部のレベルで葛根湯、麻黄湯 を考えます。皮膚深部から熱と寒が一緒に皮膚・皮下の方に出て来るには汗の材料となる水が必要です。これが長引いてくると水の不足に陥ります。これが急性 疾患の麻杏甘石湯の状態です。言うのを忘れてたけど、桂枝は皮膚だけを巡らします、麻黄の働きを皮膚に集中させます。桂枝は皮膚の一番表層を巡らします。 体の内部では粘膜あるいは粘液腺の、気の流れを良くして水の流れを良くしているのだろうと思います。血には桂枝はあまり絡まないので。気と水の流れが良く なるとそこに他の薬が来るようになります。麻黄湯の場合、麻黄が皮膚に引っぱられてきてガチガチになってた皮膚を開いてくれるんです。石膏は皮膚の深部に 作用します。一応、皮膚深部の水が枯渇していたら、更に深部からあるいは皮膚・皮下から水を持ってくる。石膏の作用は面白くて、皮膚の深部の水が不足して いたら回りから持ってきて、溢れていたら回りに分散して水を調節する。但し、麻杏甘石湯の場合はほとんどここを潤します。木防已湯に入っている石膏は水を 分散する。急性疾患の場合は熱で焼かれて不足する。慢性疾患の場合、慢性の肺疾患で時間が経ってくると、肺の家来【気道から鼻、大腸、皮膚(皮膚からいろ いろなものを出し入れする機能)が家来になる】の気道が慢性的に水分不足をおこす。この場合の肺というのは西洋医学の肺ではなく、東洋医学の肺というのは 心肺機能・呼吸機能を含めた大気と交わらせる総合機能ですが、肺の衰えがあるから家来に熱をもってくる。慢性気管支炎は普通の時は本人も意識していないと か検査しても分からないというレベルでも、風邪でもないのによく咳をするだけで麻杏甘石湯の状態になると いうのは逆も真なり。子供に結構多いけど、もしかしたら喘息かもしれないということになる。麻黄湯や葛根湯の風邪なら心配ないが、麻杏甘石湯の風邪をひく 子というのは、単なる風邪ではなく肺になにか慢性の疾患があると考えて差し支えない。肺の子分である気道の水分が不足してくると西洋医学的に言うと痰がき れてくる。痰がきれてくる状態になると空気中のばい菌が着いて気管支炎を起こすことになる。麻杏甘石湯は内因病にも使うけど麻黄湯が内因病に単独で使うこ とはない。麻黄湯という処方を簡単にできるかというと、麻黄湯の処方は実際にはよくて一日、場合によっては一服なんです。何日も飲む薬でなく一服か二服飲 んで効かなければ診断が違っているんです。合ってるときは一服飲んだら、さあーと熱が下がるんです。だけどそれは使いにくいので、よくやるのは麻黄湯と麻 杏甘石湯を半分ずつ(1:1)に割るんです。これは大青竜 湯という処方に近くなります。これだったら、麻黄湯だなと思った状態の人に3日ぐらいまで処方できる。麻黄湯としての作用を結構残したまま葛根湯のように 邪魔をしないんです。皮膚を破ってくれる、葛根みたくどんどん上にもってこない、水がなくなったら補給してくれて上にあがってくれる。また、発汗解熱した 後も麻黄湯だけならどんどん出て深部・皮下がやられるけど石膏がが潤してくれる。

ちなみに、大体エキス剤 は常用量の1.5倍ぐらいまでを使います。急性疾患で強い 症状を出すとき内臓があまり損なわれていない場合が多いわけですから。 逆に、内因病(慢性疾患)では臓にむちゃくちゃやらない方がいい。常用量から常用量の3分 の1でやっている人も結構います。

 

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