なぜ、易経をテキストに選んだかというと、ただ、鍼の技術だけ教えるのならこの易経はいらない。
みなさんには、cure,care,healing まで考えて治療できるように、鍼の本質論を話したい。
たとえば、虫垂炎の痛みだけ取ったら腹膜炎をおこしてしまったというように、
痛みをとることで本質的な病気を悪化させることもあるわけです。
『易簡而天下之理得 天下之理得而成位 其中。』
易、簡にして(にもかかわらず)天下のことわりを得るなり、天下のことわりを知ったものは中ぐらいのところに自らを置くものだ。
鍼もやっていることは非常に簡単にみえる、でもいろいろな症状がとれる。
精通するようになっても、決して個人の欲得のためにやってはいけないぞということが書いてある。
なぜ、皮内鍼をやるかという点についてです。
霊枢にかかれているのは全部豪鍼を使ってのことだけど、古
代から近代までは疾病は圧倒的に外因だった(感染症や外傷)。
外から入る病気は、外から皮膚からどんどん中に入っていって臓を犯そうとする段階になってはじめて発症する。
腑を犯して臓の一部を犯すようになって発症する。それを治そうとすれば、臓に達するぐらい鍼を深く刺さなければならない。
豪鍼を深くさして捻ったり通電したりして強める。
逆に、現代は外因からくる病気は少ない。
内因的な病気は、臓から出発して腑に出てどんどん皮膚にでてきて(体の表面にでてきて)始めて発症する。
だから、皮内鍼の留置という非常に簡単な治療で内因的な病気の治療ができる。
鍼は危険信号を与えている。
経絡はたぶん脳の中にある。どんなに電子顕微鏡で探しても経絡は見つからない。
難経にも書かれているけど、経絡上の気の循行は1呼吸で20〜30cmと想像されている。
そうだとすると、鍼をしてほとんど瞬間的に効果が現れることを考えると、経絡を循行する反応で現れるとは到底考えられない。
鍼を刺した時、知覚神経は即座に脳に伝達するから、脳を介して反応は現れているんだろうと思われる。
陰陽対極法を基にしている。
この原則は、たとえば右手に症状のある時は左足に、右手の甲に症状があるときは、左足の足底に鍼の位置をとる。
要するに、一番遠いところにとることが原則。
東洋医学では、たとえば葛根湯を使う場合でも、風邪に対して使うのと、肩こりに対して使うのとは違うのに混乱している。
これは、外因病の流れと陰陽五行の流れと非常に混同しているからなのです。
古方の人がよく言うけど、慢性疾患までも陽明病とか太陰病とか六経弁証をしちゃう。
六経弁証は本来、急性疾患の弁証なのです。
急性疾患、外因性の病気はこの順番で回っていく
(肺経→大腸経→胃経→脾経→心経→小腸経→膀胱経→腎経→心包経→三焦経→胆経→肝経)。
外から入る外因性の病気は全部この順に回る、そして、ずーと入って内臓の中に入った時、はじめて少し五行が絡んでくる。
逆に、中から出てくる内因性の病気・慢性
疾患は、はじめから陰陽五行ででてくる。
陰陽五行か、もしくは五臓六腑の位置関係ででてくる。
たとえば、今の時期(7月14日)なら営血は手の少陰心経にある、衛気も心の支配。
だから、人間の体は一番熱を持ちやすい時期です。血も気も今の時期は心の支配なんだ。
そこで外気温ががんがん上がると、心火が際限なく上がることになる。
陰陽五行以外に解剖学的な関係がもう一つあるというのは、心火が際限なく上がると普通なにがやられるかというと、
心と一番関係するのは腎なんだけど腎が焼かれてしまうかというと意外とそうならない。
(容器に入った腎水をバーナーの心火が熱している図を書きながら)ここの容器にたっぷり水があれば、
心火が上がっても簡単には焼かれない。なぜなら、心火が上がってこの水が沸騰してくると人間は水が欲しくなる。
だから夏場は水分をどんどん補給しようとする。一般には腎がどんどん焼かれ空焚きになるということはない。
問題になるのは、心火が上がったときよりも、むしろ腎水が減ったときの方が空焚きになりやすい。
腎水が減っていれば心火がそんなに上がってなくとも空焚きになる、この典型が六味地黄丸の証である。
六味地黄丸の患者さんはみんな顔が火照って真っ赤である。
七物降下湯なんかもそうです。以上の関係は五行の関係なんです。
ところが、今の夏場は陰陽五行でない関係がでてくる。
心火があがると心に傘をかぶせている肺、心に寄り添っている脾に影響がでてくる。
通常の夏の暑さならいいのだけど、非常に暑いと、心火で脾が焼かれると食欲がなくなる(夏バテ)、
肺が焼かれると夏風邪になる。これには心火を冷やして、脾や肺を補うお薬を使う。
いわんとするところは、内因性の慢性疾患には陰陽五行か解剖学的関係がでてくるということです。
肝実脾虚肺虚、心脾両虚腎仮性実証、肝腎両虚脾仮性実証などがある。
腎や脾は本来実するものではないけど、五行関係から仮に実すると考える。
つまり、内因性の病気は経絡を跨ぐ。それで、主たる病座がどこにあるかを問う。
主たる病座は一方でその人の生きる中心でもある。生きてる中心とは大きく分けると三通りしかない。
太陰か、厥陰か、少陰か?
主たる病座が決まれば、鍼の考えでいえば主たる経絡から別の経絡に跨っていることになる。
主たる経絡から別の経絡に伝わっていくのであれば、主たる経絡の穴位は絡穴をとるべきであろう。
そういうわけで主経脈を絡穴、従経脈は補母穴か瀉子穴をとっている。
外因病の時は実しているときは瀉し、虚し
ているときは補すけど、内因病ははっきりいって本質的に全部虚です。
いろいろやってみたけど、補瀉は季節によって使い分ければ良いことが分かった。
春・秋は陰経は補、陽経は瀉、夏は陰陽とも瀉、冬は陰陽とも補す。
補母穴も瀉子穴もターゲットとするものに対しては補なっている。
陽経には補母穴・瀉子穴は書いてないので、陰経に準じて選び出した。
主たる経脈と従経脈をつなぐもの、肝実脾虚肺虚なら厥陰と太陰をつなぐものがあるはずで、これが奇脈だった。
人間のからだは、病気の主座(主経脈)、それに反応する経脈、それをつなぐ奇脈の三つの症状で成り立っている。
たとえば、脾虚肺虚肝陽上亢が衝脈を通して繋がっていると、衝脈は心下部でガードしているのだけど、
脾虚があるためにガードできなくて衝脈に入って肺を突き破って上がってくる。
これが喘息の症状。肝腎両虚脾仮性実証なら三つを繋ぐものはあまりない、
つまり督脈、任脈、帯脈、真夏と真冬の維脈しかない。
衝脈と蹻脈は2経しか結べない。あと、奇経八脈というけど、陰維脈・陽維脈と陰蹻脈・陽蹻脈は必ずセットでとる。
奇脈は八経ありながら、とるときは六種類である。奇脈は奇脈の反応点をとる。
奇脈は流れがない、そこでよどんでいるだけなので、円皮鍼を刺して押し出すだけ。
奇経ではもっとも症状が軽いのは維脈で、蹻脈<帯脈の順に重症化し西洋医学で治療困難になる。
督脈は脳卒中の急性期、任脈は鬱の極期と特殊である。
衝脈は喘息発作を起こしたり、パニックをおこすけど西洋医学的にもコントロールはできる。
帯脈は三経すべて緊張しているので、逆に緊張していないように見える。